氷と火の国アイスランド

(2009/7/4〜14)

重遠の部に戻る

昨年秋のヒマラヤ越え・チベット旅行のときと同様、日本山岳会自然科学研究会が計画した旅です。
テレビや新聞の地震解説では、太平洋の方から動いてきたプレートが日本列島が乗っているユーラシア大陸に潜り込み、その蓄積された圧縮力が一気に解放され るのが海溝形大地震なのだといわれています。もっとも、太平洋の底に住んでいる魚たちは、ユーラシアプレートが自分たちの方にのし上がってきていると思っ ていることでしょう。ともかくここに圧縮力が加えられ縮んでいるのですから、地球の表面のどこかが広がっていないと、地球は丸い姿を保てません。その広 がっている場所がアイスランドだというのです。その一連の動きの中で、日本の山は1年間に数ミリメートル高くなっているのです。
「山はどうして高くなったか」を研究テーマにしている我々としては、見学に行かないわけにはいけないことになります。

アイスランドは、メルカトル法で描かれた普通の地図で見ますと、ずっと左上の隅、北欧のまだ先にぽつんと書かれています。でも、丸い地球儀で調べるとわか りますが、近道は北極経由なのです。まず、進路を真北にとり、北極を過ぎたら20度ほど左に変針し、日本から北極までの距離の3分の1ちょっと行ったとこ ろにあるのです。北緯64度から66度、それがどれぐらい北かといいますと、千島列島やカムチャツカ半島より遙かに北、シベリアとアラスカの間にあるベー リング海峡の中程の緯度になります。
一行は16名、女性は5名、東海支部からは私の外にも1名参加されました。

7月5日、11時成田発、コペンハーゲンで乗り継ぎ、レイキャビク空港まで実飛行時間は14時間ほどでした。例によって貧乏性の私は、前夜23時名古屋発 の夜行バス利用ですから、長い旅でした。アイスランドは日本との時差が9時間ありますから、この日は24+9=33時間と長い日なのです。そのため同じ7 月5日の22時、まだ明々と白夜の太陽に照らされたホテルに着いたのです。

7月6日、この日は、間欠泉やいくつかの滝、氷河や海岸の景勝地など、アイスランド島南岸中央部を見学しました。普通だったら2日かけて回るポイントを1 日で回る、盛り沢山のスケジュールでした。
朝飯はバイキング、ここアイスランドは千余年前、バイキングたちの活躍の舞台だったのですから、これこそ本当のバイキング料理と軽口を叩いていました。
最初はシングヴェトリール国立公園に行き、地球の割れ目ギャォを見学しました。崖の上に立ちました。目の前に一面緑の広い谷があり、右手に見える大きなシ ングヴァトラ湖に穏やかな小川がそそぎ込んでいます。眼前直下には小さなホテル、やや遠景には小さな教会があり、建物はいずれも赤い屋根と白い壁、いかに もアイスランド風です。

ここで2点、説明がありました。
その第一点は「いま我々が立っている崖の上は北米大陸、広い谷の向かい側に見えているのはユーラシア大陸、その間に地底からマグマが上がってきている。地 表面にできたギャォと呼ばれる割れ目が、毎年数センチずつ広がっている。ここで広がっている分、地球の裏側、日本の東で北米プレートがユーラシアプレート に沈み込み、巨大地震の原因を作っている」。

ここは北米、向こうはアジア、中に拡がる地溝帯


第二点は「ここのギャォの一つが、930年、世界最初の古代民主会議が開かれた議会民主主義発祥の地であること」であります。
ギャォについては、このあと何回も見ましたので、その幾つ目かを訪ねたときに触れることにして、ここでは古代民主会議についての感想を述べさせていただき ます。
国家としてのアイスランドの特徴は、若い国であることです。物理的事実として、約一万五千年前に最終氷河期が終わり、地球温暖化が始まりました。それまで アイスランドは全島厚い氷に覆われていたので、例外を除けば動物も植物も存在しませんでした。考古学などあり得ない新しい土地なのです。ここへ人類が渡っ てくる出発点となる北ヨーロッパ自体も、氷河時代が終わるまで厚い氷に覆われていたのでした。この島に人類が最初に定住したのは、870年だったとされま す。それ以前に足跡を印した人類も存在したには違いありませんが、オセアニアから南太平洋の諸島に移住が始まったのは数千年前でしたから、まったく時代が 違います。
900年といえば、日本では菅原道真が太宰府に左遷され「東風吹けば」と歌を詠んでいた時代です。その時代に、北海道と四国を合わせたぐらいのアイスラン ドの海岸線にばらばらと住みついた、1〜2万人と推定される人たちに国家意識が芽生えたことは、不思議ではありません。その時代、人々の命を脅かす共通か つ強大な敵は、寒さであり氷だったのです。隣人と争いをしている余裕はなく、共同体意識が旺盛だったのは理の当然でありましょう。高邁な理想としてではな くて、ただ、自分たちの命を苛酷な自然から守るのに最適な形態として、議会民主主義を選択したのだとは考えられないでしょうか。
ついでながら、数年前スコットランドやアイルランドを旅したとき、私は次のような疑問を感じていました。「どこの博物館の展示でも、ケルト人が住んでいた ところに○○年頃、XX民族が入ってきたと説明されているが、ケルト人の前はどうだったのか、ケルト人って何だろう」と。でも、こんど氷河期時代の面影を 残すアイスランドを見て、日本のように温帯に位置し、数万年前の人類の生活跡が認められる土地とは違って、ヨーロッパの人類の歴史は意外に短いことが腹に 落ちたのは、今回の旅のひとつの収穫でありました。


どよもせる滝も氷河も巨大なる


このあと、グルト滝(グルトフォス)を見ました。河幅70m、落差30mほどの滝が3段ほど、連続し落下しています。物凄い水量で、荒れ狂う流れ、湧き上 がる水煙、轟く咆吼と滝の王者の貫禄を見せていました。近くに、この滝を外国発電資本から守り抜いた少女シグリットの銅像がありました。なにか、外国に対 する肩肘張った感情が、この国のどこかにあるようです。アイスランドはワシントンとモスクワのちょうど中間点に位置しています。アメリカにとって戦略上重 要な地点でした。2006年までの約60年間、アメリカ軍の駐留を経験しています。この島国の周囲をめぐる国道1号線は、アメリカが作ってくれたと言って もよいもののようです。それなのに、やはり外国人が出て行ってせいせいしたと思う人もいるとのことでした。

次に、ストロックル間歇泉に行きました。かって、この隣にあったゲイシール間歇泉が大変に有名で、英語で間歇泉のことをガイサーという語源になったといわ れます。でも、この元祖間歇泉は、現在は活動を停止しています。現在、世界で一番高く水柱が上がるのは、アメリカにあるスチーム・ボートという間歇泉だそ うです。それは水柱が高い代わりに、一日に一度しか噴出しません。ここのものは公称噴出高30mですが、約7分間隔で噴出するので、観光用には適していま す。私たちが見た最初のものは、3〜4mのしょぼしょぼした水柱でした。次のは12〜13分後に高い立派なのが吹き上がりました。

一瞬の間欠泉や山は夏

自然現象では、天体の運行のように規則的なものは少ないのです。だから平均値で取り扱うのです。それを人間が勝手に規則的なものと仮定 して、平均値からずれると、「異常に」とか「不吉な前兆」とか囃して楽しんでいるのです。

この日このあと、滝を二つ見物しました。こんなにしてアイスランドの旅を終わるまでには、名の有る滝を八つも見ました。いずれの滝も立派なものでした。

滝壺の虹をまといて写さるる


さて、言うまでもなく滝というものは、水が落下しているものであります。そのエネルギーは、水車と発電機を使って電気エネルギーに変えることができます。 ここで少し、アイスランドのエネルギー事情を見てみましょう。

★ウィキペディアにはこのように書かれています。
〈エネルギー政策 として、1980年代からクリーンエネルギー発電への切り替えを推し進め、エネルギー政策先進国として世界から注目を浴びている。現在では国内の電力供給 の約80%を水力、約20%を地熱から得ており、火力・原子力発電所は一切無い〉。

★アイスランドを語るときによく引用される書籍「地震と火山の島国」には、〈日本もほかの大部分の国とくらべれば地熱が多い国だ。しかし地熱発電はほとん どおこなわれていない〉と述べられています。

★NEDOの海外レポートにはこんな表と、こんな記事が書かれています。


ア イスランドの一次エネルギー (2005年)

水力 地熱 石油製品(輸入) 石炭(輸入) 合計
16.3% 54.9% 25.9% 3.0% 100%


〈アイスランド の一次エネルギー消費の内、71%が水力および地熱の再生可能エネルギ ーであり(表参照)、近代経済国家としては断然トップに位置している。2006年IMF(国 際通貨基金)統計によれば、同国の国民一人当たりGDPは世界の上位5番目に位置して いる(日本は18位)。水産業や陸上輸送への機械化導入が20世紀に入ってからという後発 国で、20世紀半ばまでの主なエネルギー源は国産泥炭と羊の乾燥糞であったが、一世紀の 間に貧困国から富裕国へと脱皮した。2050年までには化石燃料に頼らない水素エネルギー社会を確立することを標榜しており、既に燃料電池自動車のバスの 運行、水素ガス供給ステーションの建設が始まっている〉


★下記に、今回の旅行でガイドさんから入手した数字をあげます。ランズヴィルキュンという主力電力会社のものです。

             単位はGwh、( )内は対前年伸び率

  2008年 2007年 2006年
総発電量 12345 (146) 8481 (114) 7428
水力 11866 (149) 7963 (115) 6918
地熱 479 (0.92) 518 (1.02) 510
購入電力 402(0.95) 422(0.91) 463
一般需要 2418 (0.91) 2645 (106) 2497
大口需要 10330 (165) 6258 (116) 5393


水力発電所  11カ所 179.7万キロワット
地熱発電所  2カ所  6.3万キロワット
化石燃料発電所1カ所  3.5万キロワット

以上のデータから何が読み取れるでしょうか。

私には、エネルギー事情が急速に変化しつつあること、アルミ精錬などの大口需要が急増していること、その急増する需要には水力発電で対応しているこ と、な どが見えるように思います。

ちなみに、日本の地熱発電は1966年から始まり、現在50万キロワットを越え、アイスランドとほぼ同量です。いずれにせよ、最新の実情が把握でき ず、何 とはなしにメルヘンチックで、やはりアイスランドは遠い国だなと感ずるのです。

アイスランド版玄武洞


さて、この日はこのあと、デュールホライエの海岸でいろいろの奇岩を見てヌーパルのホテルに向かいました。
前々夜からの疲れで、途中うとうとしていました。ふっと目を覚ますと、バスの窓の外に異様な風景が広がっていました。確かに溶岩原なのですが、それがあま りにも広く、またあまりにも水平だったのです。東海道本線の原駅あたりで海側を見たときの、あの平地が、すっかり溶岩で出来ているといった様子なのです。 高温の玄武岩で粘度が低く、あたかも水のようにさらさらと流れ出したとしても、なお、その後に地殻変動を考えないと納得できないほど水平に近かったので す。一行の中のどなたかが「この溶岩流だけでも世界遺産の指定を受けられるのではないか」と仰ったほどの奇観でした。


7月7日、この日はアイスランド島南岸の、中央やや東寄りの地域の見学でした。朝一番に軽くハイキングして滝をひとつ見て、あと大洪水の跡、氷河湖、パ フィン鳥の住む島と見て歩きました。

大洪水といっても、ただの大雨による洪水とは違います。13年前、1996年、氷河の底で噴火が始まりました。このバトナ氷河は氷の厚さが最大約 1000mもあるのです。噴火の熱で氷は溶け始め、底に湖が出来始めます。その上の氷が重さで沈み始め、中華鍋のように凹みました。3日後、とうとう氷を 突き破って噴煙が上がったのです。噴火そのものは3週間ほどで下火になりました。でも噴火の熱は氷を溶かし続けています。噴火から約1か月あとの11月4 日、とうとう氷河の底に貯まっていた水が一挙に流れ出したのです。洪水は3日間続き、流れ出た水の総量は35億トン、ピーク時には毎秒4万5千トン、洪水 の巾は20kmという凄まじいものだったのです。流れ出た土砂が海を埋め、海岸線が800mも沖合に動いたのです。ここはスケイザルアウル砂原と呼ばれて います。ここバトナ氷河では、こんな氷河の底の噴火が、最近1000年の間に60回もあったことがわかっています。「地獄の釜の蓋の上に住んでいるような ものだな」と、だれかが感慨を漏らされました。
そのときねじ曲げられ引きちぎられた鋼鉄製の橋桁が、記念碑として展示されていました。

氷河底洪水記念の橋桁


このあとヨークルサルーン氷河湖を見に行きました。スマートな姿の鳥、極アジサシが盛んに翔んでいました。この時期、夏の繁殖時期には北極圏で生活してい ますが、後の半年は南極圏で、その地の夏を過ごすのです。最長距離を移動する渡り鳥で、その往復距離は32000kmにも達します。
ベトナム戦争で使われたとかいう水陸両用車が、ズカズカと氷河湖に走り込み観光が始まります。観光料金は2000円ほどでした。アイスランドは、絵はがき 1枚買うのにも、クレジットカードを使う国なのです。ここの料金は当然カード払いです。どんな売り場でも売り子が携帯端末機を持っていて、カードを通して はキーを叩きます。暫くしてレシートと控えがズルズル出てくるのです。少額の場合、署名は省略されていました。携帯端末機は、JR車内で車掌さんが切符を 売る装置ぐらいなものです。現金取引と較べると、どうしても時間はかかります。バスの出発予告時間がきても顔が揃っていません。でも「○○さん、レジに並 んでたわよ」と聞くと全員納得です。
さて、地球が寒冷だった時代には、この場所は氷河が直接大西洋にそそぎ込んでいたはずです。氷河期が終わってから氷河はだんだん短くなり、40年ほど前、 氷河末端の部分が陸地に達し汽水湖になりました。海水の温度は高いので、冬でも湖面は凍りません。そして氷河の末端は急速に崩れてゆくのです。現在ここで 崩れている氷は、1500年前に降った雪が圧縮され、流れ下ってきたものだそうです。大きな湖ですから、崩れ落ちた氷が流され海に出るまで6〜7年かかっ ているそうです。氷河末端で崩れたばかりの氷はわりに平らですが、海に近づくにつれて融けたり、ひっくり返ったり、深いブルー色だったりして、いろいろ面 白い景色を造り出しています。その光景はジェームス・ボンドの映画のシーンにフィットしているため、何度も登場しているとのことでした。水の上をオートバ イで飛ばすわけにはいけませんから、撮影するときは氷河湖の出口をコンクリートブロックで閉鎖します。すると海水が入らず、湖面は凍りつくのだそうです。 実際、現地ロケに来たのはスタントマンたちだけで、本人を見られなかったと残念がっていました。

いま崩る千年を経しこの氷河


昨秋のリーマン・ショック以後、アイスランドは財政破綻や対外債務不履行に見舞われました。それで、帰国後、その面から「アイスランド、どうだった。値打 ちに旅行できたでしょう」などと聞かれます。一番正直のところ、私には何も分かりません。現地では、どうということもなく日は過ぎていました。唯一納得し たのは、「去年の夏前だったら1000クローナの土産物を買う観光客に、日本円では2倍して2000円とお答えしてたのに、いまは0.8かけて800円と 申し上げるんです」というガイドさんの話だけです。
ガイドさんといえば、観光地の別荘を見ながら、こうも言っていました。「去年までは沢山の人が借金して別荘を建てるし、休みになると若い女の子たちが大き なトランクを持って外国に行き、お土産を一杯買い込んで帰ってきたものだ。自分の子供たちの教育を考えると、いまのほうが良いと思う」。日本でも韓国旅行 が人気だといわれます。なにか日本と似ているような気がしてきたのです。
日本と似ているといえば、アイスランドは長寿国なのです。男性は日本を抜いて世界でトップ、女性は8位です。いずれにせよ上位の国では殆ど差はないのです が。
ついでに、違っている面も幾つかあげてみましょう。
アイスランドの国土面積は、北海道と四国を合わせたほどです。人口は約32万人、それで、ちゃんと大統領も首相もいます。左派 緑運動だってあるんです。
ちなみに名古屋市緑区の人口は22万人、名東区は16万人です。人口32万人の社会というのは、友達の友達までたどれば、みんな何らかの関係がありそうな スケールではありませんか。そのうち日本人は77名、日本人ガイドさんは4名だそうです。日本の領事が、全員を領事館に招待してくれる機会もあるそうで す。国の総人口の60%はレイキャビク首都圏に住んでいます。2番目は北部にある、人口僅か1万7千人のアークレイリ市になってしまいます。
道路の落石防止を要求した住民に対して当局が「落石の危険のある道路は国中に沢山ある。全面的に落石防止工事を行う金はない。通行中に落石で命を落とした としても、それはその人の運命だったのだ」と答えたと聞きました。日本だったらひっくり返るような騒ぎになることでしょう。この小さな国ならばこそ、どこ の道路をどのように改修するのか、それに誰が幾らお金を出すのかという因果関係が容易に認知されるのでしょうか。
国政では、現在、左派緑運動が一定の支持を得ているようです。因果関係が分かりやすいスケールの国ですから、冷静に、これ以上収入が増えなくても良いか ら、自然に手を加えるのを抑えようと感ずる人が多いのでしょう。このところの生活水準の急速な向上がベースにあるに違いありません。

このあと、パフィンの住むインゴルフズホフジ島へゆきました。フランスのモンサンミッシェルのような、砂州でつながった島なのです。ここでは海の浅いとこ ろを農業用の太いタイヤのついたトラクターが、干し草を乗せる大きな車を引っ張ってお客を運んでくれました。
海に面した断崖絶壁には、いろいろの鳥が住んでいます。観光客たちがお目当てのパフィンは、ニシツノメドリのことです。海中でも飛ぶように羽を動かし、高 速で魚を捕ります。そのため翼は小さく、空中を飛ぶときは忙しくバタバタしないと体が空中に浮きません。いってみればペンギンに近いのです。カモメと比べ てパフィンの数は少ないようで、やっと写真を撮って皆さん大感激でした。赤と黄色の顔と黒い体をしていて、「小さい修道士」という渾名のとおり、哀愁を帯 びた目をして海を眺めていました。パフィンやカモメたちの卵とか雛鳥を襲う盗賊カモメが、我々を威嚇しに襲ってきました。近づいてみると、彼らの雛がコソ コソと草むらに逃げ込みました。なんといっても地球上でもっとも獰猛な動物である人間が、地球の反対側からも侵入してきているのですから、盗賊カモメだっ て大変です。

絵はがきです。ごめんなさい


この島が、また面白い形なのです。東の端は高さ200mほどの絶壁なのに、西側は数度の傾斜で遠くの海面まで下っています。航空母艦が船首の方から沈んで ゆくようなスタイルです。このような地形はレイキャビクの方でも見かけました。氷山の下に溶岩が噴出して出来たテーブルマウンテンが、地殻変動で緩く傾い たのでしょうか。

7月8日、いままでは島の南岸沿いの見学でしたが、今日からは内陸に踏み込みます。この日はラキ噴火口列への往復です。

国道一号線の際に小さな教会が見えました。ある大噴火の時のことです。村人たちは教会に避難していました。溶岩流が教会に迫りました。牧師さんが神様に必 死にお祈りをしました。すると溶岩はみんなの目前で、ピタッと止まったと語り継がれています。1783年のことですから、因果関係はともかくも、実際に起 こったことであります。
ここからバスはF206号線で内陸に踏み込みます。頭にFの字がつく道路は、4輪駆動車で2台以上同時に行動することとされています。悪路に囚われたと き、もう1台で引っ張り出したり、どうにもならなければ人間だけ、残った1台で脱出するためです。内陸の悪路は9月にはもう雪がくるので、7〜8月だけ通 行が許可されるのだそうです。橋のない河にドボドボと入っては、渡って行きます。

この日も、まずはファグリ滝の見物です。アイスランドにきてから、名の有る滝は、もうこれで五カ所目です。そしていよいよラカギーガル(ラキ噴火口列)の 広大な溶岩原と小噴火丘の列が見えてきます。
ラキ火山の噴火は、人類が見た最大の噴火ともいわれます。つまり、過去20万年のうちで最大だったという表現です。大地が割れてマグマが吹き出しました。 アイスランド南半分では地溝帯は2筋に分かれていますが、ここは、その東側にあたる地域なのです。25kmにわたり、一直線に135個の吹き出し口があっ て、その当時の状況が残されています。ひとつの吹き出し口は1回吹くだけで、次々と隣へ移るので、ひとつひとつの噴火丘の高さは数十メートルです。我々は 中央にある小高い山に登りました。これはもっと古い時代に噴火で出来た山で、比高300mぐらいでした。頂上から眺めると、南西から続いてくる噴火丘の列 が足元を過ぎ北東へと続き、その先はバトナ氷河に消えてゆきます。まさにこの世ならぬ不思議な光景でした。

百を超す噴火口丘一列に


天明の大飢饉は、日本の近世で起こった最大の飢饉です。死者は全国で30万人とも50万人とも推定されています。天明3年という年は、4月には岩木山が、 そして8月には浅間山が噴火しました。その火山灰は江戸にまで達し、日照を遮り、数年前からの天候不順に追い打ちをかけ、大冷害、大飢饉を招いたといわれ ています。
同じ年の同じ月、1783年8月、ここアイスランドのラキ火山も大噴火を始めていました。以後、活動が収束するまでの半年あまりで、吹き出した溶岩と火山 灰は14立方km、一辺が1kmのサイコロ14個分、それと同時にフッ化水素800万トン、亜硫酸ガス1.2億トンも吐き出したのです。浅間山の噴火とは 全然違うスケールです。エアロゾルとなった微粒子は北半球の空を覆い、アイスランドでは、人口の5分の1を失いました。被害は全世界に及び、とくに北ヨー ロッパでは深刻でした。人々の疲弊が1789年のフランス革命の遠因になったともいわれています。
ところが上には上があります。2億5千万年前シベリアで溶岩が噴き出したときは大変でした。その溶岩台地の面積は150万平方km、その影響で地球は二千 万年間酸欠状態になり、あらかたの生物は死滅したといわれます。こうして古生代が終わり、は虫類と恐竜の時代、中生代を迎えるきっかけとなったのでした。

キャニオンと遠く拡がる溶岩原


こうして考えると、みんな何食わぬ顔をして暮らしていますが、地球も絶対に安全な星ではないのです。杞憂という言葉は「要らない心配をする」のではなく、 「滅多に起こらないことを心配する」がより正確なのです。

ラキ火山の帰路には、フャールダオルキャニオンを見学しました。台地末端の凝灰岩で出来た崖を、川が削り込んだ場所で、絶壁や穴の開いた板状の岩などの奇 景が見事でした。凝灰岩は溶岩ではありませんが、噴出した火山灰が、温度、圧力などで固化した火山岩ではあります。気がついてみれば、この辺り相当の広さ に渡って、凝灰岩が海蝕崖らしき地形を作りだしていました。道端にはもうお馴染みになった、チョウノスケソウやマンテマが咲いていました。また、ここから 海岸にいたるまでの、ラキ山から流れてきた溶岩が作った広大な平原の展望には圧倒される思いでした。

7月9日、今日は噴火割れ目であるエルドギャオを見たのち、川の中の温泉に入り、ハイランドへの入り口であるレイルバッキまで北上します。

今回の旅行の公式記録は、隊員が分担して書くことになっていました。この日、私が記録を書く当番にあたっていましたから、バスの最前列の席に座らせ て貰い ました。昨日走ったF206号線の一本西にあたるF208号線で内陸に入ります。この旅行を通して乗っていたのは、40人乗りほどのバスです。特殊な、オ フロード用のバスといったらよろしいでしょう。68才の運転手さんは、この仕事で47年間無事故を自慢しています。目的地に何時に着くかと尋ねると、必ず 「きっと着くから心配するな」と答えます。ガイドさんは日本女性、四国の産、アメリカ人と結婚し、いまレイキャビクに住んでいます。我々のために、地質の ことをよく勉強していてくれました。自分のためにもなりますから、そう言っていました。勿論、英語は達者で、運転手さんとの遣り取りは英語です。アイスラ ンドの学校では、アイスランド語と英語のほか、かっての宗主国デンマーク語と3カ国語を教えるのだそうです。運転手さんは、ガイドさんのアイスランドの地 名の発音がおかしいと、毎回、言い直していました。アイスランド語といっても、標準語の外に、多くの、しかもお互いにかなり異なる方言があるのだそうで す。北ヨーロッパ各国から移民してきてからまだ歴史が若いことと、交通不便だった地形からきた結果でしょう。アイスランド語の元になったチュートン語とい うのは、古ヨーロッパ語だそうで、ヨーロッパ各地の言葉は、ある意味で似ているのだと思います。「神の滝」のことはアイスランド語で、GODAFOSSと 言います。英語のGOD FALLやドイツ語のGOTT FALLと似ていないでしょうか。

アイスランドの人が、よく似た3つの言葉を覚えることは、日本語、英語、ヒンズー語のような、まったく異なった3つの言葉を覚えるよりは、容易に違 いあり ません。

脳の記憶容量が非常に小さいと、多種類の言語を覚えることと引き替えに、算数、国語などに割り当てられるメモリーが少なくなることが想像されます。 勉強す るか、しないかは、インプット/アウトプットの働きに例えられるような気もします。対象を三カ国語でなく、十カ国語、二十カ国語と延長して考えるとどうい うことになるでしょうか。世の中には、少数民族の言葉が絶えてしまうことを憂うる声もあります。その立場も理解できるのですが、はたして地球上に沢山言葉 があることが、そんなによいことだろうかとも思えてきませんか。理想論としては、ひとつの世界共通語と、自分の属する土地の言葉と、つまり、一人の人間は この2つの言葉さえ覚えれば、地球上どこでも不自由しないし、固有言語も残せるという理屈はあります。エスペラント語はその動きだったのでしょう。でも、 メートル法が世界標準の主流なのに、ガロンとマイルさえ譲ろうとしないのが、人類社会の現実であります。


世界最大の噴火割れ目といわれるエルドギャォを見学しました。ここの駐車場のトイレの屋根につけられた太陽電池は殆ど垂直で、受光面が横を向いていまし た。なにせ北緯64度、太陽が低いのです。エルドギャォは、左右の崖の高さ200m、谷底の巾60m、長さ40kmといわれます。谷底を川に沿って遡り、 滝まで歩きました。この地殻の割れ目が噴火に関わったのは930年とも950年ともいわれます。いずれにせよ1000年ほど前のことです。
エルドとは火のことで、火の谷というわけなのですが、ほんの一部に赤く灼けた火山噴出物の堆積が見られただけで、私の目には噴火丘とおぼしきものは認めら れませんでした。崖の面は殆ど岩堆に覆われ、思ったほどの荒々しさは感じられません。地殻が割れた頃に崖の面から落ちていた滝が、岩を削り、かなり後退し ている様子が1000年の刻を感じさせてくれました。

・滝しぶき射す日は北緯60度

このあと悪路を西北に進みます。これまでは粘度の低い溶岩が造った平坦だった山の様子が、段々と尖ってきました。なんとなく日本の志賀高原あたりの山容に 似ています。マグマが上昇してくるうちに、周りの岩石を溶かし込んで、珪酸分の高い粘度の高い溶岩に変わってきているためでしょう。若い男女のカップルが 自転車を漕いでいました。ビデオカメラを向けると手を振ってくれました。元気なものです。
かなり流量のある川をジャブジャブ渡ると、ランズマンナ温泉に着きました。もう学校が夏休みに入っているので、駐車場は満杯で、カラフルなテントが沢山 張ってありました。いつものようにカードで温泉の使用料を払いました。すると、なんと400クローネのコインを手渡されました。シャワーを使うときに機械 に入れるためです。アイスランドで通貨を手にしたのは、後にも先にもこの400クローネだけでした。周りの山はアイスランドでは珍しい流紋岩で、明るい雰 囲気でした。トイレで海水パンツに着替え、木道を歩いて川岸のバルコニーから川に入りました。左岸の溶岩の丘から熱水が流れ込み、ある場所では良い湯加減 になるというわけです。老若男女50人ほど浸かっています。日本人にとっての適温は、ほかの人たちにとっては熱すぎるように見受けられました。湿原をゆっ たり流れている川なので、岸にはキンポウゲが黄色い絨毯のよう咲いていました。川の水はやや濁っていて、足に草が絡まったり自然そのものでした。人によっ ては汚がって、後でせっせとシャワーを浴びておられました。現代日本人は、大変潔癖なんです。

外人と連れて花野の野天風呂


このあと、スケジュール外でしたが、運転手さんお薦めのサービスコースとして、リョーティ火口湖に連れて行ってもらいました。凄い凸凹の坂を四駆なみのパ フォーマンスで登ってゆきます。リョーティ火口湖を見下ろして、どなたかが「水を湛えた草津白根だな」とおっしゃいました。この湖も、遠く広がる火山が 造った大平原の展望も、素晴らしい眺めでした。アイスランドも、もう4日目です、広く平らな地形の中に滝があり、噴火口がある、そんなアイスランドがなん となく身に付いてきました。

このあと車窓やや遠くに、全身雪を纏ったヘックラ火山(1491m)が見えました。この山は少し機嫌が悪いとすぐに噴火する山なのです。1104年以来少 なくとも20回は噴火しています。最近では1981年、1991年、2001年と続いています。そろそろ新聞紙上に名前が出るころなのです。
宿に入る直前、巨大な貯水ダムと発電所が見えました。送電線がレイキャビクのほうへと走っていました。貯水ダムは自然の条件で勝手に流れてくる水の量と、 人間が必要とする電気の量とのマッチングをとるためにあるのです。アイスランドの川の流量が、どんなに変わるのか興味があります。冬には凍りついてしまっ て川は涸れてくるのでしょうか。
調べてみますと、アイスランド(レイキャビク)は、世界のほかのどことも違う自然環境のようなのです。月平均気温を見ますと、レイキャビクの最低は1月の △0.5℃、これは日本の秋田△0.4℃とほぼ同じです。最高は7月の10.5℃、日本の最低である根室の17.1℃よりはるかに低いのです。年間雨量は 798mm、日本の最低は網走の814mmです。熱帯大西洋で暖められ、アメリカの東岸を北上してくる湾岸流に浮かぶ島で、海水の影響をモロに受けている のです。このほかにも、地熱の影響はどれほどなのかと、疑問は次々と湧いてきます。ともかく冬も川の流れは意外に多いのでしょう。
貯水池を見下ろす丘の上に、竣工記念碑として太い玄武岩柱状節理の1本が立てられていました。この何日か、行く先々で柱状節理を見てきた我々に、火山の国 アイスランドの土地柄を強く感じさせてくれました。
この日の宿は釣人向けとかで、トイレ、シャワーは共同でした。午後10時、寝る前にビデオを回しました。まだ、日は明々と照っていました。次に目が覚めた のは午前1時30分でした。外は日没直後の明るさで、遠くを走っている車のヘッドライトが、やっと灯火らしく認識できました。ちなみに、車はヘッドライト を常時点灯することが義務づけられています。朝は4時半に起きました。もう日が照っているところを写すつもりでした。もちろん明るくはなっていましたが、 濃い霧で建物の影は映せませんでした。毎日、太陽はほぼ真北から出て、東、南、西と廻り、また北に隠れます。でも、地平線の下に深くは沈まないので、すこ し暗くなったまま、次の日の出になってしまいます。日本に帰ってから、暗い夜に久し振りに出会ったのでした。

7月10日、この日はハイランドを突っ切り、北アイスランドにまで行きました。

ハイランドといっても、私の高度計の記録を見ますと最高で800mちょっとでした。もともとこの国の最高峰はクヴァンナダール山で、標高は2119mしか ないのです。ともかくハイランドに登ってゆくと、緑がなくなり小石を主体とした砂漠のような景色になってきます。緩い起伏の平原、浅く広い谷、平で広大な 氷河、それがこの日の印象です。
アイスランドの国土の11%は氷河、耕地は20%強、65%が溶岩・砂漠・荒れ地となっています。右手にヨーロッパ最大の氷河であるバトナ氷河、正面にホ フス氷河、左手にラング氷河を見ながら、スプレンギ砂漠を突っ走りました。どの氷河もヒマラヤやヨーロッパで見慣れた氷河とは違って、山の凹凸は見えず、 山群全体を白いものがゆったりと覆っています。冬に長野市から志賀高原一帯を眺めているような趣なのです。

ハイランドの中間点にある小屋は、夏の2ヶ月だけの営業です。さすがにここでは、トイレ、部屋の使用料として、カードではなく現金を要求されました。先日 のシャワー代に渡されたコインが役に立ちました。

名も知らぬ草の実揺るる白夜かな


ハイランドの旅も終わりに近づいたころ、何人かがヘルズブライド山が見えるだろうかとガイドさんに尋ねました。

花野具しアイスランドの女王座す (絵はがき)



でもガイドさんは「さて、うまく見えるでしょうか」と色よい保証はしてくれませんでした。ともかく、バスが小高い丘に登ってゆくと、期待していた山が見え てきました。車を降りて早速写真を撮り始めましたが、そのうちにふっと霞に消えて行くような、頼りない見え方でした。ヘルズブライド山は最終氷期にでき た、アイスランド中央東部に位置する卓状火山なのです。基底直径5km、山頂部の直径は2km、平坦な溶岩原から急崖に取り囲まれてそそり立っています。 その威厳のある山容のためにアイスランドを代表する火山(Queen of iceland)とて知られ、絵はがきにもなっています。

この辺りからは卓状火山が幾つも見えます。卓状火山というのは頭が平で、両端が絶壁になっていて、テーブルとか炬燵のような姿をしているのです。氷河の底 で噴火が始まり、粘度の低い溶岩を噴出します。溶岩は氷や融けた水に冷やされ、横にはあまり広がりません。一旦、噴出口が氷河の頭を抜けると、溶岩は急に 横へ広がり始めます。こうしてできた火山が、氷河が融けたあと、卓状火山になるのだといわれています。この辺りでは、卓状火山の頭が、同じような角度で海 側に傾いているように見えました。どうしてでしょうか。いまでもアイスランドの氷河で一番厚い部分は、氷の厚さが1000mあるとのことです。2万年前の 氷河時代には2000mあったとの説もあります。現に、南極では氷の厚さは5000m近いのです。大変な重量を乗せているわけです。1000mの氷が乗っ ているということは、厚さ115mほどの鉄板が乗っているのと同じなのです。氷が溶けて軽くなれば、押しつけられていた地面は盛り上がるはずです。南極の ように島の中央がより厚い氷で押さえつけられていたとすれば、氷が可成り溶けた現在、中央部の盛り上がりが大きくなり、かって水平だった卓状火山の頭が海 側に傾くことでしょう。素人なりに、そんな想像をしてみました。

ハイランドとはいっても、あくまで平らな高みですが、そこから海岸地帯に下ってゆくところで、これも見事な玄武岩の柱状節理が見られるアルディアル滝を見 学し、ロイガルの宿に着きました。

早速、みんなでホテルの隣の温水プールにゆきました。透き通った綺麗な水でした。ここで温水論議が始まりました。
地熱が豊富なアイスランドですから、小さな村でも温水プールがあり、かつ皆さん頻繁に泳ぎに行くのだそうです。小学校では200m泳げないと卒業させてく れないとのことでした。

滝落ちて柱状節理震わする


アイスランドでは水も良質豊富です。水道の水をお飲みなさい、おいしいですよといわれます。それを聞いて「日本も昔はそうだった」と、感慨深げにおっしゃ る方がおられました。それで私としては、改めて、日本ではいつから水道の水が飲まれなくなったかを考えてみました。登山の地図には水場の表示があるもので す。水場で水を補給しながら旅を続けるのが山旅だと思っていました。ところが最近では、水場に着くと「この水飲めますか」とリーダーに聞いている若い人が いて、びっくりさせられるのです。何万年も飲んでいた美味しくて安全な自然の水が飲まれなくなった時期は、すなわち、ミネラルウォーター産業が定着した時 期といってよろしいでしょう。
もしもボンベ入りの空気が、1日300円程度で吸えるような産業が出現したら、こぞってボンベ空気を吸うようになり、周りの空気を「これ吸えるでしょう か」と聞く、未来の若い人が出てくることでしょう。
ほとんど正常の食事から摂取できるのに、次から次へと新発売のサプリメントに血道を上げていることから分かるように、人間は経済的に余裕ができるとこうい うことをするものだといえます。
さて、プールの水が綺麗だというところから脱線してしまいました。多分、熱交換機で清水を加温しているのだろうという結論になりました。話の続きで、シャ ワーのお湯を舐めてみたら塩っぱかったという人が出てきました。ガイドさんは慌てて、温水の方は飲んではいけないと言います。聞いてみると、レイキャビク の場合、温水用のパイプには添加剤を入れ、詰まらないようにしているのです。それを沢山飲むといけない、ということのようでした。草津温泉の湯ノ華でわか るように、地下から取りだした熱水には、いろいろのミネラルがかなりの量、含まれているのが普通です。場所により異なりますが、熱水が地上に取り出され、 温度と圧力が下がると、ミネラルが析出してパイプの内側に付着し、ついには詰まってしまうのです。これは地熱発電所にとっても悩みの種で、次から次へと蒸 気の井戸を掘り続けていないと、運転は続けられないのです。

7月11日、この日はミー湖(ミーヴァント)周辺や、クラプラの地熱発電所などを眺めました。

最初に訪れたプセイド・クレーター群はミー湖畔にあります。ミーとは蚊のこと、もっともここのミーはウスバカゲロオのことだそうで、刺さないのです。

胸を張る蚊除けネットの一軍団


ちょっと見渡しただけで、道の周りに小さなクレーターが20個ほどあります。看板を見ると、これはマグマが噴火したものではなく、水蒸気爆発で出来た根無 しクレーターであるとのことです。なるほど形も整い、美しく大人しげなクレーターであります。水蒸気爆発は1979年の御嶽山噴火を始め、日本でもときど き聞きます。なにせここは、水も熱も充分ある場所なのです。
近くのレストランのガラスの水槽ではトゲウオが泳ぎ、大きなマリ藻が展示されていました。

水蒸気爆発のクレーターが点在


次に行ったディムボルギルというのは、函館の東にある恵山を思わせるゴツゴツした岩塔が乱立しています。ただ、恵山の粘度の高い溶岩とは違って、本来なら 粘度が低い玄武岩であるところが違います。氷河の底の細い噴火口から、周りから冷やされながらマグマがヒョロヒョロと立ち上がったあと、氷河期が去ってこ んな姿になった、との説明書がありました。

昼食を挟んで訪れたのはグリョータ割れ目(グリョータギャオ)です。地溝帯は、島の南岸では2つに分かれていますが、島中央でひとつに纏まり北岸に続いて います。ここはもう、1本に纏まった部分になります。崖の端の岩に割れ目がずっと続いています。ここがとくに有名なのは,ギャオの底に温泉があることで す。70年ほど前から村人が利用していましたが、ここの少し北で1981年、1984年と続いて噴火があり、その後、水温が80℃まで上がり、熱すぎて入 れなくなりました。でも、最近はまた45℃まで下がってきています。
ここで見たギャオが、今度の旅で最後のギャオです。そこで少しギャオ談義に字数を費やすのをお許し下さい。
復習になりますが、大西洋の中央に地球の割れ目が走っています。それは北極海から始まって大西洋を南極近くまで南下しています。その後、インド洋に方向を 変え、結局アメリカのカリフォルニアまで続いています。総延長は7万5千km(地球を2周する長さ)もあります。その割れ目からマグマが噴き出し、固まっ て、海底に高さ数千メートルの山の列を作っています。大西洋の部分を大西洋中央海嶺といいます。その山の頂上部分が海面上に現れ、島になっているのがアイ スランドなのです。
島として現れたのは、千五百年前とも千七百万年前ともいわれます。ともかく、地質学的には、非常に新しく噴き出した岩ばかりの島なのです。
これから先の話は、私が馬鹿と言われれば済む素人であることをよいことに、勝手な議論をしているのですから、眉に唾をつけてお読みください。
実際、アイスランドでは、巾数mほどの岩の割れ目を、これがギャォだと説明されたり、それを納得したりすることもあります。現地の人がそういうふうに呼ん でも、なんら問題があるわけではありません。しかしよく見ると、そんなところでは同じような岩の割れ目が、何本も平行して走り、全体で巾が数kmある底が 平らな窪地の帯になっていました。こんな何条かの平行した岩の割れ目のある地溝帯をギャォと呼ぶ方が、地球の割れ目としてのギャォの定義に近いと思いま す。
さらに割れ目からマグマが噴き出すという表現に依るならば、その時期を80万年以内にと限定しても、ギャォの巾は50〜70kmになると判断されます。 もっと古い時代まで遡れば、もっと幅は広くなりますし、窪みが線状かどうかも曖昧になってきます。

ギャオと呼ぶ地球の割れ目果てもなや


もともと本来の割れ目は地下数千mにあり、その上に溶岩が噴出し積み上がった土地なので、現在の地上にある細微な地形を論ずることは、傷の上にできた、か さぶたの皺の形を論じているのと似たことだ、と言っては過言でしょうか。もっとも、地下5千mというと大変深く感じますが、5千m向こうの山といえば、ま た違った感じを受けることでしょう。足の下の、向こうに見えている山ぐらいの距離に地殻の割れ目があると考えれば、意外に近い場所とも感じられます。
溶岩は、通りやすい所を求めて上がってくるのです。その通路は、アイスランドの場合、多くは小さな割れ目に噴火口列になっています。実際、レイキャビクの あたりには、噴火口列が10列以上も並んでいる場所があります。また場合によっては、同じ通路から繰り返し溶岩を流し出し積み上がって、ヘックラ山のよう に、日本型火山になったりもしているのです。
噴火したときの物凄い有様からして、溶岩が突き上げる力で地面が割れるのか、それとも先に地面が割れるから溶岩が流出するのかという、鶏と卵議論はいかが でしょうか。
地殻が堅固な圧力容器だとは思えません。これは地面が割れる方が先でしょう。もっとも、割れただけでは、歯磨きチューブの蓋を開けたようなもので、チュー ブを押さないと中味は出てきません。ともかく、実際に起こっている噴火は、地面が割れてマグマの上の重しがなくなり、圧力が下がり、溶け込んでいた気体が 一気に気化膨張し、勢いよく噴き出すのでしよう。野球選手たちが優勝祝いにやる、ぬるいビールの栓を抜いて、勢いよく噴き出させているのと同じです。

溶岩のはら海のごと黒々と


さて、ではどうして地殻は割れるのでしょうか。ネットで「プルームテクトニクス」を覗くと、以下のように書かれています。地殻の下、数十kmから 2900kmまでの液状マントルの中で、流動現象が起こっています。アフリカ大陸などの底では上向きに流れ、ユーラシア大陸の下では冷たくて密度の高い部 分が沈み込んでいます。沈み込む流れが、北米大陸などほかの大陸をユーラシア大陸に引っ張り込んでいます。この動きのために、割れ目ができるのだそうで す。2億年後には、現在の地球上のあらかたの大陸がユーラシア大陸に引き寄せられて、超大陸を形成するだろうという学説です。

アイスランドで、もっとも至近年に大噴火があったクラプラ地区を訪ねました。水を湛えた美しい噴火口や、いわゆる地獄と呼ばれる高熱地帯も、それなりの眺 めでした。が、なんといっても果てもなく水平に続く黒い玄武岩溶岩流の海が圧巻でした。溶岩の海の中に、いくつかの既存の山が、文字通り海に浮かぶ島とか 半島とかのような姿を見せていました。ハワイのマウナ・ロア山の寄生火山であるキラウエアの溶岩も水のように粘度が低いのですが、ここクラプラのはもっと 粘度が低くて水平に流れ、また、ハワイと違って植物が生えていないので一層強い印象を与えるのです。
世界最大のテフラ火山といわれるクバ山にも登りました。テフラというのは、荒っぽく言えば火山灰のようなものです。軽石のようなものまで含めますが、要は 溶岩のように地上を這うのでなく、いったん空中に飛んで固まったものです。当然サラサラしています。2500年ほど前にできた山で、火口の直径は約 1000m、確かに大きなものでした。

いつの世か灰軽石をかく積みし クバ山


また、見晴台から地熱発電所を遠望しました。発電所の出力は6万kwとか、九州電力の八丁原地熱発電所11万kwよりは可成り小さい感じです。ニュージー ランドのワイラケイと較べれば遙かに小規模で、またここは緑のない土地ですから環境破壊といっても景観破壊?だけのことです。深さ2000mの井戸4本で 蒸気を取りだしています。
かなり硫化水素の匂いを感じました。硫化水素は濃度が濃いと人体に有害で、先頃、硫化水素自殺が新聞記事を賑わせました。自然界でも、草津白根山、安達太 良山では死者を出しています。しかし濃度が低ければ、温泉の匂いとして広く容認ないし歓迎され、とくに問題にはされません。これが原子力発電所と放射線の 関係だったらどうだろうと、つい思ってしまうのです。放射線は匂いがないので、気がつかず、まったく危険のない状態でも、危ないといわれるとそんな気がし てしまうのです。原子力とか遺伝子とかは、その性の不徳の致すところとしかいいようがないのでしょう。

銀色の大蛇四条めぐらして  地熱発電所


7月12日、この日は神々の滝を見てから、アクレイリ市を通り、オックスナダル谷を抜け、ソイダルクルークルまで行きました。

最初に神々の滝を見ました。この滝のアイスランド語GODAFOSSが、英語のGod fallと似ているではないかとは、先に論じました。
AD1000年、アイスランドがキリスト教を受け入れる決定をしたときに、従来祭っていたアミニズムの神々の像をこの滝に投げ捨てたことから、その名がつ いたといわれます。もう海岸平野に近く、落差はさしてありませんが、水量は膨大です。ナイアガラの滝と似た雰囲気でした。60年近く昔、ナイアガラでコ ダック製の8mmムービーカメラを、カタカタいわせて撮影していたことを懐かしく思い出していました。駐車場には、近くにクルーズ船が入っているとかで、 大型バスが何台も停まっていて、久し振りに観光地の雰囲気を味わいました。

神の滝地殻も段差宗教も


アイスランドの北岸はフィヨルド地形で、何本もの半島が、まるで掌の指のように海に向かって突き出ています。その根元をとおる道を抜け、エイヤフィヨルド に出ました。ここが今回訪れた最北点、北緯65度48分でした。アクレイリ市は人口1万7千人、アイスランドでは首都レイキャビク圏に次ぐ、2番目に大き い市です。港には白と黒の大きなクルーズ船が2隻も入っていました。黒いのはクイーン・ヴィクトリアと船名がよめました。乗客定員2014名、甲板から上 だけでも6,7階はあろうという巨大な船です。

まず、植物園に行きました。同じ仲間の植物を、世界各国から持ってきて植えてありました。よく似ている中に微妙な違いを観察するという、私の好みの集め方 でした。植物園には、結構、巨木もありました。アイスランドでは、ここ以外では巨木など見えもしないのですから、奇異な感じでした。地植えなのに、温帯の ものもあるのです。冬があまり厳しくないと、結構生きてゆかれるもののようです。アイスランドの南岸と北岸と較べると、いったいに北岸のほうがナナカマ ド、カバ類など植生が豊富な感触を得ました。表土が落ち着いているためではないかと推測されます。管見であれこれ申すのは気が引けますが、内陸に入ると急 に不毛の地になるのは、標高数百mでも低温条件が厳しくなるのかも知れません。

白と黒のクルーズ船や夏港


もともと私は、植物研究会に入ったりして植物には関心があるのです。ただ、年をとってからは名前など覚えられないので、大まかに眺めている感じなのです。 今回の旅では、キンポウゲ類、フウロソウ類といった普通に見られるもののほかに、チョウノスケソウ、マンテマ類が目につきました。
とくに印象が強かったのはルピナスです。ここアイスランドで、南岸の荒れた砂礫地帯になんとか定着できる植物として、ルピナスが選ばれたのだそうです。確 かに定着したところも見られましたが、やはり生きてゆくのに苦労しているところも、多々ありました。ルピナスといえばボリビア・アンデスに行ったとき、自 生地を散々に見た覚えがあるのです。改めて調べると、南北アメリカやニュージーランド、地中海沿岸にも自生しているそうです。ともかく、アイスランドに とっては外来植物です。細々とではありますが、内陸ハイランドにさえ侵入しかかっています。アイスランドのような極端に歴史の新しい土地に来てみて、所 詮、その土地にとって外来動物である人間が「外来植物」を敵視している不思議さを、改めて感じたのです。
植物園見学の後、長いフリータイムがありましたので、サブウエイに入り、昼食にサンドイッチを食べました。500円ほどでした。アイスランドの物価は日本 と較べ、いまの為替レートでほぼ同じか、少し高いぐらいです。買い物に興味のない私は、ノンナフースまで歩いて行ってみました。これは絵本作家ヨゥン・ス ヴェインソン、愛称ノンナが住んだ家で、生誕100周年に開館されました。日本語の本もありますし、彼が1937年、訪日したときの記念写真も壁に掛かっ ています。私が7才の時です。あの頃の私のような、日本の少年少女が20人ほど一緒に写っていて、とても懐かしく感じました。

我が影を古き写真に昭和12年の日本


このアクレイリのゴルフ場は、世界最北の18ホールゴルフ場を名乗っています。6月末には真夜中でもプレイができる極地方の特徴を生かし、プロ、アマ合同 の24時間国際ゴルフトーナメントが開かれるそうです。と聞いて、ついムラムラしてきたのです。私はゴルフが上手ではありません。でも常に向上を目指して います。18ホールを終えて上がるときも、なにかを考えています。最後のパターでは引っ掛けてしまった、この次はこう変えてみようなどとです。こうしてい つも、無限にプレーしたくなるのが常なのです。24時間プレイできるなんて素敵ではありませんか。一日最多ストロークのギネス記録に挑戦したくなってきた のです。バンカーから出すのに5打も叩いたりするのですから、十分可能性はありそうです。問題は、お金です。どなたか、スポンサーになって下さる方はない でしょうか。

この街はまた、漁業、水産物加工業が盛んなのです。ご近所のスーパーでシシャモを売っていたら、手に取って見て下さい。多分、アイスランド産と印刷されて いることでしょう。シシャモは地元では食べないそうで、全量、港から直接日本に輸出されます。
ところで、地元が重視しているのはタラです。長い間、領海は岸から2〜3海里?とされていました。1958年に、アイスランドは12海里にすると宣言しま した。イギリスは既得権の一方的な侵害とみて軍艦を派遣し、小競り合いがありました。1972年アイスランドが50海里とする法律を制定するに及び、イギ リスは軍艦を常駐させ自国の漁船を保護しました。そして、これに対抗してアイスランド側は、ネットカッターを引っ張ってイギリス漁船の網を切って回ったの です。1975年、アイスランドは現状の規制では水産資源が回復しないとして、200海里の自国漁業専管水域を設ける新法を制定しました。これにより、 もっと激しい武力衝突が起こったのでした。こういう経過を経ながら、イギリスは世界の大勢に押され、引き下がったのでした。しかし、先頃まで欧州の最貧国 だったアイスランドに屈することは国民感情が許さず、ついには大使を引き上げ、両国は10年以上、国交断絶の状態になったのでした。

オックスナダル谷を抜け、ソイダルクルークルに向かいます。広い谷を暫く行った右手に、珍しく尖った山群が姿を現しました。それが旅の始めから、ガイドさ んが日本山岳会の皆さんに是非お見せしたいと言っていた山なのでした。ガイドさんは、ザイルに命を預ける屈強の山男を想像しているみたいでした。

夏空にすっくと天を指してあり


このところ何日も、地質、地形ばかり見ていた旅なのです。自然に、どうしてこんな尖った地形になっているのかを、考えるようになっています。ある時期に、 地殻の狭い割れ目から、しょぼしょぼマグマが上がってきて、氷河に急冷され、岩の壁になったとします。その後、氷河がない時期に、その手前が広く割れ、大 量の粘度の低い溶岩を流したとすれば、こんな地形になるはずです。もっとも、この辺りの岩は300万年以上古いとされていますから、そんなに都合よく氷河 があったり、消えたりと考えることは無理があるかもしれませんが。
また、この広い谷も、氷河が削ったU字谷ではなくて、割れたギャオであるように思われました。谷の左右の岩壁が、溶岩が積み重なった縞模様になっているの です。下部の岩屑に隠されていない部分だけでも20層以上重なっていて、またその層の厚さが殆ど同じなのです。ある時期に、繰り返し繰り返し、しかも毎回 ほぼ同じ量の溶岩を噴出していたものと想像されました。

ソイダルクルークルなど北部では、あちこちで放牧されている馬をよく見かけました。バスを停め写真を撮っていると、柵の所へ寄ってきます。アイスランドの 馬は、9世紀にノルウェーから持ち込まれて以来、現在まで純血種として飼育されているのだそうです。多少、小柄です。歴史の中ではいろんな用途があったの でしょうが、現在では乗用、とくに難しいステップを踏む、馬場馬術が得意だと聞きました。その特技に着目され、海外に輸出されるほどだということです。大 人しく人懐っこいので、観光のトレッキングにも活躍しています。

夏草やこの地の馬は人恋ゆと


このあたり、海岸から立ち上がった数百mの山には、無数のカール地形と氷河が目につきました。こういう小さな氷河には、名前が付いていないのだそうです。 チベットヒマラヤでは、6千m以下のピークでも名無しなのと同じことなのでしょう。

7月13日、北部に来るときはホフス氷河の東側を通りましたが、こんどはその西側の道でハイランドを北から南に突っ切り、旅の振り出しのレイキャビクに戻 りました。

話に聞いていたとおり、アイスランドの天気は変わりやすかったのです。でも、朝曇っていても、晴れてくれとお祈りすると晴れてきて、晴続けてくれとお祈り すると晴続けてくれる毎日だったのです。日中の最高気温は20℃を超え、一日の日照時間は22時間あるのですから、まるでインドにでも行ってきたように 真っ黒に日焼けしました。
でも、この日だけは寒い日になりました。そして、ガイドさんは「これがアイスランドらしい日なのです」といいました。
旅の最初のころ、ガイドさんがアイスランドの概要を説明してくれたなかに羊の話しがありました。「人口の3倍ほど、つまり約100万頭の羊がいます。羊は 毎年、平均2匹子供を産みます。いまの時期、子羊はもう大人の体格になっているので、羊が3頭ずつ固まっているのが目につきます」とのことでした。でも正 直の話、そのときはあまり気にかけませんでした。だって、いままで世界のあちこちで見た羊たちは、みんな大きな群になっていたからです。「羊群声無く牧舎 に帰り」という寮歌もありましたし、羊の群のように見える秋の雲のことを「ひつじ雲」というではありませんか。
でも、ここアイスランドでは、ガイドさんの説明のとおり、判で押したように3頭ずつで行動しているのです。広い緑の草原に、3頭ずつポツンポツンと散らば り、草を食んでいるのでした。お母さんと子供たちなのです。アイスランドは孤立した島で、氷から地面が顔を出してまだ1万年ちょっとにしかなりません。 熊、狐、蛇など羊を襲う動物がいないから、完全な放し飼いが可能なのです。広い自然の中にぽつんぽつんと生活している羊たちを、冬の前に囲い込むのは大変 だろうと思います。迷子になったり事故死したり、約1%は回収できないそうです。
もう大きいくせに、1匹の子羊がお乳をねだります。するともう一匹も「僕も、僕も」とおねだりするのです。我が家の2匹の犬がするのと、同じ目つきと仕草 なのです。そんな親子のカップルを見るたびに、可愛くてしかたありません。いままで羊を群として見る目はあっても、家族として見る目はなかったことに気付 きました。
我々一行の中の現実派が言いました。「それにしても羊のオヤジ達が全然いないじゃないか」「食われちゃったんでないの」。たしかに夕食はラムの献立でし た。母羊と子羊たちの幸福だって永久に続くことはないのです。そしてそんなことを、彼らは考えもしないでしょう。人間とても所詮は似たようなもの「いつか ゆく道とはかねて知りながら、きのう今日とは思わざりけり」なのです。諸行無常。南無阿弥陀佛・南無阿弥陀佛。

国道1号線を外れ、またFのついた悪路、F35号線に入ります。ぐいぐいと高度を上げていく道の脇に、数万ボルトの送電線が2回線、山の斜面から地下に引 き込まれている地点が見えました。とくに大した施設が見えるわけではありません。観測小屋のようなものと、小高いところに人工のボックスが見えるぐらいの ものでした。なにせ人口32万人の国ですから、大概の送電線はひょろひょろの1回線です。ここのように、停電を避けるように2回線としているのは、余程重 要な施設なのだと想像されました。
アイスランドは徴兵制度をとったことはなく、軍隊はないのです。11世紀以降、ノルウェー、そしてデンマークの支配下にあり、アイスランド共和国が誕生し たのは、デンマークがドイツに実質的に占領されていた1944年のことです。大西洋航路の重要地点ですから、2006年までほぼ60年間アメリカと国防契 約を締結し、米軍が駐留していました。
いまはNATOの原加盟国となっています。東西冷戦終了から既に20年ですが、まだレーダー基地が何カ所か運用されているとのことです。
軍隊がないと聞くと、それみろ世界にはそんな崇高な国があるぞと、平和原理主義者たちが、我が意を得たりと力んだりしそうですね。でも考えてみて下さい。 国の人口32万人のうち、半分が女性、子供と老人を差し引いて、と考えると、軍隊を作っても役に立つとは思えません。F15戦闘機1機を持つだけでも大変 な負担でしょう。賢い選択ですね。

クベラベリルという中間地点で、噴気高熱地点など見学しました。その寒かったこと、でも、お元気な仲間は野天風呂に入られました。着替えも寒天下なので す。「外は地獄、入ったら天国」と感想を漏らされました。
この日のバス旅行は、山もあり氷河もあるのですが、ともかく平ら、平らというのが印象でした。帰国したいま、写真で見ても、平ら平らなのです。ハイランド のスケールが大きいからなのだと思われます。

いずれレーガン・ゴルバチョフ


首都レイキャビクでは迎賓館を訪ねました。この建物で1986年、レーガン大統領とゴルバチョフ書記長が、中距離核ミサイル、戦略核ミサイル、宇宙兵器を 議題として軍縮会議を行ったのです。今後10年で核兵器を全廃しようという言葉さえ行き交ったのです。それに対して、当時も、歴史的打開であるという声 と、ユートピア的楽観論だという声とが併存したということです。それから20年、核兵器保有は外交の力なりとばかりに、放棄どころか核保有国は増えてしま いました。あのときの会議が決裂したのは残念なことです。ともあれ私たちは、建物の前に一列に並び、国際会議の首脳を気取って記念撮影をしました。
このあと展望台に行きました。国の人口32万人の約60%、20万人が生活するこの地域に、温水を送るための給水塔ならぬ給湯塔が、展望台にもなっていま す。午後6時、ここから、まだ高い太陽に照らされ、大西洋に落ち込むアイスランド溶岩台地の崖を見納めたのでした。

7月14日、朝6時前ホテルを出て、日本に向かいます。

飛行機は幸いにも窓際の席が当たりました。これは素晴らしスペクタクルでした。まるで絵に描いたように、地面の割れ目と火口の列がつらなっています。氷河 がべったりと地表を覆っています。堤防など皆無の川が、気ままにくねって流れています。
アイスランドこそ、空中からマクロに眺めたい景色ではないでしょうか。
問題は天候なんでしょうね。私たちがいた期間についていうならば、結構遊覧飛行日和は多いと見たのですが。あとは利用客の数でしょうか。

7月15日、コペンハーゲン経由、スカンジナビア航空のエコノミー席で液晶画面を見ながら、へっぽこ地学屋を気取り、ウラル山脈の曲がり具合など気にしつ つ、午前9時、暗い夜のある日本に帰ってきたのでした。

10日間の海外旅行ですと、とくに意識しないでも、ビデオを1時間弱撮影しているのが普通です。ところが今回のアイスランドでは、通常の倍、2時間ほども 撮ってしまいました。デジカメのほうも同様、ほかのときの倍の枚数を写していました。それだけ珍しい、新鮮な驚きが多かったといえます。

なんといっても、火山活動が造り出す総てのものがここにあることが、大きな感激でした。
粘度の低い溶岩、粘度の高い溶岩、同じ噴火口から繰り返し噴出したもの、1回だけ噴出して終わったもの、割れ目に沿って噴火口が直線状に連なったもの、火 山灰が固結したもの、氷河の底で噴火したもの、氷河がなくなってから噴火したもの、実に多種多様、しかもどれもわりに新しい時代のものですから侵食を受け ておらず、標本的な形を残しているのです。

そして、ノッペリと山群を覆う広大な氷河にも、目を疑ったり、考え込んだりしました。
帰国してからいろいろ読んでみますと、ひとくちに氷河といってもなかなか奥の深いもののようであります。素人の感性で申せば、アルプスなどのものは山の谷 の部分に水のように流れている「山岳氷河」、アイスランドのものは全体を包み込みノッペリした「大陸氷河」と呼ぶのがぴったりです。
もしも地球の気温が低くなれば、この姿のまま氷河の面積が広くなり、グリーンランド、南極のように島全体を覆い、さらに気温が下がれば6億年前の凍った地 球、スノーボールになる、そんな地球のドラマが、連続的に想像できるアイスランドの氷河でありました。

そして何よりも最大の収穫は、好奇心、探求能力に秀でた隊員たちとの触れ合いです。

旅行中ずっと同室していただいたKさんは凄い方です。

あるとき「ここでは磁石の偏角は何度でしょうね」と疑問を呈されました。ぼんやりしていた私も、やがて成る程と思ったのです。日本では、磁石は地球 の回転 軸である地理上の北極よりも、約7度西の方を指すのです。磁石が示す磁北と地理上の北極点と位置が違っているのですから、アイスランドのように北に近づけ ば、食い違いは大きくなるはずです。この疑問はガイドさんが取り次いで旅行社のセンターに尋ね、17度から20度であるとの回答がありました。ガイドさん は自分で答えられない質問は直ちにセンターに電話し、ツアーが終わるまでに回答が来るのです。ただ、その答えは予想とは反対に、真の北より西を指すという ことでした。ついでながら、帰ってから調べましたら、ひとことで磁極といっても、専門的には地磁気極と磁極とがあり、そのどちらも日本では東偏であるこ と、日本で磁石の指示が西偏なのは、バイカル湖北方に磁気の強い地域があり、それに引っ張られているからである、ことなど勉強させて貰いました。

また、アイスランドには蛾はいるが、蝶はいないことを、まったく先入観なしに見つけられました。 

漁業とアルミ精錬で、日本と同じレベルの一人あたりGDPを実現している理由は何なのかと宿題をいただきましたが、これには、まだ答えを出せないで いま す。

この方のほかにも、前もってアイスランドの地質を勉強され、地図に色分け記入して持ってこられた方など見るたびに、自分の不勉強、非力さを感じさせ られる 日々でした。

「とかく天狗になりがちなオレにとって、掛け値なし、貴重な旅だったよ」と私は述懐しました。本心からそう言ったのですが、妻の異常に熱のこもった 肯定ぶ りは、いささか不愉快でした。



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