題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る
日付:2016/9/8


若獅子神社:静岡県(2016/7/16)

車のハンドルをにぎるとぶるるるるん、とエンジンを始動させる。富士市の天候は曇り、気温はこの季節にしてはまあ快適。なぜ私が富士市にいるか聞かないでほしい。とにかく今日はここから出発するのだ。

カーナビ様のお告げに従い、坂道をだらだら登っていく。登坂車線があるところではそちらに入る。私は別にトラックを運転しているわけではないが、坂道を早く駆け上りたい人はたくさんいるだろうし、私は

「無事故で到着できれば満点」

だと思っている。どんどん先に行ってください。

そのうち今日の目的地を示す看板が見え出す。国道を曲がり、もう一度曲がる。するとあっさり目的地が見えてくる。駐車場に車を止める。


駐車

ここが今日の目的地若獅子神社である。入り口には門柱がある。

門柱


ここは陸軍戦車少年兵学校があった場所とのこと。とはいっても学校自体昭和十四年にノモンハンの教訓を反映して作られ終戦とともに廃校になっている。しかもこの地に移ってきたのは昭和十七年だから、この地にあったのは三年に過ぎない。

今でも富士の裾野には多くの自衛隊の施設がある。私は三十年前富士演習場を雨合羽を着て走り回っていた。

斜面

かつての学校の地図がこれ。門柱があるところから斜面下にはずっと兵舎が広がっていたのだろう。かつての校舎と今の塔等が区別なく書き込まれており、少し戸惑うが。

かつての地図

この場所の由来をみれば、神社自体は昭和五十九年に作られたというからそう古いものではない。

正面

となりにある若獅子の塔は昭和四十年というからもう少し古い。そのあと戦車の修復経緯をみても思うのだが、まとまったお金がどん、とはいるわけもなく、こうした施設は少しずつ作られていくのだろう。

若獅子の塔の脇には学校についてあれこれ書かれている。この地で何百人もの少年たちはどのような生活を送ったのだろう。そして戦車兵といえば聞こえはよいが、航空兵と比べてもその「戦車」の質の差は明らかだった。

97式-正面

サイパンで撃破された97式戦車。主砲は旧式な57mm砲で新式の47mm砲ですらない。とはいえ鉄砲だけ持っているところにこんなのがノッシノッシと進んできたら恐ろしいと思うのではないか。正面には誰が置いたか戦車の模型がおいてある。

戦車模型

側面には銃弾の後がいくつもある。

弾痕

とはいってもこれらに穴は開いていないようだから、小銃か機銃弾だったのだろうか。周りをぐるっとまわる。キャタピラーの上に張り出ている部分がほとんど欠損していたらしく、色の異なる鉄板で再構築されているように見える。

後ろ側

おそらく修復前はこの角度からみたらもっと貧弱だったのだろう。展示を見ると、この戦車は日本に帰ってきてから2度にわたって修復工事が行なわれていることがわかる。これもまた「一朝一夕」とはいかんのだろう。

ここには100トン戦車のキャタピラもある、とネットで見たが展示はされていないようだ。そもそも社務所が開いていない。この97式戦車の部品を盗む不心得者がいるそうだから、展示もそう簡単にはいかないのだろう。

先日この100トン戦車の図面が発見されったというニュースがあった。太平洋戦争が始まってから試作されたにもかかわらず、その形状、コンセプトはヨーロッパの大戦前の(そして結局成功しなかった)多砲塔戦車を思わせる。日本は質よりも生産能力において打ち負かされたというのがよく聞く説明だが、本当にそうだったのだろうか。物量で負けたとは技術、構想においても遠く及ばなかったことの体の良い言い訳ではないのか。そんなことを考えながら神社の周りをぐるっとまわってみるが、これ以上見るものはないようだ。帰途につくことにする。途中道を間違え大回りをする。すると目の前にこんな風景が広がる。

富士山

この光景だけは当時も今も大きくは変わるまい。

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注釈