日付:2006/8/17
ホテルの一室でむっくりと立ち上がり、買っておいたパンをぱくぱく食べる。駅に向かうと既に人があれこれしている。こういう光景を 見ると都会だなあと思 う。田舎の早朝の駅にも人がいるが、説明はし難いのだがやっていることが違うのだ。
地下鉄を探すと切符を買う。途中で一度乗り換えねばならぬのだが、どうやら一度改札をでて地下道をくぐるらしい。東京にもこういう 乗り換えはよくあるから 大丈夫だろう、と根拠の無い楽観をして適当に自動改札に切符を放り込む。何もでてこない。食べられてしまった。よく考えれば
「乗り換えは緑色の改札機に」
という表示をちゃんと読んでいたのだった。なのに何故赤い自動改札に切符を放り込む。ぶつぶつ、と自分に対して怒りながら早朝の地 下街をてくてく歩く。 やたら遠い。もう少し近くにならなかったものか、とこれまた根拠の無い怒りに燃えながら歩き続ける。改札口がようやく見えてきた。
電車に乗るとこれがなかなか快適である。とても静かなのもうれしいが車両が何とも言えず新型だ。車両を区切るドアは全部透明で見通しがよい。駅のホームは 自動開閉扉で仕切られており落下事故の起こりようがない。(余談だが私はこの自動開閉扉を全てのホームで義務化するべきだと思っている)座席は一つ一つ区 切られており、 股関節が故障した人がやたら場所をとる心配もない。
途中でトイレに行きたくなり下車する。驚いたことにトイレにウォシュレットが着いている。公共の駅でこんな設備があるのを初めて見た。というわけで先ほど までぶつぶつ文句を言っていた事を忘れご機嫌になる。野芥という駅で降りる。外にでると今にも雨が降りそうな天気だが、なんとかもっているようだ。こち ら、と思う方向にすたすた歩き出す。国道263号(早良街道)を南下する。10分ほどで左に道が分かれる。そちらに進む。左手になんとかスイミングスクー ルが見えてきた。そのすぐ南で左側を観るとこんな光景が見える。
ここが今日の目的地、野芥縁切地蔵尊である。本当に小さな場所だが、前にはちゃんと看板が掛かっている。
私なりに要約するとこういうことらしい。今を遡ること1300年の八世紀。お古能姫と男の縁談が成立した。しかし輿入れの日、男が「ある事情の為出奔したので」男の親父は「息子は頓死した」と伝えた。この知らせを聞いたお古能姫は「もう嫁ぐ家もない」と自刃したと。
今であればやれ婚約不履行で損害賠償だ、ということなのだろうがその時代にはその時代のやり方という物がある。よくわからないのが何故これが「縁切り地 蔵」に結びつくかだ。縁切り地蔵がそのときにあったら、、話がどう丸く収まったというのだろう。そもそも男は何故逃げたのだ。
などとぶつぶつ言いながら階段を上がるとこんな光景だ。
ここで私は「しまった」と思う。この場所で写真を撮りたいと思っていた。しかし他の参拝者は私のように脳天気ではなく、切実な悩みを抱えている人達だろう から、 ぱしゃぱしゃ写真を撮っているときっと顰蹙を買うだろう。そのためには朝早く誰も人がこないうちに行くべき、と思っていたがそれは愚かな考えだった。お年 寄りは早起きするのだ。そして私の前には私より年輩と思しき女性が二人大きな声でしゃべっている。どうやら一人が悩みを言い、それに対し一人が応えてい るようだ。切れ切れの言葉から推察するに、悩みを持っている人の娘(年からして孫か?)が同棲だか結婚だかしていてお金ががどうのこうので、何年たっても○○○ レスで子供ができない。もう一人は「あー、それは別れさせなきゃ。(ここにお参りすれば)すぐ縁切ってくれるで」とかなんとか言っている。私はその会話を 耳にしながらこっそりと写真を取り続ける。
なんでもこの地蔵さんのかけらを飲ませると悪縁が切れるとのことでまったく地蔵の形をとどめていない。というかそもそもどうやって かけらを切り取っていったのだろう。まがりなりにも石だと言うのに。
そのうち悩みを言っていた方の女性が去っていく。もう一人が
「言ったらいかん よ。ここに来たことは自分だけの事にしておいて」
と大きな声で呼びかけて いる。その度に相手が
「はーい」
と返事を返す。私は回りにある封筒、手紙、絵馬に見入る。
おそらくは縁切りの願いを書いてこの封筒に入れておくのだろう。封筒のままのものと、中の手紙をサラしているものがあるが、どういう違いがあるのかわから ない。絵馬もこういう場所だからこういう絵柄である。図柄は一種類だが、着ている服が微妙に異なっている。お願いして書き換えてもらうのだろうか。
もともとこうした男女の縁を切ることを願う場所と思っていたのだが、そうしたものばかりではないことを知る。
「癌、高血圧との縁を切りたい」
とか
「ギャンブル、パチンコ」
と一面に書かれた手紙などがある。確かにそうしたものとは縁を切りたいだろう。癌との縁切りは確かに神様にお願いするより他ない。パチンコ、ギャンブルは意志でなんとななるだろう、と言うのは簡単だが、人間は私も含めて自分たちが思っているほど賢くはないかもしれぬ。中 には両者の住所まで書いて縁切りを願っている手紙もある。それを観ているうちこれはここに書かれている男性の妻が書いたものではなかろうかと思う。
などと私がやっている間、残った女性はマッチを動かし、なにやら往復している。こちらは彼女がこちらに背を向けて歩き出したところ を見計らってシャッターを切っている。彼女は
「何か探しているのかね」
と聞く。私は
「ええ、、いろいろな縁切りの願いがあるのですね」
と応える。彼女の言葉によれば、24日午前10時からお祭りがあるとのこと。残念ながら私は来られません、と言う。お祭りか。どう いった人が集まり何をやるのだろう。しばらくして
「では失礼します」
と言ってその場を立ち去る。ふと振り返れば女性がこちらを観ている。思うに私はストーカー男か何かと思われたのではなかろうか。ス トーキングしている女性が書いていないかチェックしに来た、というのは被害妄想だろうか。
帰りは野芥4丁目というところからバスに乗る。延々走ったあげく確かに乗り換えなしで博多駅には着いた。しかし大分高くついてし まった。などと悔やんでいてもしょうがない。さて、次はどうしよう。