題名:巡り巡って

五 郎の 入り口に戻る
日付:2009/5/25


穴守稲荷: 東京都(2009/8/23)

8/23の朝、5時頃に目が覚める。会社に行かなくてもいいのに目だけは覚める。朝ご飯を食べると、家をでる。一旦横浜にいきそこから 京急という電車にのる。羽田空港行きの電車にのるから乗り換えせずただ立っていればよい。

まだ朝の6時台というのに、大きなスーツケースを持ち羽田空港に向かう人がたくさんいる。蒲田という駅をすぎるとそんな人ばかりにな る、かと思いきや空港につく前に降りる人もいる。私もその一人だ。

その名が示す通り改札を出たところから稲荷の雰囲気が充満している。

welcome

駅前きつね

また駅前に見せが並ぶことは珍しくもないが、ここまでストレートな命名は珍しいのではなかろうか。

駅前

し ばし写真を撮ると私は”たぶんこっちだろう”と思う方向に歩き出す。空は薄い雲に覆われ、大気は湿気に満ちている。ジュラ紀とかこんな光景だったのだろう かと考える。こっちでいいのか、と不安になったころあと90mと案内の看板が出てきた。やれうれしや、ということで歩を早める。そのうちようやく鳥居が見 えてくる。少しはいってふと脇を観れば狐さんの山ができている。

狐の山

狐山

そこからてくてくと歩き、稲荷の回廊をくぐりぬけた先にあったのがこれ。小さな鳥居の山は高 山稲荷神社でも伏見稲荷大社で も見かけたが、このように雑然と放り込まれているのは初めて見た。その脇には小さな狐さんがこれまたうじょうじょと存在している。

鳥居の山

狐の山

今写真を編集していて気がついたのだが、↑の”大阪”とはいかなる意味であろう。その近くには絵馬がかかっている。場所柄からか航空機 に関する物が多い。とはいえやはり人が神様に祈る事は様々なのであった。

絵馬

そうだねえ。子供がロックミュージシャンになれるまでなんとか稼いでいたいものだねえ。

絵馬その2

どちらかといえば、これはお稲荷さんより、どっかの事務所だか会社だかに頼んだ方がいいのではないでしょうか。

こ の場所で観る物はこれくらいか、ということで私は歩を先に進める。その瞬間トイレに行きたくなる。”トイレ”の表示を見つけるがシャッターが閉まってい る。うろうろしていると”何か探してるの”と声をかけられる。かくかくしかじか、というとそこをちょっと行ったところに公園があるよ、と言われる。行って みれば確かにトイレがある。円筒形で一人だけが入れるようになっている。そこにはいり私は一安心。

というわけで心静かに歩き出す。 iPhone上で地図を確認すると一旦広い道路にでる。そこを進んでいくと橋を渡る。そこから遠くに赤い鳥居が見える。あそこだあそこだ。というわけで川 にそって、てくてく歩く。堤防にはあれやこれやが書いてある。なんでもそのうち羽田は沖合に移転するからその後に広大な空き地ができる。何を作ればいいか 子供達に考えてもらいました、とか。羽田空港の拡張にともない、京急線の駅の場所もあれこれ変わったとか新しい駅ができたとか、と読んでいるうちに一駅歩 いてしまった。

道の脇には数十mおきにさきほどお世話になったものと同型のトイレが存在している。

珍寺大道場によれば、ここはかつて別の場所にあり大変栄えた一大娯楽エリアだったとのこと。それがまず終戦後米軍の命令によって接収さ れ、さらに羽田空港の拡張によって一時は鳥居だけが空港敷地内にぽつんと存在するようになったとのこと。

見捨てられた鳥居

というわけで平和の鳥居とご対面だ。

今の鳥居

今は周りになにもない河口にたっている。そこにある看板には

”平和大鳥居の楽園”

と書いてある。Oh, this is paradiseねえ。振り返ればこんなものが見える。珍寺大道場の記述によれば、ここにはかつてきらびやかなサインが光っていたらしい。

ネオンの跡

川岸にはハゼつりにきている人達がたくさんいる。私はさらに歩を進める。河の中にこんなものがあるのだ。

川の中

つり談義に興じているおじさんたちに”すいません”といい近づく。帰ってから調べればここは

行って見ると五十間鼻無縁仏堂とある。

ここは多摩川の河口に位置している。震災や空襲においては大勢の死者がこの多摩川河口に流れ着いたという。

この仏堂はその水難者を供養しているのだ。

穴守稲荷 から引用

とのこと。周りを見るとトタンでできた小屋のようなものであり、土台にケーブルでしっかり固定されている。確かに台風がきたら一番先に ふっとびそうである。

遠景

ハゼはつれているのだろうか、などとちょこちょこ覗きながら天空橋という駅に向かう。空は明るいが曇っており、湿気はものすごい。

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注釈