二度目のカナディアン・ロッキー
(2006/8/16〜27)

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日付: 2006/9/23


馬齢を重ね、海外旅行でさえ同じところへ2度目というケースが 出てくるようになってきました。
昨年秋には台湾の玉山へ行き、2度目の登山を経験しました。
今度のカナディアン・ロッキーへも、9年前、1997年に訪れています。
そのときは一人で、レンタカーを使い、カルガリーからジャスパーまで旅したのでした。もう10月も中旬でしたから観光の最盛期は過ぎていて、静かで原始的 な雰囲気を楽しんだと思っています。


今回のグループは男ばかりの8人連れパーティ、一番若いのが 62才で上は76才、60台が6名、70台が2名という編成でした。
みんな山男ばかりです。ローストビーフや中華料理に入っている牛肉は、もちろん気にもしないで食べました。でも、このほかに立派なビーフステーキも2回、 わざわざ注文して食べたのです。場所こそアメリカではなくてカナダでしたが、BSEのBも話題にならなければ、全頭検査の全にも気が回らないで、ただ、や れレアだとかミディアムだとか注文してペロッと平らげたのです。こういう人間(65億4千万人 マイナス 1億2千万人 X α)ばかりだと、日本のマスコミもやり難いに違いありません。
時期は8月中〜下旬、まさに観光の最盛期でした。
いろいろの男が8人もいたのですから、ひとり旅ではまったくできないような経験も沢山ありました。
そんなグループ旅行のお陰で経験することができた諸点を取り上げて書いて見たいと思うのです。

★カナディアン・ロッキー
・アシニボイン山(3618m)
ポスターには必ず登場する、カナダのマッターホルンといわれる象徴的な尖峰です。
もちろん。わたしたちは登ったわけではありません。メイドック湖をへだてこの山を望むアシニボイン・ロッジ(標高1200m)に2泊し、周辺をハイキング したのです。
ここへは週に3日飛ぶヘリコプターで入るのが普通です。ロッジの定員は30名、一年前から予約が始まります。
したがって、お客さんはニュージーランドのミルフォード・トラックのときと似た雰囲気でした。ある意味で簡素、ある意味で豪華、夕食に出た自家製のパンは 持って帰りたいほどの味でした。


・雪纏い群を抜く山ありにけり

・山小屋の発電機吐く秋の水

・山小屋にざらざらの顎さすりおり

・ジェイムズ・ヒル(2640m?)
標高を尋ねられた女性ガイドが、地図の等高線を読んで2640mと答えました。わたしのGPSも2.63kmを示していました。
一見、登ることができるかしらというように険しく見えましたが、取っついてみれば、ゴロゴロした岩を無茶苦茶に登っているうちに頂上に着いたのでした。
森を抜けると、もうあとは小径どころか踏み跡さえなくて、草原を勝手に歩くのです。頂上で解散でしたから、下山途中、われわれグループだけで草原に車座に なり、お喋りしていたひとときは、まさに、この世の天国でした。

・花に馴れ花を心に花野ゆく

・花野ゆく世知辛き世に足任せ



          右がジェイムズ・ヒル

・サルファー・マウンテン(2285m)
バンフの近くで、ゴンドラが山頂近くまで通じています。訪問客のほぼ半分を中国人・韓国人など東洋系が占めていて、観光の山という感じでした。

・ウィスラー・マウンテン(2285m)
ジャスパーの近くにあり、ゴンドラの山上駅から約30分の登りで、山頂に達することができます。遠く霞のかなたに、うっすらと白く、カナダ最高峰のマウン ト・ロブソンが見えていました。これも観光客の山です。

・登山地図求む若きら羨(とも)しとも

そう、若い人たちには、これから登る山も、地図も、そして将来もあるのです。

・ラーチ・ヴァレイの頭(約2200m)
モレイン・レイクからのハイキングコース。湖畔からの標高差約500m、1時間30分。この頂きから、カナダの古い20ドル紙幣のデザインに使われたテ ン・ピークス(十連峰)を望むことができます。この日の行動はここまでで、驟雨に追い返されてしまいました。
地図を見ているうちに、よく教科書に出てくる5億3000万年前、古生代の始めに海底に堆積したバージェス地層は、ここの西のほうであることがわかりまし た。そこからは、アノマロカリスなどいう、ゴカイのようなエビのようななんとも不思議な節足類の化石が出てくるのです。

・フェアビュー・マウンテン(2740m)


有名なレイク・ルイーズの湖の左にそびえ立つ山で、湖の側には すごい絶壁をめぐらしています。左手から山の裏側に回り登ることができます。標高差約 1000m、3時間30分でした。この山の頂上では、観光客たちにとっては湖岸から眺めるだけの、3000mあたりにある氷河が眼前に迫り、登山路を除く 3方が切れ落ちていて高度感がありました。
下山路で稜線から左へ外れるところは、馬の鞍のような鞍部になっていて、サドル・パスと呼ばれています。足の遅いわたしが着いたときには、HさんとSさん とは、もう、この鞍部から反対側にあるサドル・ピークに登り始めておられました。ガラガラの岩の斜面を、右に左にとルートを選びながら高度を稼がれ、山頂 からお二人が手を振られるまで、ゆっくり見物していました。
Hさんは知る人ぞ知るピークハンターなのです。その登頂数は1400頂を超えたと聞きます。無口な方ですが、実にクールな頭脳の持ち主で、道のない無名峰 だって、こうして着実に手にしてゆかれるのです。
どこかの空港で、グループが離ればなれになってしまったとき、「向こうグループにHさんが入っているから」と、だれも心配しませんでした。


★グリズリー

グリズリーとは、このあたりに住んでいる大きな熊のことです。北海道のヒグマと同じで人間にとって強敵なのです。
今年は、熊の好物であるブルーベリイなどの果実が、平年より1カ月早く食べ頃を迎えたとのことで、一部のハイキングコースは警戒態勢に入っていました。具 体的に、法律で6人以上のグループでなければ立ち入り禁止とされています。出会い頭にばったり出会って驚かすことのないように、声、音などで事前に人間の 所在を熊に知らせのがよいとされているのです。

Sさんは「それじゃ、認知症の話でもしながら歩くか」といわれました。
わたしの父も、今風に言えば認知症でしたから、Sさんの身内の方についてのお話は、身につまされることばかりだったのです。
お話の中でふたつほど、とくに心に染みた点がありました。
正式に遺言状をととのえ、先に亡くなられた奥様のお墓に、こうしたからと報告にゆかれたのだそうです。そして駐車場まで戻ったとき、ご本人が一向に車に乗 ろうとされないのです。「いきましょう」そう促されると、「あれがまだ来んではないか」と、幽冥境を異にされた奥様がくるのを待っておられるご様子だった のだそうです。
そのときは思い違いだったと誤魔化されましたが、ご家族が認知症の症状に気がついたのはこれが最初だったということです。

もうひとつのお話はこうです。
どこの家族でも、家族というものは本人のためを思って、病院に行って診て貰うようになどと、ストレートな言い方をするものです。それがご本人の気に入らな くて、「お前らには遺産はなにもやらん。全部あれにやる」といって激怒されました。その、あれというのは、もうとっくに亡くなられた奥様のことなのだそう です。
わたしもよくストレートにものを言って、人の怨みを買った経験があります。そのことについて、どうしたらよいのか、いまだに答えを出せないでいます。
こんなように、周りの方々の困惑も理解できますが、奥様への愛情は美しいお話としか言いようがないではありませんか。
ともかくこうして、声の大きいSさんから、身内の方についてのお話を延々と聞かせていただきました。
お陰様で、今回の山旅をとおして、まったく熊には出会いませんでした。

アシニボイン・ロッジのリビング・ルームで、くつろいでいたときのことです。
外人たちは、いろいろジョーク混じりの会話を楽しんでいます。
わたしといえばチーズをかじりながら、紅茶を楽しんでいました。
日本でしたら、わたしは徹頭徹尾聞き役にまわり、みなさんのお話を楽しんでいたに違いありません。でも、このときは、日本人は社交嫌いで、自分たちだけの 世界に引きこもっていると評判されはしないかと気になりました。
いい年をして、こんなときには、まだ日の丸を背中に背負っているのです。
つい、下手な英語で、先程Mさんから聞いたばかり話をお借りして、披露してしまいました。


             山の淋しい湖に

「レイクサイドで写真を撮りながら歩いていたら、外人夫婦と行き会った。
親密の意を表するために、ここいらで熊(ベア)を見かけませんでしたかと半分冗談で声をかけてみた。ところが先方様には、いや、わたしたちはビール(ビ ア)は持ってませんと、真面目な話として受け取られてしまった。しばらく噛み合わない会話が続いたが、そのうち相手のご婦人が熊が立ち上がり前足で引っ掻 く仕草をして、このベアかと言ったので、めでたく懇親の本意を遂げたのであった」。
その日の夕食時、われわれ一行がビールを注文すると、ロッジの女の子が、わざと大きくベーア?と言って前足で引っ掻く仕草をしてくれたのでした。

ロッキーに解せぬ会話を聞きいたり

★洗車

泊まったキャンモアの街から、アシニボインへ飛ぶヘリポートまでの道の大部分は、未舗装の砂利道でした。車は、もうもうと砂塵を巻き上げて走るのです。当 然、車はホコリだらけで真っ白になります。


      ・秋の峪ふっと消えたるヘリの音

レンタカーなのですが、洗おうということになりました。この行為は、わたしの発想にはないことなのです。
とりあえず宿の前の水道のホースで水をぶっかけて洗いました。ところがあとから、カナダの町なかでは、車は道路で洗うものではないと聞かされたのです。な ぜかというと、側溝が詰まったり、細かい土埃が舞い上がったりするからだそうです。
英語の堪能なKさんが宿の人に、ごめんなさいと謝ってくれました。「いいよ、いいよ、気にしなくていいよ」と答えてくれました。犬のオシッコぐらいのエチ ケット違反なのでしょうか。
それではということで、コイン洗車にゆきました。
そこには6台分の設備があり、4台は洗車中でした。空いているブースへ入れると、「故障」と札が掛けてあります。こりゃダメだなどいっていると、おじさん がきて「壊れてるのはブラシだけで、どうっていうことない」というのです。そして「お前らルーニー持ってるか、クレイジー・ルーニー」というのです。
どうもカナダでは、1ドル硬貨をそう呼ぶらしいのです。その硬貨を入れると、ちょっとの間、勢いよく水のジェットが出るのでした。
あとで硬貨をよくよく見ると、若くて美しいエリザベス女王の肖像が打ち出されていました。まったく恐れ多い呼び方をするものです。
おじさんは、石鹸水の出し方、水の噴射しかたなどやってみせてくれ、とても親切でした。
ところがKさんは「そこまでやってくれるのなら、自分の硬貨を使ってやってくれればもっと親切なのに」と、日本語でつぶやきました。わたしは、その軽妙な ユーモアのセンスを羨ましいと思いました。

★球打ち
旅行中は全般的に天候には恵まれましたが、後半はやや不安定になってきました。
雨が降り気温が下がるという予報の日に、ゴルフをしようということになりました。だれかが「昔の大坪さんのムードになってきましたね」と冷やかします。世 に在りし頃は「お天気ならば山登り、雨ならばゴルフ、ゴルフなら危険じゃないから」と、えらそうに放言していたのかもしれません。
キャンモアの街から車で30分ほどのゴルフ場にゆきました。
9ホールのコースで25ドル、おなじコースをもう一度廻れば18ホール40ドルになります。
このゴルフ場は、所有者らしき年配の男性、受付の女性、青年、と合計3人だけで切り盛りしているようでした。
受付の時に、天気予報が大変悪いがそれでもやるのかと念を押されました。
カートにクラブを乗せ終わると雨がやってきました。クラブハウスで1時間ほど、雨樋がざあざあ溢れるのを見ていました。
さて、最初のホールをすませてみると、4人にパターが3本しかないことが分かりました。また、だれかがピッチングを持つと、あとの人は8番でアプローチを することになるのです。そうかと思うと6番アイアンは何本もあり、当然シャフトの長さがまちまちなのです。
クラブに到着したとき、青年がバッグにクラブを選びながら入れていたのが正解だったのです。そのあと、雨に濡れたからといって、おじさんが乗せ換えてくれ たバッグは保管用だったのでしょう。

わたしの第一打はフェアウェイの右端にゆきました。行ってみると白いものは見えません。そして芝生から先は突然長い草がボウボウと生えていて、探していれ ば一日かかりそうな様子です。フロントで、ひとりあたり5個づつボールを買った意味がわかりました。このときは、この調子では、たった5個では最後まで回 れないのではないかと不安になりました。
ところが公平といえば公平、だれもがこんな調子ですから、ちょっとラフに入ると見捨てられたボールが偶然見付かるのです。ケチなわたしは最初よりボールの 数が増えてしまいました。
もっとも拾ったボールを使い、ショートばかりしながらやっとグリーンにあがりパットすると、音がしないではありませんか。とんでもなく年期の入ったボール で、反発力がすっかりなくなっていたのでした。
基本的にラフに入るとロストボールになるのですから、OBラインの白い杭は見あたりませんでした。
こんな状態ですから、見つからないといってロストボールを宣告したり、元の場所に戻って打ち直したりするのは、あまりにも硬直的、自虐的ですから「遊びの ルールは4人で決めればいい」という甘い言葉にほだされ、自分だけのルールで一応打数だけは口にしていたのです。
以上が、この日のプレーをあえてゴルフといわずに、「球打ち」とした理由であります。

・ゴルフボール隠れん坊カナダの夏草に


・ ロッキーの心の色の花野かな

★温泉

雨中の球打ちで冷えた体を暖めにバンフの温泉にゆきました。
シニア割引がありましたが、年齢を確認してもらうために本物のパスポートを見せたのは、いかにも大仰に感じました。
水泳パンツに着替えて入り、要するに、日本各地の屋外温水プールと少しも変わりません。結局、最初に申し合わせた集合時間よりもかなり早く、全員上がって しまいました。
監視台の横に、事故者を引き上げる道具が備えてありました。機能的なのでしょうが、その竿の先に紐の輪をつけた格好には、絞首台のロープを連想させられ違 和感がありました。
「なにせ外人はデブさの桁が違う。日本でも最近はメタボリック・シンドロームなどおどされるが、ここに来て見てすっかり安心した」との声が聞かれました。 カナダの温泉には、こんな癒しの効能もあったようです。

★カナダの影は薄いのか
久し振りに昔の仲間と、楽で、愉快な、そして綺麗な景色をいっぱい見る旅をさせてもらいました。
帰路、ミネアポリスから成田への便では、幸運にも窓際の席に当たりました。
最初は湖の多い土地の上を飛んでいました。やがて大規模な畑作地帯になり、森にさしかかりました。
エドモントンの北東あたりで、森の中に縦横に道路が走り回り、取り付き道路と小さな裸地の組み合わせが無数あるのが見下ろされました。
天然ガスと原油の井戸に違いなさそうです。こうして旅の終わりには、勉強の時間もついていたのでした。
カナダはエネルギー大国でもあるのです。カナダ西部から、アメリカ中部のミネアポリス、シカゴに向けて石油、天然ガスのパイプラインが伸びているのです。
またカナダ東部では、先年訪れたジェームズ湾付近の巨大な水力発電所から、ニューヨーク州などへ電力が送られています。
カナダの国土は日本の27倍の広さがあり、3,200万人(2006/5月)の人が住んでいます。国民ひとりあたりのGDPは約3万ドル/年、日本の約 80パーセントです。カナダの国力は、かように世界の中でも決して小さいものではありません。
先住民族インディアンとのトラブルだって、アメリカと同様に抱えているのです。
それなのに、カナダという活字は、新聞紙上に年間何回顔を出すことでしょうか。カナダの首相の名前を言える日本人は、いったい何人いることでしょうか。
ま、世の中はそういうものなのです。そしてこの事実から、カナダが、平和で住みよい国であることは間違いないと保証できるのです。

・ゆさゆさと胸揺らし来るカナダの娘(こ)


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