題 名:巡り巡って

五 郎の 入り口に戻る

日付:2007/7/2


斜陽館:青森県(2007/8/11)

来た途中に看板を観たということは、きっと金木という町のどこかにあるのだ。そう思い金木駅まで戻ったが見つからない。途中に
「斜陽館」
という看板があったので、その矢印の方向にひたすら進んだら町を突き抜けてしまった。
しかしここでスキップしては絶対に悔いが残る。太宰治という人の作品は国語の教科書に載っていた走れメロスをいれたとしてもおそらく数作品しか読んでいない。
「生まれてすいません」
は「コージ苑」という漫画のネタとしては知っているが本物の作品の中で読んだことはないのだ。そうしたねじ曲がったイメージだけで想像するに「斜陽館」とは通り過ぎることのできないインパクトを持った名前ではないか。きっと係員がみんな
「お金を貰ってすいません」
「発券してすいません」
「とにかくすいません」
とか言っているに違いない。そしてこの暑い中黒いマントを着た男がそこかしこにうずくまっているのだ。
と いうわけで来た道を戻る。再び「斜陽館」という看板を見つけると今度は見逃すまいと(周りの迷惑顧みず)目を皿のようにして前方を凝視する。するとつぎつ ぎ看板が見つかる。とはいってもいずれも小さなものだから集中力を切らすわけにはいかない。そのうちなんだか車がはいっていくような場所があることに気が つく。そこに車を向け駐車する。
斜陽館じゃないよ
なんだか平たい建物が建っている。これが斜陽館だろうか?それにしては風情とか情緒とかいうものが全くないではないか、と思ったらやはりそれは土産物屋だった。道を渡ったところに本物がある。
斜陽館
入 場料を払って中にはいる。この時点で私は既に失望に包まれている。いや、もちろんさっきの妄想が現実化するとは思っていないけど、これではあまりに普通の 「文化財」ではないか。なんでもその昔太宰治の父親がたてた豪邸で、その後旅館になったりしたが今は「斜陽館」になっているとのこと。
文句を言っていてもしょうがないので中を一回り巡る。確かに豪邸だ。二階に上がると母親のための部屋とかあれこれある。ある部屋のふすまにはそれこそ「斜陽」という文字が書かれている。
斜陽_文字
と いうわけで豪華なのだが、いかんせん暑い。今の私だったらこの豪邸よりも冷房がついた四畳半のほうがはるかに好ましく思える。おまけにここにはネタがない ではないか(こうした願望自体が間違っていることは承知しているのだけど)当時の風潮として洋間も存在している。純和風の建物の中にあるその空間 は、私の家にある畳部屋のようなものか。
とかあちこち巡っているうちようやく「目的」としてきたものを見つける。
neputa
これこれ。これですよ。やはりこれくらいやってもらわなくては。しかしこうしてみると太宰某というのはつくづくお祭りに似合わない男だなあ。この人形というかハリボテを威勢良く引きずり回してもなんとなく威勢があがらない。となればやっぱりみんなで下を向きながら
「太宰ですいません」
「出品してすいません」
とか言いながら練り歩くのであろうか。実際太宰にかかるとレンタサイクルもこうなってしまうのだ。
レンタルしてすいません
といったところで斜陽館はおしまい。車に乗り込む前にもう一カ所行く場所がある。さっきうろちょろしている時に目についたのがこの看板。そしてこれは斜陽館の駐車場をでてすぐのところにあるのだ。
看板
この「軽大観音」とはなにか気になるではないか。道を渡ると立派なお寺がある。はて、ここのどこに「軽大観音」が、と思えば確かにそれはあった。
軽大観音
これが「軽大観音」である。えーなんといいましょうか。確かにその通りだ、としか言いようがない。大観音と称するとどうしても仙台大観音とか考えるわけだ。では小観音かと言えば、たしかにでかいことはでかいから「軽」大観音を自称しても誰が責められよう。しかしつっこみどころのないそのお姿は「はあ、左様でございまするか」といって引き下がることしか許されない気がする。

とここまで書いてようやく気がついた。「奥津-軽大観音」ではなく「奥津軽-大観音」ではないか。ということはこれで大観音、、、いや確かに大きい事は大きい。

さて、次の目的地に向かうには少し調べ物をしなくてはならない。元々あまり行く気がなかったので住所をちゃんと調べていなかったのだ。地図上で適当に場所を調べておいたが、それだけではたどり着けそうにない。幸いな事に最初にはいった土産物屋に
「ご自由にお使いください」
と書かれたPCが存在している。そこでインターネットに接続してあれこれ調べる。よし、だいたいの方向は分かった、と自己満足に浸るとまた出発である。

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注釈