題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る
日付:2016/6/11


Winchester Mystery House(Tour編):U.S.A. San Jose(2016/5/08)

ふと自分がバス停で25番のバスを待っていることに気づく。なぜ故郷を数千キロ離れたSan Joseでバスを待っているか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。

ほどなくバスが到着。座席に乗り込むとほっと一息。その瞬間自分が無線ルーターを忘れたことに気がつく。あれなしではインターネットへのアクセスができない。このことは小さい問題と大きな問題を引き起こす。小さな問題は何かあっても連絡が取れないこと。これはまあなんとかなるだろう。つい数年前まで、皆いざという時の連絡手段無しで暮らしていたのだ。それより大きな問題は、どこで降りるかわからないこと。

San Joseには一回$2で乗れるバスがある事を知り、この場所に行こうと思い立った。最初はホテルのすぐ前から2本バスを乗りついで行こうと考えていたのだが、一本目のバスが1時間後まで来ない。途方にくれること数分、少し歩けば別の経路があり一本のバスで行ける事を知る。しかしこちらのバスは停留所名など教えてくれない。そもそも降りたい場所がわかっていなければ降りることができない、旅行者に優しくないシステム。しかし今は21世紀。After iPhoneの時代である。地図アプリを立ち上げておけば、自分の位置がわかる。目的地に「十分近づいた」と思えば「止めてちょうだい」という印に車内にはりめぐらせているワイヤーを引けば良い。ああ、なんて素晴らしい。ありがとうSteve Jobs。よし、これで今日も楽勝。

となるはずだった。ところがネットに接続できない。地図アプリは動いてくれるだろうか。おそるおそる立ち上げると、ありがたいことに地図がちゃんと表示される。最近の地図アプリは賢く、一度アクセスした範囲をある程度保存しておいてくれるのだ。わーいと思い目的地にスクロールしていくと再び絶望感にとらわれる。保存した範囲が終わっており、今日の目的地ははるか彼方。これはダメか、と思った瞬間、今日の目的地を示す☆印だけは表示されていることを知る。

地図

こうなればこれに賭けるしかない。本当の事をいえば、示されている星印が今日の目的地かどうかもわからないのだが、仮に違ったとしても自分がわざわざ星をつけたところだから何かあるだろう。というわけでバスを降りルーターを取りに行くのはやめにする。ほどなくバスは動きだす。

泊まっているホテルは、あまり治安のよろしくないエリアにあるらしい。昨晩ものすごい風の音をバックに誰かがメガホンで叫んでいるのに気がついた。風の音はこちらでよくみかける「送風機を背負って、ゴミを吹き飛ばしているおじさん」なのだろうと思っていたが、なぜメガホンで怒鳴っているのか。今朝聞いてみれば、数件先にパトカーが10台あまり止まり、上空にはヘリまで来てなにやら大騒動だったとのこと。というわけで当地のバスではいつも緊張感が走る。時々

「ジーザスがどうのこうの」

と大声で喚き続けるおっさんもいる。幸いにして今日はそういうことはないが、しばらく「ここはメキシコか」というような街並みが続く。それがfreewayの下をくぐった途端一変してちょっと高そうな家が続く。バスは結構くねくね曲がる。目的地と反対方向に曲がるたび

「これは間違ったバスに乗ってしまったか」

と心配になるが、またぐるりと回ったりする。途中で病院によったり、電車の駅によったりするのでぐるぐるするらしい。それでも心配は消えない。最終的にどこまでこのバスが目的地に近づいてくれるのかわからない。目的地付近の道路はほとんど表示されないのだ。早く降りすぎれば信じられないほどの距離を歩くことになる。走ることしばらく、バスはその名もWinchester Streetを曲がる。誰かがStopをRequestしてくれたので私も降りる。

さて、地図アプリのお告げを信じれば、目的地はここから歩いてすぐ。ここで私は滅多にアメリカではやらないことをやる。歩いて横断舗道を渡るのだ。しかも片側4車線くらいの道路の。思わず小走りになってしまうのが日本人の性というもの。それとともに帰りのバス停がどこにあるかを探しておく。広い道の反対側にバス停が見える。多分あれだろう。

歩くことしばらく、こんな光景が見えてきた。

外観

これが今日の目的地である。しばらく行くともう少し「それらしい」看板がある。

看板

ここが今日の目的地、ウィンチェスター・ミステリー・ハウスである。Tours Dailyと書いてあるから今日もやっているだろう。というわけで左手にはいる。外にチケットブースのようなものがあるのだが、閉まっており「中で売ってるよん」と書いてある。はいると土産物屋で、その中で何人かの男性がぺちゃくちゃしゃべっている。モーテルでもらった割引券を出すと、$3割引で$33。決して安くはない。それが今日来るのを最後まで迷った理由でもある。しかしせっかくここまで来ているのだ。思い切って払う。

ツアーが始まるまで時間があるので、土産物屋の中をぶらぶら見る。ここはなかなか立派な土産物屋だが、日本の土産物屋に必ず存在している

「会社へのおみやげに便利な小分けにしたお菓子」

などはもちろんない。古いもののエリア、みたいな場所がありこんな機械が置いてある。

相性診断

二人の相性を診断してくれるLove Meterなんだそうな。想像するに金属部分にそれぞれ手をのせて、なにやらやるとHot StuffからHarmlessなどのどれかのランプがつくのだろう。こんなものは科学的な根拠とかはどうでもよくとにかく何かつけばよいのだ。まったく昔の若者はけしからん、というか若いカップルというのはいつの時代もそんなものであろう。

マグカップ

別の棚にはこんなものがある。Tシャツとかは日本でもあるだろうがこういうマグカップはまず日本にはないだろう。下段にならんでいるのは手榴弾型マグカップである。

などと感心していうるちに時間が近づいてくる。指定された待ち合わせ場所に行く。最初はあまり人がいなかったが、そのうちわらわらとどこからともなく人が湧いてくる。15−6人はいただろうか。場内にアナウンスも流れる。案内の女性がきてツアーがスタートする。

ここからは写真、ビデオ撮影一切禁止になっているので、すべては私の記憶とネットから集めた情報を元に書く。最初に壁に触るなというお達しがある。そして簡単な事前説明。ここを作ったウィンチェスター夫人はとても背が低かった。というわけで最初の場所にいきなりものすごく高さが低い扉がある。中1の私の息子でもひっかかるような高さだ。その次に案内されたのが馬車を入れる場所(だと思う)高価なガラスの扉などが展示されている。なんでも全部ニューヨークから仕入れたとか。いくつかのガラスには彼女が好きだった蜘蛛の巣をモデルにした装飾がついている。あと彼女は13という数字にものすごくこだわりがあったとのこと。

ウィンチェスター夫人は、ウィンチェスター社2代目社長と結婚した。娘が産まれたが幼くして亡くなってしまう。旦那も死んでしまい一人になってカリフォルニアに移り住んできた。でもってここの基礎となった家を買い取り死ぬまで改築を続けたのだそうな。彼女の寝室-ちなみにそこで亡くなった-がありそこに2枚だけある写真の一枚が飾ってある。もう一枚は馬車のエリアにあった。

ではなぜ彼女が100年後に入場料$33をとれるような変な家を作るにいたったか?実のところはわからないらしい。案内人が紹介してくれた説は二つあり一つは

「ウィンチェスターの銃で殺された人たちの亡霊を惑わせるために、複雑な構造の家にした」

というものでもう一つは

「彼女はまともな建築の教育を受けたことがなかった」

というもの。

ちなみに現在飾られている家具はすべて寄付によるもの。夫人が死んだ時75%の部屋には家具があった。彼女の死後姪が相続したらしいのだが、家具をすべて運び出しオークションで売ってしまった。でもって誰に売ったかの情報も残っていないので復元ができなかった。その際家具を運び出すにものすごい数のトラックが必要だったとのこと。夫人は莫大な遺産を相続しただけでなく、会社の株も大量に保有していた。それによって配当?だけでも相当額-毎日$1000-Wikipediaによれば今の金で200万円以上-を受け取っていたらしい。それがこの膨大な屋敷を作り、維持する財源となったわけだ。

その馬車エリアから登る階段はものすごく何度も折り返しており、しかも一段の段差が小さい。最初に紹介された時は「奇妙でしょう」みたいな言い方だったが、実際に登ってみるとこれはバリアフリーではないかと思う。果たして正解で晩年段差がつらくなった夫人は階段をあちこち改築したんだそうな。私もだんだん彼女の気づかいがありがたいと思える年になってきた。

あとは覚えているところだけ書いておく。あるがらんとした部屋があり、夫人の瞑想室ということになっているらしい。入り口は一つあるのだが、出口は三つある。そのうちの一つのドアは、踏み出すと下にある台所に落下するようにできている。もう一つのドアには外側から開けるためのノブとか取手が一切ない。というわけで出口としてしか使えないとのこと。彼女は夜な夜なここにきて、亡霊からどのように改築するかの指示を受けていた、という説もあるが真実は誰にもわからない。

バスルームにもはいった。とはいっても前述の理由で家具は一切ない。壁にくぼんだエリアがあり、そこには奇妙な形にパイプが通っている。なんでも夫人の背の高さにあわせてしつらえてあり、温度調節をしたのちにそこにはいるとシャワーが浴びれるのだそうな。

このほかにも「呼び出しベル」があったり、と夫人は常にその時点での最新技術を取り入れるのに熱心だったのこと。彼女は園芸にも熱心で、室内に植物を置いておく部屋があった。そこは床が傾斜しており、人が歩くための板を外し蛇口をひねるだけで部屋中の植物に水をやれるようになっていた。流された水は傾斜にそって排水溝にちゃんと向かうようになっている。

お気に入りの親族-彼女は夫人のアシスタントとしてはたらいていた-の寝室があり、そこは当時のアメリカ人が考える東洋風味に満ちている。日本から取り寄せた和紙やら日本からとりよせた桜の木でつくった暖炉周りの装飾などがあった。

別の部屋にはこの建物の中で一番高価な窓がある。色ガラスが埋め込まれており、日が差してそれが乱反射する様子はどんなに美しいでしょう、というがその窓は北向きに取り付けられ、しかもすぐ先に別の建物があるから永遠に日が当たることはない。しかもそのすぐ隣には当時の価格$2の安っぽい窓がある。ほかにも天井にぶつかっている階段とか、どこにも通じていない階段とかがちらほら存在している。

地下に行くと洗濯室がある。洗濯は当時1サイクルを回すのに二日間かかる大仕事だった。でもって夫人はここでも合理的精神を発揮し、その作業が少しでも楽になるように洗い場を設計したとのこと。とはいえ彼女も「全自動洗濯機」を見れば仰天するにちがいない。思えばいい時代になったものだ。などと考えながら歩いていると、あちこちにトイレがあるのに気がつく。夫人は私のようにトイレが近い人間だったのかもしれぬ。しかしいかに巨万の富を持っていた彼女でも家にウォシュレットをつけることはできなかっただろう。そう考えると私はかつての王侯貴族が夢見ることもできなかった生活をしていると考えることができ、その一瞬だけはちょっとご機嫌になる。

ちなみに近代的な消防法が制定されたあと、全館にスプリンクラーが設置されたらしいのだが、図面もない状態で全室に設置するのは相当な難工事だったのだそうな。

彼女が姪と食事をとったとされる部屋もある。全般的に言えることだが天井が低く、部屋の数は多いのだがこじんまりとしている。彼女の趣味に合わせたのか、当時の建築物はこういうものだったのかはよくわからない。確かこの部屋かその近くに上下逆にとりつけられた柱があった。

そのあと別の部屋にいくと、ここはなにやら工事中のように見える。なんでも一時この近くにはさらに高い塔があったとのこと。しかしカリフォルニア全体に被害をもたらした大地震で倒壊してしまった。その時夫人も一室に閉じ込められ救出に相当時間がかかったとのこと。でもって夫人は

「これは建物の改築にあまり時間をかけすぎている、という天からのお告げよ」

とかなんとか言い出したらしく、このエリアは封印してそのままにしたのだそうな。上に登るとあたりを見回せる部屋に出る。ひさしぶりに陽の光を浴びるとうれしくなる。見渡せば様々な屋根やらてっぺんの何かが見える。その様子はやはりどこか異様。傍に煙突があるのだが、その煙突はそこで止まっている。つまり天井まで貫通していない。一部が崩れているのだが、なんでも

「2回の大地震で、崩れるものは崩れてしまった。だから今ある建物は地震のときに一番安全だ」

とどこかの先生が言ったのだそうな。

夫人は、この家を作り、そしてメンテしてくれる人たちにとても待遇をよくした。そしてその人たちも夫人を尊敬し、彼女のプライバシーをよく守ったとのこと。壁に大工たちの写真があり、一番右に立っている汚れた服を着た男がどうだとか言ったが聞き取れない。最後に「気味悪い話でしょ。でも気味悪い話があると、お金がとれるのよ」という。最後に近いところで、Ballroomに案内される。ディズニーランドにあるホーンテッドマンションの一室のモデルともなった部屋だそうな。窓が二つあり、そこにはシェークスピアからとった言葉が二つ埋め込まれている。しかしなぜその二つの言葉を選んだかは夫人にしかわからない。ここにあるシャンデリアは輸入品でもともと12個のランプがついていた。彼女は特別に一つランプをつけくわえ、13にしたんだそうな。ほかにもカーテンレールが13個とか13という数字を何度か聞いたが忘れた。(公式サイトによればトイレは13あるらしい)

このBallroomにはものすごい金がかかっており、夫人は当時の相場の2倍の給料を大工たちに払っていたとの事。そうした事が当時の「地域の雇用維持」にどれほど役だったかを案内人が力説する。そりゃそうだ。こうやって死後長い間もたくさん人を雇用しているくらいだから。私が莫大な金を稼いだら、こういう「名所旧跡」になるような場所を作ることにしたいと前まえから考えている。資金を得るめどが全くたたないという小さな問題さえ解決できれば今すぐ実行に移したいのだが。

ちなみに別の本にはこんな記述もある。

うんざりして不満を抱いていた大工たちは、サラの死の知らせを聞くと、くぎを途中まで打ち込んだままで、作業を中止したそうです。

正面玄関を裏側から見るエリアがある。ここにはすごく立派なドアがあるのだが、一説によるとそのドアを通ったのは夫人とドアを設置した大工二人だけだったと言われている。お客様が来た時用の部屋もあるらしいのだが、そもそもここを訪れる人があったかどうかは定かではない。前述の本にはセオドア・ルーズベルトも追い返されたと書いて有るし。

その先の部屋でツアーはお開きとなる。出口は最初にはいった土産物屋に続いており、そこからまともにいくとすぐ出てしまうがそれだけでは勿体無い。ツアーの集合場所に行き、そこからこんなところにはいる。

ライフル展示場

ウィンチェスターのライフル展示エリアである。

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注釈