題名:巡り巡って

五郎の 入り口に戻る

日付:2006/8/30


成田山久留米分院: 福岡県(2006/8/16)

目が覚めると新幹線は姫路駅を出たところ。何故そんなところにいるのだ、と問わないで欲しい。とにかく西に向かう新幹線に乗っているのだ。まだまだ先は長 い。ぼんやりしたり居眠りしたり、作りかけのプログラムのアルゴリズムを考えたり。ノートPCを開いてあれこれしたいところだが、バッテリーを節約しなけ ればならない。行き先で迷った時に
「バッテリーないっす」
という状況は避けたい。
とかなんとかやっているうち博多に到着する。ここで電車を乗り換え鹿児島本線に。ゆられること数十分で久留米に着いた。
駅から外に出てみるとあまり何もない。久留米というのは大学時代友達の出身地ということで名前は聞いていたのだが、小さな都市だな、と思う。駅前のバス停 に行って時刻表を眺める。えーっとえーっとということで乗るべきバスの時間を観る。まだ少し間があるようだから、と駅にいってそばを食べる。
再び外にでると夏の日差しと熱気があたりに充満している。とにかく暑い。私は電車に乗って移動するときには大抵短パンははかない。しかし今回はそんなこと は言っていられない。客観的に観ればかなり異様な格好なのだろうが、そんなことはどうでもよい。とにかくこの熱気と戦わないことには行き倒れになりそうで ある。などと考えながらバス停でひたすら待つ。定刻を過ぎること数分。バスが到着した。中は冷房が効いており有り難い。しかしバスに冷房が付いているなん てのも30年前は珍しい事の部類だったのだよなあ。
バスはひたすら走っていく。そのうちとても立派なビルが見えてきた。久留米市の市庁舎らしい。この都市にこんな立派な市庁舎が必要なのだろうか。行革断 行、と大昔に観たCMのような事を思っていたが、これは私の認識誤りであることが間もなく判明した。あちこち旅しているとよく出くわすことだが、JRの駅 が必ずしも町の中心街というわけではない。そこからずれたところ-例えばその地方で有力な私鉄の駅-が中心になっていることはよくある。そして見た限りで は久留米もその類かもしれない。立派なビルが並ぶエリアが広がっており、町の中心になっているのはどうやら西鉄の久留米駅のようだ。このビル群をみればあの市庁舎 もあながち贅沢とは言えまい。(地元でどう思われているかは知らないが)
とかなんとか考えているうちにもバスは快調に進んでいく。しかし回りの風景はずっと町中だ。これで本当に目的地に着くのかしら。間違っていたらどうしよう。また久留米駅に戻り別のバスに乗るな んてのは気が進まない。とにかく外は暑いのだ。上津町、と降りるべきバス停の名前がアナウンスされる。はて、この近くにあるのかしら、ときょろきょろした 私の目にこんなものが見えてきた。
遠景

間違いない。ここだここだ。バスから降りるとちらちらと見える方向に進む。しかしなかなか接近路が見つからない。暑い。ええい、うだうだ言っている暇があれば歩くのだ、と自分に言い聞かせることしばらく。今度は正面からその全貌が見えてきた。
正面
ここが今日第一の目的地、交通安全で有名な成田山の分院である。そういえば沖縄にもあったような気がするな。それはそうとして、この巨大な観音様はどうだろう。そし てその隣にあるインド風味の建物はなんであろう。期待に胸をふくらませながら門をくぐろうとする。その前に写真を一枚。この門も何か普通ではない。
入り口
そこからつながる階段にはこんな事が書いてある。
「大理石です。滑りやすいので手すりを云々」
歩を進めてみれば確かに大理石。おまけに手すりまで凝っている。なんだか全般的にとてもゴージャスだ。こんな立派な階段にはあまりお目にかかったことがな い(普段あまり人が行かない寺ばかり行っているせいもあるだろうが)てくてくのぼるの本殿がある。入ってみると中は極めて普通だ。無料で水が飲めるのが有 り難い。ふと観れば古賀某議員のポスターが貼ってあるではないか。ううむ、ここは地元であったか。地元にとっちゃ有り難い議員なのかもしれないけど、観れ ば観るほど悪代官面であるなあ。
などと思いながら外に出る。その先は有料エリアになっており、大観音と印度風の建物はその中にあるようだ。迷うことなく幾ばくかの金を払い入場する。すると正面にどーんと大観音が迫ってくる。
大観音
こうやって子供を抱いた観音像と言えば、会津村の観音を思い出す。しかしこちらのほうが遙かに巨大という気がする。しかし先を急ぐまい。まずはインド風の建物だ。
印度風
前に書いてある説明書を読めばこんなことが書いてある。

「このインド村・平和大仏塔極楽殿は、高さ三十八メートル、日本唯一のものであり、世界で二基目、ブッタガヤ大仏塔と同型のものです。(中略 )所願成就の為にお釈迦様にお祈り下さい。 ナマステ」

やはり最後は「ナマステ」でしめるのだろう。入ってみるとまず正面にこんな像がある。
ナマステ
その回りには釈迦の一代記が絵になってならんでいる。ふーん、「天上天下唯我独尊」ってこういう意味なんだ。文字と全然違うではないか、とか思ったり。感慨にふけることしばらく。また表に出る。日の光は容赦なく降り注いでくる。出たところにはこんなのがいる。
福の神
福の神だそうである。ひざしをあびてきらきら光る小判が眩しい。大観音の前にはあれこれの像がある。
効果倍増
この足の形に足をのせ、手を載せて祈ると効果倍増とかなんとか書いてあった気がするがなんせ暑かったので覚えていない。矢印に従い大観音の中に入る。する といきなり右手に印象的な像群がある。バックに大きく手を広げた仏様がおり、それに向かって世界の人々-白人女性からインド 人と思しき男性、それに髪を結い着物を着た女性まで-が祈りを捧げているのだ。そして何故かこの像群だけが「撮影禁止」となっている。これは勝手な想像だ が拝んでる人のあまりの幅広さにクレームがついたりしたのだろうか。とはいっても着ている物だけから宗教を想定できるわけではないだろうしなあ。ユダヤ人 特有の格好をした人がいれば話は別だが。
さて、そこから大観音恒例の螺旋登り階段になる。暑いし階段はいつまでも続く。ところどころ小さな窓があり
「開けると鳩がはいるのでしめてください」と書いてある。そういえば胎内にどこか漂う香りは鳩の落とし物かもしれん。大観音建設途中の写真とかも飾ってあ るが、それまで浴びていた強力な太陽のおかげで瞳孔が縮んでおり、ろくに見えない。そもそも写真自体老朽化しているのかもしれない。よくわからないままひたすらひたすら階段 をぐるぐる上る。
こういうパターンは何度かあったが、結局上にいって「俺は是を観るために登ったのか」ということになるんだよなあ、と思っているとやはりそうなった。上にはなんだか像が並んでいる(もはや記憶にも残っていない)小さな窓からは辺りの風景が見える。
窓からの景色
確かに夏の風景は素晴らしいが私のよれよれになった足に見合うかと言われればそれほどでもない。いや、この脱力感は珍スポット巡りにはつきものではないか、と自分に言い聞かせながら階段を降りる。順路に従っていくと、いくつかの仏像が目に入ってくる。
釈迦如来
こういうところに仏像が並んでいるのはよくある事だが、ここの仏像は少し顔つきがユニークなような、、あと頭が小さいような、、などと考えながらそこを出 る。すると先ほどの「世界中が仏陀を信仰」(勝手に命名)と対になった「全ての動物は仏陀を信仰」(こちらも勝手に命名)の像がある。
みんなで信仰
こちらには「撮影禁止」の立て札がない。やはり動物だと問題が起こらないということなのだろうか。脇の方にはゴリラが花をもって座っている。
花ゴリラ
しかし拝んでいる動物たちをよく見ると、こんなのがいるのだった。
双頭の雉
双頭の雉。これには何か謂われがあるのだろうか。などと考えていると「出口」と書いた矢印が見える。これでこの観音巡りもおしまいか、と思って進んでいくがこの観音像の本領(少なくとも私にとって)はここから始まっているのだった。
通路を曲がるといきなりこんな絵が出てくる。
花咲か
最初のうちはこのように「花咲かじいさん」とか二宮金次郎とか日本にゆかりのあるお話が並んでいる。そこにこんな像もいる。
笹川
よく見ればこれは「一日一善」おじいさんこと(若い人には分からないだろうが)笹川良一ではないか。何故こんなところで母をおぶっている。そしてその後 壁にかけられた「教訓絵」は私が全く知らない中国のエピソードに変わっていく。暑さにぼけた頭では理解も大変だが、枚数だけはとにかくこれでもかと出てくる。最後 の方には壁になにやらレリーフのようなものが埋め込まれている。
その少し先で廊下は終わりになり矢印とともに「天然宝石造り歴史館、地獄館」と書いてある。そういえば表の観音様にも宝石がどうとやら書いてあったような気が。いや あの暑さの中では宝石も何もわからんのですよ。というわけで歴史館なのだがここは撮影禁止である。というわけで写真はないので文章で説明しよう。
館内にずーっと流れていたナレーションによれば、日本の神話、歴史の登場人物を宝石で再現、というものらしい。菊人形が菊でできた人形なら、ここにあるの は宝石人形だ。天然宝石がどうのこうの、というのが頭が呆けているからあまり覚えていない。最初は天照大神とかがおり、最後は明治時代だったように思う。 東郷平八郎と乃木、それに明治の元勲と呼ばれた人達がいたように思う。
一旦そこをでると突き当たりに何かある。
極楽
これはなんだろう、と思ってみればどうやら「極楽」らしい。流れるナレーションによれば「苦はなく楽ばかり」とのこと。そんなこと言ったって楽にもいつし か慣れて文句を言い出すのが人間性というものではなかろうか。苦はなく楽ばかりを実現しようとすれば、やはりMatrixの世界しかないのではなかろう か。
そもそもここはなんなのか、と思えば、宝石館の隣に地獄巡りがあった。をを、あれと対になっているのか。というわけで地獄も見てみる。入り口に閻魔大王が おり、あれこれ口上を述べる。その後8大地獄が人形で再現、というわけでさらさらと出てしまう。いや、それぞれのディスプレイは結構凝っていたように思う のだが、なんせ辺りが暗い(あるいはこちらの目が外の光りに慣れている)ためよくわからないし、あまり工夫もなかったように思う。これはたぶん「工夫」という意味を私が歪んだ方法で用いている為だと思うが。
というわけであっさりそこを出てまた極楽を観る。何度か他の場所でも観たような気がするが、地獄がリアルかつ具体的であるのに対して、極楽は「いいところですよ」でおしまいだ。確かに苦しいときは「楽になりますよ」と言われればただ信じたくなる物だが。。。
などと考えたところでここの見物はおしまい。ぶらぶらとバス停に戻るため歩き出す。ふと後ろを見ればバスが近づいてきている。炎天下で何十分も立って待つのはいやだ。一生懸命走り出す。なんとか間に合いふっと息をつけばどっと汗が。しかし今日はまだ先があるのだった。

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注釈