題名: 続・2匹目の犬

重遠の入り口に戻る

日付:2003/10/10


昨年書いた「2匹目の犬」というエッセイでは、新しくきた2匹目の子犬が生後3か月になったところまででした。

そのエッセイの内容を、簡単に振り返ってみます。

家内は最初に飼った1匹目の犬に溺愛していました。
でも彼は2才になったころ、だんだん骨身を惜しむようになってきました。
朝、家内が二階の寝室から居間に降りてきても、以前のように気違みたいに尾を振ったりしては応えず、面倒くさそうに、チロッと目だけ動かすなどの態度をとるようになってきたのです。
それを不満に思った妻は、対抗馬を連れてきて反省させようとして、2匹目を買うことにしたのです。
2匹目も、同じミニチュア・ダックスフントのロングヘア、レッド種にしました。
最初2匹を一緒にしたときの、犬たちの精神的ショックは、予想外に大きかったのです。でも、それは、約一週間で、一応、落ち着きました。

こんどの報告は、その後の2匹のお話です。

名前は、前からいたのがアイちゃん、後からきたのがジロです。
でも、私のように70才を越すと、人でも犬でも、名前がごっちゃになりがちです。
それでこの文中では、兄犬、弟犬と呼んで、ご報告したいと思います。
どちらも5月生れ、ちょうど2才の差があります。

いまではテレビのペット番組も多くなりました。そこでいろいろの種類の犬を見る機会があります。
介護犬になって人間を助けているのは、レトリバー種が多いようです。
また、新聞を取ってきたり、お買い物をするのは、レトリバーやラブラドールたちが多いように思われます。
私の家にいるのと同じ、ミニチュア・ダックスフント種は、可愛いばかりで、あんまり芸などできる知性はないように見えます。
ともかく当家の犬に関する限り、「お手」とか「来い」とかの指示には、まったく反応いたしません。
それでいて「ウエイト(待て)」「シット(座れ)」などは、ちゃんと聞き分けるのですから、脳の構造のレベルで何かがあるのでしょう。

ミニチュア・ダックスフントでも、生まれてすぐの時から厳しく教育すれば、かなりの芸を覚えさせられるという事実を、最近、家内があるところで発見し、驚いていました。
でも、当家の2匹は、芸を覚えることに関心がある様子には見えませんでした。また、家内も私も、芸を教えることに価値観を感じていないのです。
家内は「吠えたいのに吠えさせないと、ノイローゼで円形脱毛症になるわよ」など言って、吠えるのを止めさせることさえ、強制しませんでした。
私も「悪い人にだけ吠えなさい。そうじゃない人には吠えちゃだめ」、そんな難しいダブルスタンダードを教える自信はありませんでした。
もともと、私自身、いい人と悪い人と見分ける自信がないのですから。
そんなわけで、もっぱら「ワンワンとわめかないで、もっと優しく、今日は!と言いなさい」とだけ、教えたのです。まったく、甘いお父さんです。
でも、世間でも自分が犬を飼っている人は、ワンワン吠える当家の犬たちに「元気、元気」とか、「君のお仕事だもんね」など声をかけて、好意的に見てくれるのです。
ろくに教えもしないのに、犬たちの方からやる気があったのは、食事の時の「ウエイト」(お預け)と車が来たときの「シット」(座れ)です。
インターネットの時代ですから、当家では始めから犬たちに、英語の命令で仕込んでいるのです。
兄犬は「ウエイト」と言われると、餌の皿を前にして必死の形相でご主人の目を見つめ、「よし」と言ってくれるのを待ちます。
ところが弟犬は「ウエイト」と言われると、ひたすら皿の中の餌から目を離さず、うつむいたまま「よし」と言ってくれるのを待っているのです。
車が来たときシットと命じて座らせると、兄犬は、さも「僕お利口でしょ」と言わんばかりに私の顔を見ます。でも、弟犬はとくにこちらを見るわけでもなく、横座りなどしているのです。

そういえば、兄犬は家内がいうように、誉められるのが何より好きなのかもしれません。
朝の散歩のとき、暑い季節に兄犬は「もう歩くのは嫌だ」というような素振りをして立ち止まることがあります。でも、歩かせる特効薬があるのです。
「ジロは歩いて、お利口だね」そういって弟犬を撫でると、兄犬は負けじと張り切って前に立つのです。
ノミ取りもそうでした。家内は夏の間、ノミ取りにセイを出しました。あまり熱心なので、うちの子供たちに「お母様、あんまり乱獲すると絶滅しちゃうよ」と冷やかされるほどでした。
ノミを梳きとる櫛を手に持って「ノミ、ノミ」と叫ぶと、弟犬は寄ってきてコロンと仰向けになりノミ取り体勢になるようになりました。
あるとき、兄犬にも「ノミ、ノミ」と叫ぶと、あの格好付けの兄犬が寄ってきて、なんと、お腹を見せて転がったのです。
こんなにして家内も私も、2匹の違いを面白がって見ているのです。

もともと犬といっても、大型犬、中型犬、小型犬、さらに細かい種類の違いで、体格、容姿に、性格に、大きな差があります。
でも、自分たちで飼ってみると、同じ胴長、短足のミニチュア・ダックスフントでも、個体によって、随分、性質が違うことがわかり、そのことを大いに楽しんでいるのです。
以下、思いつくままに、当家に住んでいる2匹について、気づいたままに並べさせていただきます。
・短足の犬には高き雪の壁

最初の犬、兄犬(アイちゃん)を購入するときには、家内は、かなり容貌にこだわって撰んだようでした。結果的にミニチュア・ダックスフントになりましたが、種類よりも顔つきに惹かれて撰んだのだと思います。
兄犬は、誰にでも特別に可愛い顔だといわれます。
目が大きくて、毛がふさふさしています。
それに反して、弟犬を買うときには、見かけよりも犬の種類をキーワードにした嫌いがありました。つまり、どこからどこまで、できるだけ兄犬と同じものをと、家内も私も心の中で望んでいたのです。
買いに入った犬屋には、もっと顔かたちの良いゴールド色のミニチュア・ダックスフントだって何匹かいたのでした。
その犬屋でお見合いをしている時、今いる弟犬は、ちょっと垂れ目で、籠のなかで、いわば変な顔をしていました。犬屋のおじさんが「この子は、毛並みがイイに」と口添えしましたが、さすがに家内も、すぐに手を出したわけではありません。
家内は一晩考えたのでしょう。翌日「あの犬、おいくらですか」と犬屋に電話したとき、やっと買う気になったなと、始めて私に分かったのでした。
2匹目がきた頃、家内は兄犬に「みんながアイちゃんを今まで通りに可愛がるように、今度はブチュ(ブス)な子を買ってきたのよ。許してね」と言い訳しておりました。
その後、月日が経つに連れて、弟犬のぺちゃんこだった顔の、鼻の辺りが段々長くなってきました。
いっときは家内も「子犬って、みんな変な顔で、大きくなると良くなるものね」と、言っておりました。
たしかに、鼻はどんどん長くなり、今では兄貴より大きな顔になったのですが、依然として、他人から見れば兄犬の方が遙かにハンサムでありましょう。
つい先日も、私が「顔は可愛くても変でも、そんなことと全く関係なしに可愛いものだね」と述懐したところ、家内は「顔が変だから、余計に可愛いのよ」と答えました。
そして弟犬にむかって「あんたは、男らしくて凛々しい顔になった。お兄ちゃんは、まるで女じゃないの」というようなことを口走っております。

抱いてみると、2匹の体の造りの相違が、よくわかります。
兄犬はナヨナヨしています。それに反して、弟犬はとくに後足の骨が太く、太股の筋肉がリュウリュウとして固いのがわかります。
そういえば、弟犬は家へ来たときから、なにかをねだるときに、教えもしないのに後足だけで立って見せ、私たちをびっくりさせたのです。
また、事態の変化を期待しているときには、左足を始めから上げて待っているのです。
足を下ろすところから、アクションをスタートさせるのです。これも教えたわけではなく、本能的にそうするのです。
生まれつき、筋肉の強さと、バランスの良さを備えているのです。
毛はまだ両者とも若いので、それなりに美しいのです。兄犬はふさふさと優雅ですし、弟犬の方は短めの癖毛で、ビロードのように艶々しています。
兄犬のしっぽは、クジャクの羽のように、ふわっと広がっていますし、弟犬の方はまるで有名書家の筆のように、ずんぐり見えるのです。

体格の外に、性格の面でも、弟犬は体育会系であります。
2匹とも、机の上に、なにか美味しそうな匂いがすると、突進するのは同じです。
でも、そんなとき、弟犬の方は、自分でもハッと気づくと、もう椅子の上にいるということになっています。
兄犬の方は、椅子の高さを目で測って、今までこの高さまで登ったことがあったかしら、ともかくやってみよう、そんな調子でノソノソと登るのです。
弟犬については、まだ家に来たばかりの頃、いったん目標を決めると、途中に水の容器があろうが私が寝そべっていようが、一直線に走っていったことを思い出します。

その運動神経の発達してる弟犬のほうが、車に酔うのですから世の中面白いものです。
兄犬は最初に車に乗せたときから、ドライブが大変気に入りました。何よりも、自分が安全地帯にいて、優越感にひたるのが嬉しいようでした。
最初のドライブで、道路工事をしている作業員には吠えかかりました。
また、小学生や女性にも、なにか優越感を持って吠えるのです。
ところが、ネクタイを締め背広を着た紳士には吠えかからないのです。
そんな態度には、飼い主としての私たちが、いまだに恥ずかしい思いをさせられているのです。
家内も、車の中だけでは「うるさいから吠えちゃ駄目」といっては、兄犬の口を押さえました。そのころまだ赤ん坊でしたが、こちらの意志は分かったようで、ワンとは吠えずに小さな声でウーウーいっておりました。
車に乗るのが好きで、ドアを開けるやいなや、自分で飛び込んでゆくのです。
そんな兄犬でしたから、車に乗るのを怖がる犬が世の中にいるなど、想像もしませんでした。
ところが弟犬は、最初に車に乗ったとき後ろの座席でじっとしているのです。私は大人しいのだと思いましたが、さすが家内は「怯えているわ」と見抜いたのです。
家に帰り着き、下ろそうとすると、シートにしがみついて、もう何をするのも恐くて仕方ないという様子なのでした。
数回乗せても、ちっとも態度は変わりません。交差点で止まったときに振り返り「恐いの?」と声をかけると、怯えた目でじっと見返していました。

もともと弟犬は我慢ができない、あるいは我慢という言葉が辞書にないという性格です。わが家に買われてきた始めから、美味しいものなら、自分の5倍も大きな兄犬の口の中にまで餌を横取りしにゆきます。それはまた、家中どこでも、彼の口の届く範囲に欲しいものがあれば即ち獲る、という行為になるわけであります。
こんなにして、やりたい放題をしている弟犬ですから「北朝鮮」とあだ名を付けられていました。
だから車の中で怯えた目をしている弟犬をみて、私は「可哀想に! 北朝鮮には自動車がなかったの?」などいって、からかっていました。
ある日、片道1時間ほどの安城市にドライブした帰り道、とうとう車の中で吐いてしまいました。車酔いは、人間と同じようです。
それが、あの腕白な弟犬のことですから、まったく可笑しいやら可哀想やらです。
そのくせ彼は、私たちが車で出かけるとき、家に置いてゆかれるのが嫌なものですから、玄関からは勢いよく飛び出します。でも、車を見ると恐くて、外の道路の方に走り出したりして、危なくて仕方ないのです。それで、もう誕生を過ぎた今でも、玄関から車までは抱いてゆくことにしています。
でも、さすがにだんだん慣れてきて、最近では文字通り清水の舞台から飛び降りるような緊張した顔をして、後部座席から、助手席の家内に飛び移ったりできるようになりました。

兄犬は、生後6ヶ月になったころ、ウンコもシッコも、家の外でするようになりました。
それで、邪魔になる檻は、家の軒下に片づけました。
それからは、彼が家の中で粗相をしたという記憶は、家内も私も持っていないのです。
犬にとって見れば、屋外で用を足すということには、最初はかなり違和感を感ずるもののようであります。
兄犬はだいたい自分で場所を決めています。その場所へ差し掛かると、首でリードを引っ張ります。まず、電柱におシッコをちょっとひっかけ、その匂いを嗅いでいるうちにだんだんに背中を曲げ、座り込み、ついにウンチの体勢に入るのです。
したがって、道の端、電柱の近くが定位置になっています。
ところが弟犬の方は、おシッコは、お好みの電柱でのこともありますが、ウンコはもう完全に出たとこ勝負なのです。つまり、自分がしたくなったら、ところ嫌わず座り込みウンチの体勢に入ります。道の真ん中でしてしまい、トイレットペーパーでウンチを取りあげている間、車に待ってもらったことが何回もありました。
そのような弟犬ですから「お前は、笹島交差点の横断歩道を横断中だって、あたりを気にせず、座り込んでウンチをたれるだろうな」、そんな皮肉を、何回も私にいわれているのです。
兄犬よりは2ヶ月ほど遅い生後8ヶ月頃、弟犬も大体は外で大小便をするようになりましたので、オリを片つけました。
でも、生後1年になっても、たまに家の中でウンチをしてしまうことがあるのでした。
固いウンチなので、処理にはそんなに困りませんでしたが。
以前家内は、飼い犬が下の粗相をして困っているとこぼす人に「時間が解決するのよ。
半年たてば、絶対、外でしかしないようになるわよ」と慰めていたそうです。弟犬が何時までも粗相をするので、私、よその人に変なこと言っちゃったと、悩んでおりました。
この時期は、ウンコもシッコも、私たちが彼を家においておいて外出したのを不満に思い、明らかに腹いせいとして垂れているもののようでありました。
私がニュージーランドに2週間ほど旅行し帰ってきたときに、部屋でウンチをしたといって「アンタは、私が一人でいるときは、ウンチをしてもいいと思ってるのね!」
と、家内に散々絞られておりました。
家内は心からこの不束な弟犬を可愛がっていましたから、膝の上に乗せては「もしも、お兄ちゃんがお前みたいに悪い子で、いつまでも家の中で粗相してたら、はたして2匹目を買いに行っただろうかね」と、皮肉を言って楽しんでおりました。
とうとうこちらも自衛上、再度オリを持ち出し、私たちが外出するときや、夜寝るときにはオリに入れることにしました。
昔、兄犬はそんなようにして行動を制限されると、オリから出せと言って大騒ぎをしたものです。
でも意外なことに、弟犬はオリに入れられると、かえって気が休まるようなのです。
外にいても、眠くなるとオリを覗き込んで、入りたいと言っているようにさえ見えました。
こんなにして、腹いせいに用を足されてもよいように、オリに入れたら、結果的に檻の中で失敗することさえなくなったのです。
生後15ヶ月で、ウンチをしたのが最後の粗相です。もっともこれは、私が旅行中、家人が朝寝坊していて、我慢できなかったためかもしれません。
・秋時雨犬にまじまじ眺めらる

弟犬は、ものをくわえて持ち運ぶのも得意でした。
まだ、ほんの赤ん坊の頃、自分よりも重い風呂場のマットを引きずってびっくりさせました。
玄関から、ありとあらゆる靴を居間へ持ってきたこともありました。
人が持っているタオルに飛びつくのも、お好みでした。
これらの行為は、子犬たちに共通のことですが、その程度が甚だしいのだと思います。
少なくとも兄犬と比べて、うんと違うのです。
昔、兄犬がチビだった頃、遊んでやった古い手袋をはめて、弟犬も遊んでやりました。
弟犬はもう夢中になり、目を剥いてかじりつくのです。
振りほどくように、左右に振り回すと、必死になってくわえて離さないのです。体がカーペットの上を転がったり滑ったり無茶苦茶にされるのが嬉しいのです。
手を持ち上げても、手袋から口を離さず「釣れた、釣れた」と囃されていました。
毎日訪ねる私の母の家の筋向かいに、犬が2匹飼われています。こいつらは、いつも退屈していて、通りかかるとうるさく吠えかかるのです。当家の2匹も、普段はそんなに吠えないのですが、ここでは相手になって気違のように吠えまくるのです。
そのとき、弟犬は赤ん坊の時から、吠えながら走り回る兄犬のリードを追っかけて、くわえるのを常としていました。
また彼は、なにか犬たちの吠え声を聞くと、感情が高揚して来るようなのです。目を剥いて物凄い形相でリードをくわえ、歯を食いしばっているのです。その様子は、まるでライオンがシマウマにかじりついたような気分に浸っていると見えるのです。
噛みついている兄犬のリードを掴んで歩くと、弟犬は、宙づりの状態で、後ろ足2本だけで立って歩きます。毎日、50m以上、こんな格好で連れてくるのです。

体格も性格も違う二匹を比べると、弟犬は、欲望を抑え我慢することができない、叱られてもめげない、相手の嫌がることを平気でするといったわけで、犬としてのあるべき姿を知らないのです。大袈裟にいえば倫理観がないといえましょう。
その反面、兄犬が自分の名を呼ばれても、目をジロッとさせるだけのようなときにも、弟犬は尻尾を振って跳んできます。また、ご主人や兄犬にアゴを乗せて甘えます。天才的甘えん坊なのです。

始めは弟犬がお兄ちゃんにアゴを乗っけて甘えて寝ていました。
でも、そのうちに兄犬の方から、寝ている弟犬にアゴを乗せて寝るのも見掛けるようになりました。
いずれにせよ、犬たちがこんなにして仲良くしているのを見ていると心が和みます。
「うちの犬たちは、オレたち夫婦より仲がいいな」思わず私はそう言ってしまいました。ところが家内も「ほんとにそうね」と心情を吐露いたしました。
そういってはなんですが、夫婦仲も決して悪い方だとは思っていないのです。でも、人間はどうしても、基本的に、長い歴史を持った自分というものから離れられません。
その点、犬は単純だと断じてよいと思います。彼らは、自分の生家のこと、現在ここにいる経緯など、考えたことはないのでしょう。

基本的には兄犬が、意地悪でなく、すべてに満足屋だから、うまくいっているのだと思われます。
よほどのことでないと、弟の行動を妨害することはありません。
留守中に弟犬が腹イセイで私の眼鏡を噛んだとき「お前、見張ってて、弟が悪いことをするのを止めさせろ」と、私に言われましたが、とてもそんなことはできません。
私たちが帰ってくると、弟犬が悪いことをしたから修羅場が始まるぞとでもいうように、自分が悪いことをしたわけでもないのに、こそこそテーブルの下に逃げ込んだりするのです。
弟犬だって、とくに悪気があるわけではなく、欲望が直接手足に結びついているだけのことなのです。
こうして、家内がいうように「ジロは悪いけど、可愛い」のであります。
弟犬には、テレビのリモコン、眼鏡、パソコンのマウスパッド、仕舞の扇子などを囓られました。それらは留守番させられた腹イセイにすることが多いのです。
彼が囓ったもののなかで一番高価だったのは、ウン十万円もする母の補聴器でした。
テーブルの上に置いた食べ物をあっという間に食べてしまい、「あんた、泥棒したでしょ!」と、家内に金切り声を出させるのは毎度のことであります。こちらもミスミスやられているわけではありません。やられそうなものは用心して、テーブルなど高いところにに置くのです。でも椅子を中途半端な位置に置いておくと、弟犬は天才的な器用さで椅子を中継し、テーブルに飛び乗り目的を達するのです。
対策としては、椅子を完全にテーブルの下に押し込むか、うんと離しておけばよいのです。
そんなわけで、私と家内の、椅子の、うっかり防止競争になりました。
何回も弟犬を喜ばせたのは、どうもというか、やっぱりというか家内の方です。家内の方が頻繁に台所に立つために、つい、うっかりする機会が多いのも事実です。
でも、家内は私に失敗を冷やかされる度に「私は親切な性格だから」と、言っておりました。親切な性格であることは私も認めますが、でも、それだけではないんじゃないかと考えるのですが、いかがでしょう。
ともかく、家内は被害防止のため椅子を引くことは諦めて、椅子に上がっても、テーブルの上のものを食べないように必死に教育しております。
読者のお察しの通り、成功しそうな話ではないのですが、やはり時間がたち弟犬が年令を重ねるに従って、なんとなしに人間の意志が通ずるようになってきたような様子も感じられるのです。

弟犬は、反射的にアクションを起こすのですが、兄犬は逆に大変反応が遅いのです。
それに始めて気がついたのは、食事時間を知らせる目覚まし時計が鳴ったときのことでした。
音楽が鳴り始めても、私がアクションを起こさないと、兄犬は、なかなか動き出さないのです。私がわざと知らない顔をしていると、1分ぐらい経ってから、やっとノソノソと催促するように寄ってくるのです。
「お前の手足は神経じゃなくて、ホルモンで動いているんだろ」と私はからかっていました。
音を耳で聞くと、耳から情報ホルモンが出て、それが血液に入り脳に運ばれ、脳が判断して足を動かす指令ホルモンを出すと、それが血液に入り、足に流れ着き、やっと動くというほど時間がかかるのです。
でも、そんな兄犬でも、よその犬の鳴き声に返答するために窓際に駆けつけるときは、電光石火の勢いですから、ノロノロしている時は家内が評するように「勿体をつけて」いるのかもしれません。
散歩から帰って部屋にはいるとき、弟犬は遅れることはないのですが、兄犬は、自動的に閉まるドアに、取り残されることが多いのです。
そんなとき、閉め出されたのに気がついて、私がドアを開け「こい」というと、弟犬は飛び出していって兄犬のリードをくわえて引っ張って私のところに連れてこようとするのです。リードがなければ兄犬の耳をくわえて引っ張り込みます。
まだ、お兄ちゃんの半分の大きさしかない頃から、そんなにして勿体ぶってノソノソしている兄犬の面倒を見ていたのです。
家内はいつも「有り難う、お兄ちゃんの面倒を見てくれるのね。健気なものね」と、労っていました。

私は毎朝、散歩から帰ってきて、2階のベランダの植物に水やりに登ってゆきます。
弟犬は私の横をすり抜けてトコトコ登ってゆき、水やりを見物します。私が降りると、また追い越して降りてゆきます。踊り場で振り返って、私が降りてくるかどうか確認したりします。余裕綽々、上り下りなどまったく日常茶飯事といった様子です。
階段の下では、兄犬が待ち受けています。彼は登れないのです。
でも、正確にいえば、登れないことはないのです。
学校休みに千葉から孫たちがくると、最初の日、兄犬は時々一番幼い孫の太一君を雌犬と勘違いします。そんなときは恋人の太一を追っかけ、夢中でドドドッと階段を駆け上がるのです。
してみれば、それ以外の時彼が登れないのは、彼の大脳が、登る行為にブレーキをかけているに違いありません。なまじっか考えるものだから、持っている能力が発揮できないのですから、家内が「勿体ぶって」というのも、もっともなのです。

毎日、犬と暮らしていて、なんでこんなに人間の気に入るような動物になったのかと、
改めて感慨に耽ることがあります。
犬は狼が元祖であると本には書かれています。
でも、大きさ、体型の多様さを思うと、せいぜい1〜2万年のうちに、こんなにも人間の好むように改良されたのかと不思議の感に打たれずにはいられません。
金魚もフナを改良したものだそうです。これも、びっくりするぐらい変わった体型のものがあります。だから生物を改良する効果は、意外に大きいのかもしれません。
翻って人間を見ると、地球上どこでも体型も性格もあまりにも均一です。
数万年前からホモサピエンスには、改良が加えられていないのでしょう。
人間を改良すべき存在である神様がおられないのか、神様が特別な好みをお持ちでないのか、あるいは現世の人間どもが改良の終局の姿であるのか、と相変わらず、変人は変なことを考えてしまうのです。

以上、思いつくままに、当家の犬たちの性格の相違を羅列してみました。
兄犬は理性派なのに、弟犬は、筋肉隆々、運動神経抜群など、いかにも体育会系、野蛮人のような印象を受けられたことでしょう。
実際、弟犬は大小便の処置のこと、食べ物泥棒のことなど、今までのところ困り者ではあります。
ところが、大小便のことでも、まったく絶望的ではなくて、兄犬より時間はかかりますが、だんだん、大人になってくる気配があります。
それに、顔つきも、時と共に大人っぽく変わってくるようなのです。
具体的には、鼻の後ろに段がつき、オデコが盛り上がってきました。
オデコの内側にある「総合的に考える前頭葉」が発達し、大人っぽくなってくるのだと推測されます。

フンベツ過剰派は、家内、私、それに兄犬アイちゃんと、もう当家には一杯います。
弟犬ジロには、もうこれ以上「考える犬」になって欲しくないのです。
朝起きて2階からトントン階段を降りたとき、尻尾を振って飛びかからなくなり、面倒くさそうにジロッと目だけ動かす大人になってしまい、家内が3匹目の犬を買ってくるぞと脅し・・・。
それは、もう沢山なのです。

 

重遠の入り口に戻る