題名:巡り巡って

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日付:2010/09/18


摩周丸:北海道(2011/9/2)

というわけでひたすら函館駅に向かって歩く。

「はーるばるきたーぜー はーこだてー」

とか歌っている暇はない。もちろん何故こんなところにいるか説明している暇もない。とにかく来てしまったのだ。残り時間は1時間。この 間に到達して 巡ってそして帰らなければならない。気がつけば雨がぱらぱらと降ってくる。手に持っているのはカメラだけ。この際傘等にかまっている暇は ないのだ。ただひたすら進む。

函館市役所とおぼしき場所を横目でみながら歩き続けることしばらく。函館駅に到着した。目的地はこのすぐ先だ。左手奥に進む。す ると土産物屋やら、海鮮のなにやらを売っている店がたくさん並んでいる。こういう場所は本当に安いのだろうか。あるいはただ観光客が来る のに便利なだけだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。今は前に進む。するとこんな看板が見えてきた。

看板

これをみた瞬間私は

「勝った」

と思う。青函れんらく船だけでも寿分と思うが、それに「なつかしい外車の展示館」までついているではない か。きっとそこには十分なネタがあるに違いない。看板が掲げられている建物に向かう。

するとどうにも様子が変だ。ガラスの向こうにクラシックカーがある気配はあるのだが、人がいない。

クラシックカー

こんな調子である。内部に照明がついていないから、外から光が反射してしまい、写真をとるのも楽ではない。つぶれちゃったかなあ、と 思いながら歩いていくと扉にこんな張り紙があるのを知る。

あきません

「あきません」なのはこのドアなのか、あるいはこの施設自体なのか。その場合は関西弁では「あきまへん」とすべきであろうか。とにかく クラシックカーを見る事はかなわないようだ。

さらに進んで建物を一周する。そして避けられない結論にたどり着く。どうやらここは閉鎖してしまったようだ。この調子だと今日はすべて 空振りになってしまうのだろうか。そん な懸念を抱くが、摩周丸の看板はちゃんと存在している。これで一安心。船もちゃんと存在している。

摩周丸

やれ、うれしやということで受付で500円払う。ごゆっくりご覧ください、と型通りの声をかけられる。こちらは残り時間が気になるが気 持ちだけでもごゆっくり見たいと思う。船に乗り込むといきなりこんなものが目に入る。

紐

ひもむすびである。私は毎年一回「もやい結びってどうやるんだっけ」とインターネットで検索する。鯉のぼりを設置する時にほどけないよ うに紐を結びたくなるからだ。であるからしてここにある「ひもむすび体験コーナー」には心引かれるのだが、時間がない。ちゃんと探せば体 験コーナーも見つかったのかもしれないが、結局どこにあるのかわからなかった。

というわけでずんずん順路を進んで行く。壁にいろいろな掲示がされている。その中でまず心に残ったのはこのポスター。

国鉄

「国鉄」である。国鉄分割民営化が議論されたのは私が子供の頃であった。だから「国鉄」という言葉は頭のどこかに存在しているのだが、 それが具体的にどのようなイメージを持っていたかはわからない。「豪華で安全」という言葉はそのまま受け取られたのだろうか、皮肉をもっ て受け取られたのだろうか。最近の若い物は「国鉄」という言葉自体知らないだろう。

そこから壁に貼ってある物をひたすら見て行く。戦争中には連絡船が次々と撃沈されてしまったことが書かれている。確かに当時は船とみれ ば何でも撃沈しろ、ということだったのだろう。しかし戦争が終わると今度は占領軍が困る。そのため、上陸用舟艇であるLSTが12隻貸与 されることとなった。しかし来たのは2隻だった。今だったらやいのやいのの騒ぎになるところだが、当時はこんなことは当たり前だったの かもしれん。また戦時標準船も、もともと短寿命の設計だったにも関わらず20年にも渡って使われたとのこと。

その先に展示されているのが洞爺丸の遭難である。この事故については、遠い昔学研の科学、もしくは学習で読んだような記憶がある。そも そも青函トンネルを作るきかっけはなんだったのか、とかそんな話だったように思う。

昭和29年、1314名を乗せて函館を出向した洞爺丸は台風15号により沈没する。驚いたのは、沈没前に既に座州していたことだ。つま り意図的に着底したにもかかわらず沈没したらしい。生存者は159名。一割ちょっとである。他に貨物船4隻も沈没。そのうち一隻は「全員 意気軒昂」と送信した後に沈没したとの事。

この事故についてはその後も何度か展示がでてくる。当時は台風の観測技術が今ほど進んでいなかったのも原因の一つとのこと。この事故に ついては後で調べてみよう、と固く心に誓う。(調べてみれば当時気象レーダーすら日本にはなかったらしい)さらに進むとこんなものがあ る。

マリンガール

どうだ。すばらしいではないか。なんせ「マリンガール」である。それが何を意味しているか読まなかったが、この大きな文字の力はすご い。マリンガール選考会とか、選考委員の暗躍とかいろいろあったのだろうな、とかあれこれ考える。

船長服

こちらは船長服。なぜわざわざ写真を出すかと言えば、どことなく銀河鉄道999の車掌を彷彿とさせるからだ。そう思ったのだが今見ると 車掌の服は青だったような気がする。顔の部分が暗くなっている点くらいしか似ていないではないか。その先には記念撮影用の船長服とか用意 されているが、誰が私を撮影してくれるというのか。順路を進むとこんなものがある。

座席

当時の座席が展示されている。より豪華な「グリーン席」(本当はなんというか忘れた)もあるのだが、なんとも言えず懐かしかったのはこ ちら。正確に覚えてはいないが、この青さ、ペラペラさにはどこか見覚えがある。国鉄の車両、あるいは昔の新幹線の座席ってこんな雰囲気で はなかったか。

と感動したところでここの見物はおしまい。そのまま戻らなければならないのだが、ちょっと遅刻覚悟で「豚丼」を食べた。居並ぶ(高価 な)海鮮丼には全く心を動かされなかったが豚丼は少し安かったのである。

しかし出てきた物は「観光地の食事」でしかなかった。残念。いや、落ち込んでいる暇はない。さっさと戻るのだ。雨の中を急ぎ足で歩き出 す。

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注釈