ぐたぐた言っていないで作れ

2006-08-09 15:26



というわけで例によって愛読しているLife is beautifulより



イノベーションを起こそうとするときに最も大切なことは、会議や書類作りではなく、とにかく手を動かしてプロトタイプなどの形に落とし込むこと。こうやって実際に触って感触を味わえる形にするとしないとでは、コミュニケーションの効率が全然違う。



あまり大きな声では言えないが、私が今働いている会社ではこの「みんなで座って長時間あーでもないこーでもない」が好きな人が多い。そしてこの「長時間のコミュニケーション」というところに価値を見出す人たちもいる。


しかし私は-今のところ絶望的に孤独だが-「観察」と「プロトタイピング」を強調するべきだ、と思うし個人的にはそうしている。なぜか。上記引用部分に加えて以下の2点があるからだと思う。


・人間は他の人間の振る舞いを正しく想像することができない。言い方を変えれば、どんな人も実際には「意外」なことをやらかしてくれるのだ。フィールドにでて観察すればこうした事例にはいくらでもでくわすが、会議室に閉じこもってあーだこーだ言っていても現実から乖離していくばかりである。


・上記項目と類似しているが、頭の中で「こんなものがあったらいいのでは」と想像することは重要だ。しかし現実にそれを作ってみると、その予想が当たることはあまり多くない。「なんだこれは」と悲しくなったり「を、これは何だ?」と予想外の面白さを発見することになる。ここでも人間の想像力というものが貧弱であることを認識しなくてはならない。


一項目目が「観察の重要性」にあたり、二項目目が「プロトタイプの重要性」についての私なりの説明になる。しかし現実問題としては、もうひとつ重要な要素がある。同じ状況を観察していても、そこから何をトリガーとできるかは、人によってとんでもなく異なるのだ。同じ事象を観察していても、ある人は限りなくインスピレーションを得、別の人はただぼんやりと見ているだけかもしれないし、実際こうしたことはよく起こる。


はたしてこの「能力」にはどういう名前をつければいいのだろう。そしてその「能力」を磨くことはできるのだろうか。できるとすればそれには何をすればいいのだろうか。というのが最近の関心事。


さて話を戻そう。この引用元の記事には実際に動くプロトタイプが掲載されている。これを見て「ジョグダイアルに似ている」とか「項目が増えると問題がでるかも」と指摘することも重要だろう。


しかし、たとえば一時のソニーのカーナビにあったぐるぐる回る式のジョグダイアルメニューとは明らかに何かが違う(こういうことは触ってみないとわからない)平たく言えばくるくるするのが楽しいのだ。それはどこから来るのだろうか?この楽しさを他の部分にも生かすことはできるだろうか?




視聴率をかせごう

2006-08-09 08:16



亀田というボクサーの試合を見た。12ラウンドだけだが、素人目には


「亀だがよれよれで、時々ぺちぺちパンチを出すだけ」に見えた。解説、アナウンサー陣も「思い切って、全部ぶつけてほしい」と連呼していた。逆に言えばそれほど手が出なかったのだ。


にもかかわらず3人のうち一人のジャッジは最後のラウンドを亀田につけたおかげで彼は世界チャンピョン。ボクシングというのはもともと胡散臭いスポーツだが、ここまで露骨にやるといかがなものか。


いや、かつてはこれでもよかったのだろう。一般視聴者は、放映された映像を共有し、それについて意見を述べ合う、といった手段を持っていなかったからだ。どんな下手な試合を作り上げてしまったとしてもその後で「大本営発表」を連発すれば、それは伝説の試合に昇華させることができたのだ。たとえば「猪木-アリ戦」のように。


しかし今は事態は変わった。インターネットという媒体が普及したことにより、放映された動画を共用し、それについての思いを語ることが可能になったのである。そして見逃した人は動画をみ「これはひどい」と思う。そして掲示板を読み、そう考えているのが自分だけではないことを知る。つまり以前は「放映逃げ」が可能だったのが、不可能になりつつあるのだ。


一部の掲示板では、亀田の関係者や放送局ではなく、そのTV放送においてCMを流した、つまり金を払った企業に怒りの矛先を向けている。亀田一族は馬耳東風だし、放送局は「内容については”賛否両論”あるようだが、こんなに高い視聴率がとれた」とご機嫌だからだ。


私が又聞きで得た知識によれば、TV関係者というのはこの視聴率という数字をとても重要なものである、と考えているらしい。とにかく視聴率さえとれればよい。内容がどうだとか3の次、4の次に考えているとか。


しかし私は考えるのだ。本当に多くの視聴者が見る、ということはTV関係者にとって喜ばしいことなのだろうか、と。それは多くの人間が「不正を目の当たりにする」ということでもある。そして仮にその怒りがスポンサー企業に向かう場合、その「高視聴率」は吉とでるのか凶とでるのか。


次に亀田の試合が組まれるときには面白いことが起こってくれないか、と期待してる。またもや多くの視聴者がチャンネルを合わせる。しかしそれは「よい試合を期待して」ではなく、不正がどのように行われるかを見るためだ。


そして高視聴率が期待されるにもかかわらず誰もCMを流そうとしない。公開不正行為を映し出す番組にCMを流すことは製品、企業のイメージに逆効果だからだ。多くの人間がそれを見るとなればなおさらのこと。


かくしてTV関係者が絶対視している「視聴率」が全く逆の作用を持つにいたる。期待される視聴率が高ければ高いほどスポンサーが逃げるのだ。TV局がほしいのはスポンサーからのお金。現在はそれが視聴率に直結されていると信じられているため、視聴率を追い求めるのだろうが、それが逆に接続されると何が起こるのだろう?




Steve Jobs @ WWDC2006

2006-08-09 08:02



Mac Proは相変わらず見事だ。PCの「とにかく中身を詰め込みました」とは雲泥の差がある。


それはそれとして、、


Steve Jobsのやつれかた(やせ方とはいえない)が気になる。ほほがこけたのもそうだが、いつもの黒いシャツの下に感じられる胸周りにも精気といったものが感じられない。


今回は何人かのマネージャーにプレゼンの大部分を任せており、Jobsは時折でてくるだけだった。体力が持たないのだろうか。それぞれのマネージャーもJobsスタイルの見事なプレゼンではあったが、それでもやはり本家にはかなわない。いや、2005年のJobsには、というべきだろうか。


去年のWWDC.Intelへの移行を文字ベースのニュースで知り、ああ、これでおしまいか、と思いながらKeynoteのストリーミングを見た。Jobsのプレゼンを見ているうち「いや、これはいいかもしれない」と思い始めた、そんなプレゼンはもう見られないのだろうか。


これが最後の下り坂ではなく、一時的な低下であることを祈るだけだ。




我が家におけるyoutubeの使い方

2006-08-02 11:23



というわけで我が家においてはすっかりYoutubeへの依存度が高くなっている。その利用方法は。


一番多いのが子供のリクエストである。救急車を見せろ。イルカがジャンプしているところを見せろ、ピーターパンを見せろといった要望があるたび、それらしいキーワードを打ち込んでみる。するとほとんどの場合なにがしか動画がでてくる。


中には「ジェットエンジン推進の救急車」とおぼしき動画があったりして、彼の理解がゆがむのでは、という懸念もないことはないのだが、まあ細かいことは言わない。


今まで一番チャレンジングだった課題は、彼のお気に入りの車を見せろといわれたときだ。車体は普通のSUVなのだが車輪が異常にでかい。記憶の底をあさってMonster Truckという単語を入れてみればビンゴである。


ピーターパンの動画(日本語版ピーターパンの歌が彼のお気に入りである)を見ているときには、トリビアがアップロードされていることを知った。そしてピーターパンが子供だけに囲まれている事実に隠された恐るべき事実を知ったのである。(知りたい人はYoutubeをpeter pan triviaで検索してみてください)


もうひとつはなつかしのミュージックビデオを見るため。時々ふと思い立つのはそういえばCall meという曲があったなあ、とかSpice Girlsとか好きだったな、とか。


iTunesのビデオを購入してもよいのかもしれないが、私にとってはYoutubeの画質で十分満足である。あれこれ探せばたいていでてくる。ダウンロードして変換してGoromi-TVに放り込めばご機嫌に閲覧できる。


話は突然変わる。なんでも2011年には地上デジタルというものにTVが移行するのだそうな。現在でも視聴できて画質がよい、との評判だが、某カレー屋で見たWカップの芝のモアレには正直あきれた。あれで画質がよいだって?何?元はMPEG2だって?このご時世に。


というわけでさて移行には何をすればよいのか、と見てみればいろんな言葉が山のようにでてくる。私はエンジニアの端くれだからなんとか理解してやろうと思ったが放り投げた。こんなものわかるか。


同じく私が理解をあきらめているのが「次世代DVD」と呼ばれるBlueなんとかと東芝のなんとかだ。ぼんやりと解説を見ていて思うのが、これらが徹底的にコンテンツ提供者側の都合にそって作られたものだということだ。著作権の保護について「DVDの失敗」を元にあれやこれやの仕掛けがしてある。結果として私のような怠け者エンジニアには何のことやらさっぱりわからない。地上デジタルもコピー回数に対して強烈な制限がつけられていると聞く。あの芝のモアレを見るためにそんなもの誰が使うか。


Youtubeが著作権についてさまざまな議論を巻き起こしていることは知っている。しかし一ユーザとしてみたとき、あの貧弱な画質であっても、気軽にどんな映像でも見ることができることには地上なんちゃらとか次世代なんちゃらとは比べものにならないメリットを感じる。2011年の当家における映像視聴形態はどうなっているのだおる、、とはなかなか興味があるところだ。Goromi-TVをYoutubeのフロントエンドとして使えないか、、とは半ばまじめに考えているのだが、FLVの再生がなあ。。