小島よしお

2007-08-30 00:00



の我が家におけるブームはピークを過ぎ、安定期に入っているのであるが。


実はいまだに一回もTVで彼の姿を見たことがない。見ているのはすべてYoutubeとニコニコ動画なのだ。


もちろん経由が違うだけで小島氏がTVに出演したときを見ているだけ、なのは承知である。しかしこのことに気がついたときはちょっとした驚きだった。


多分誰もちゃんと調べられないだろうが、TVで小島義男を知る人の数とネットで知る人の数はどの程度の割合なのだろうか。後者が圧倒的に大きくなり、その事実が誰の目にも明らかになったとき何が起こるのだろうか。


そして最初からYoutubeもしくは動画サイトでデビューする芸人が出始めたとき、流れは一気に傾くような気がする。その「決壊」がどこで起きるかはわからない。「既存の関係のしがらみ」とかがあって誰もがかたくなに無視し、否定しようとするだろうがもうそれが起こることだけは間違いないように思う。共産主義の崩壊のように、何十年続いた体制だろうが、崩壊するときは本当にあっけないものだ。


インターネットの動画サイトと相性のよいビジネスのやり方に「ライブで稼ぐ」というものがあることを知った。CDとかそのほかはみんなライブのための宣伝用媒体と割り切るのだそうな。芸人とかそうしたモデルにあてはまらないのかな。一ステージ100円とか500円でやっている「売れる前の芸人さん」たちはどんどん自分の芸をYoutubeにアップするような日がくる、、のかな。


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私はそうした「創作物」でご飯を食べている人間ではないので、気軽に言うのだが、


「今あるものを人に触れにくくさせることで金を稼ぐ」


商売よりも


「人にどんどん触れてもらい、それでも稼ぐ方法を見つける」


方が好ましく思えるのだ。




あるエンジニアの検討結果報告

2007-08-29 00:00



エンジニア:えー先日伺いましたご意向にそって、携帯デバイスでのポインティングデバイスに指を使う可能性について検討した結果をご報告します。




検討の基準としましては、技術的リスク、操作の容易性、アプリケーション側からみた機能の実現性としております。スタイラスを比較対照として検討を行いました。




まず技術的リスクですが、検知可能か否か、という点だけから見れば、両者とも大差はありません。しかしながらスタイラスはすでにPDAなどの携帯デバイスで広く使用されていて実績があります。


これに対して指によるポインティングについては現状ではATMなどの比較的大画面のものに用いられていることが多く、携帯デバイスで使うためには技術的リスクが存在します。またたとえばつめの長い女性にとっても容易に使えることが必要というマーケティング部門の意見もありまして、これは指によるポインティングでは実現が難しい項目です。




次に操作の容易性ですが、確かにスタイラスと比べると指は出し入れが不要、といったメリットがあります。しかしながらいったん使い出せば、スタイラスのほうがはるかに容易かつ正確に細かいポインティングを行うことが可能となります。


これに対して、指はすぐ使えるといったメリットがある反面、誤検知によりユーザエクスペリエンスを低下させるといった点が懸念されます。これは先ほど申し上げた内容とも関連しますが、特に画面の小さい携帯デバイスで、ポインティング範囲の広くなる指を用いるというのは、ポインティングの精度を考えた際に困難が予想されます。したがって総合的に見て指にメリットがあるとはいいがたい状況です。




最後の点ですが、今まで実績のある画面部品を持ちいてアプリケーションを開発する観点からしますと、スタイラスのほうが圧倒的に有利です。そもそも既存の GUI部品はマウスによる細かいポインティングが可能なことを前提として開発されています。スタイラスを用いた場合にはそうした部品をそのまま使い、開発を効率化するといったメリットが得られます。


これに対して指を使った場合は、先ほど申し上げたようにポインティングの範囲が広くなり、既存のGUI部品が使えず専用の部品開発が必要になります。加えてそうした専用部品は既存のものよりも大きくなることから特に狭い画面上でのアプリケーション開発には制約が多くなることが予想されます。もちろん画面数を多くすればある程度そうした制約を解消できますが、その場合はユーザエクスペリエンスの低下が懸念されます。




以上のように指をポインティングデバイスとして用いるという案は、スタイラスを用いた場合に比べ、有利な点もありますが、不利な点が多い。ユーザエクスペリエンスを第一に多角的かつ総合的に検討いたしました結果としては、やはり従来どおりスタイラスを用いるほうが有利ではないか、と考えておりますが。。。










Steve Jobs :君机整理してすぐ出て行って。Securityにエスコートさせてくれるかな。




「新しい発見」のために

2007-08-28 00:00



セレンディピティを高めてくれるシステムはなかろうか、とあれこれ考えているのだが(同じことを提唱している人はたくさんいるが、まともな研究というかその類を見たことはないのだ)


でもってこのブログにつけている「あわせてよみたい」は結構よいなあ、と考える今日この頃。「はてなブックマーク」は確かに有用だ。「人気」「ホットエントリー」をみていくと興味のある話題を見つけることができる。


しかしそれらにはやはり問題があり



  1. (定義は別として)大手サイトに偏り勝ち

  2. 内容は確かに私の興味と合致している。しかし狭い。プログラミング、仕事のやり方、政治の話。痛いニュース。確かに面白い。しかし狭いのだ。だんだん自分の興味が狭くなっていくのを感じるのだ。


でもって「あわせてよみたい」でリストアップされているサイトを巡ってみるわけだ。もちろんはずれもある。(私はC言語のポインタの使い方に興味はない)しかし「をを、これは」と思えるサイトに時々出会うことができる。


ここで考えたことは二つ。




1:分野を超えて興味を持てるブログの共通項は何だろう?最近文体。あるいは文章の書き方、書くときの態度ではないかと考えている。そうするといくつかお気に入りのブログを入力すると「他分野」で共通する「文章への態度」を持ったブログを見つけるようなことができないだろうか?できそうな気がする。


2:仮にそうしたシステムができたとしても「エレメンタルノート」や「それだけは聞かんとってくれ」を見つけることは容易ではない。それはどうしたから可能なのか。




広告費というものの危うさ

2007-08-24 00:00



インターネットが普及してからというもの「なんでも無料」という話が目に付くようになった。ものすごく単純化した話をすると広告で金をもらうからいいのだそうな。


そこから疑問が始まる。広告費というものはそんなに膨大なものなのか?あれこれ調べると結構な額であることを知る。それがあってこそ先日のはてなのセミナーで聞いた


「ビジネスモデルなんかなくても、トラフィックがあればなんとかなる」ということになるのだろう(問題の単純化しすぎだ、ということは承知してます)


一時Microsoftも広告モデルを重視するとか聞いたことがあるような気もする。考えて見ればそもそもテレビなんてものも広告モデルだよね。


さて


問題はその広告費とはいったい何なのだ、ということだ。それがなければ本当にものが売れないのだろうか。実はもっと安くて効果的な方法があるのではないだろうか。誰かがそれを発見したら、今広告費によって成り立っている膨大な構造は崩壊するのだろうか。


などともんもんとしているところに次の記事を見つけた。


「広告はそもそも、効果測定が難しい。『この広告で売れた』とはっきり分かる場合を除くと、CMが流れた回数やバナーのクリック回数、宣伝の話題性などが購買にどう結びついたかとらえるのは困難だ」

 「何が効果的か分からない中、それでも何かやらなくてはいけない宣伝部は、常に霧の中を歩いているようなもの。だから広告の現場では、『これをやるべきだ』というコンセンサスや、『やってよかった』という納得感こそが、前に進んでいくために重要になる」

 「コンセンサスや納得感を求める中で“新しいこと”が何となく力を持つ。広告担当部署は新しいことを切実に求め、『新しいことをやれ』と上からも言われる。そういう状況でたいてい、Webというキーワードが浮上してくる」

 新しいことへの期待を一手に引き受けるWeb広告業界では、定期的に新手法の“熱病”が広がるという。

業界人が告白:Second Life「企業が続々参入」の舞台裏 (1/3) - ITmedia News業界人が告白:Second Life「企業が続々参入」の舞台裏 (1/3) - ITmedia News


この記事の主題はセカンドライフの実態のない熱狂に関するものだが、ここではこの業界人の言葉に耳を傾けたい。


おそらく広告というものは、膨大な費用を使ってはいるが、誰もその費用を正当化できないものなのだろう。(効果が測定できないのだから)そして何の根拠もない「相場」が定まることによってその価格が決められているものなのではなかろうか。何も見えない霧の中に「相場」を作り上げるのだ。そしてそれがよりどころとなる。


考えてみればこうした「裏づけのない相場によって成り立っている産業」というのは結構たくさんあるように思う。ダイヤモンドなんてのもそうかもね。彼らは価格維持のためならなんでもする、、とゴルゴ13で読んだ気がする。


となると前述の私の「懸念」は正しいのかもしれない。誰かが「効果があり、安価な」ものを売るための手法を発見するかもしれない。TVで全国にCMを流すため何億も払わなくても、バナー広告を出すために金を払わなくても


すると何が起こるのだろう?




活躍している日本企業

2007-08-23 00:00



昨日の読売新聞一面に概略次のような記事が載っていた。



世界中で大ヒットしたiPodを分解してみると、日本の部品、素材が多く使われていることがわかる。分野によっては独占的な地位を築いているものもある。


しかしiPodの中で勧告製品の推定コストを算出すると日本製品のそれより大幅に上回る。また部品、素材はがんばっていても、全体の製品で考えるとウォークマンはiPodに歯が立たない。(うろ覚え)



たとえばトヨタはもうけているが、彼らはあらかじめ存在している「自動車」という枠の中で勝っているに過ぎない。iPodのように従来ニッチだった製品分野で爆発的にヒットし、産業構造を変えてしまうようなインパクトのある製品では今の日本企業はいささか寂しい、と思うわけだ。




さて、話は日本における「関連企業」なるものと発注元企業に飛躍する。前にも書いたと思うが、日本において、発注元、下請けの関係というのはどこか人間の貴賎にまで及ぼされているようないびつなものだ。誰も口には出さないだろうが、自分が他人に発注する企業(そういった企業の多くでは社員は書類しか作らないのだが)は「下請け企業」の従業員より自分が人間的にかなり高級だと信じていることだろう。


しかし先ほどの記事の論調に与するとすれば、世界的に見て見事に戦っているのは「下請け企業」(中小企業)であり、劣勢を強いられているのは「高級な人間で構成された発注元企業」という図式が見えないだろうか。つまり日本で大企業(つまり発注元に回ることが多い会社)の人間は、下請企業を見下し、自分を高級な存在と思っているが実力は今ひとつ。Fool on the Hillの集合体なわけだ。


この「大企業の無能さと日本における大企業社員の”いびつな”精神構造」の間に関連があるのかないのかはわからない。なんとなくあるような気もするのだよね。新しい斬新なアイディアが持ち込まれても「自分たちは高級な人間だ。貴様のような下賎な民の提案など」と言って一顧だにしない。


同じ提案を米国企業(たとえばApple)は採用したりする。優秀なエンジニアを三顧の礼で迎える、というエピソードで私に聞こえてくるのは「外資系企業」のものばかりだ。日本の大企業の人間は高級すぎて他人に「三顧の礼」を尽くす、などということは思いもよらない、、のかもしれない。本当は逆なのだけどね。




心理学が学問たり得ない理由

2007-08-20 00:00



などと難しそうな題名だが、私は「心理学のセミナーに数回参加したことがある(聞いていたかどうかは別として)」という人なので素人の戯言と思って聞き流してください。詳しい人へ。


心理学の実験では「条件を統制する」ということがよく語られる。つまり科学の実験ならだいたいそうだと思うが、XとYの因果関係を証明するために、それ以外の要素は一定に保っておき、XをΔX変化させたとき、Yにどのような変化があるかを測定するわけだ。つまり変微分可能性を前提としているわけ。


なるほど。心理学が「サーカスの見世物」から学問であろうとして、こうした手法を真摯に追求した、という理由は理解できるし、その真摯さに感動もする。


しかし


問題は日常生活で私のような人間が興味を抱く「心理」というものはこうした「変微分可能な事象」とはかけはなれた観測も因果関係もさっぱりわからない複雑怪奇なものである点だ。そうしたものをおいかけようとすれば、まず「条件を統制する」というところで現実とはかけ離れたものになってしまう。


次に実験では「再現性」が重視される。つまり所定の条件を設定した場合、結果は同じであることが要求されるのだ。


しかしこの「再現性」が少し高度な心理に当てはまらないことは、私のような素人には自明に思える。同じ天気、同じ気温の同じ日に私はご機嫌でしょうか、しょげているでしょうか?こんな問題に単純な「再現性」があるわけがない。朝ごはんに何を食べるかを「統制」したところで結果は同じだ。


というわけで心理学が「科学」足りえるのは大変低レベルの心理的な動きに限られう、それ以上のレベルの話になるとかなり怪しくなる、、というのが素人の感想なのである。そもそも扱っているのが科学のまな板に乗りにくい、人間様の心理、というところが持って生まれた十字架なのかもしれん。


ちなみにそうした「心理学セミナー」で一番我慢ならないのが「心理学の実験はこんなにちゃんとやるのよ!工学系統の人間は何もしらないから困るわ!」という他の分野の人間を見下したような講師のしゃべり方だったりする。これも「研究補償説」の一例としてみればよいのかもしれないが。




通話しなくても

2007-08-17 00:00



違う、我々が欲しいのは電源をONにした瞬間起動するマシンだ。」より





我々が欲しいのは電源をONにした瞬間起動するマシンだ。


ホームページが閲覧できて、メールが送れて、ニコニコ動画が快適に見られるスペックを持った起動の早いマシンが欲しいのだ。デスクトップアプリケーションなんて動かなくても良い。コンパクトで低発熱、低消費電力で、電源をONにした瞬間起動する、速くて安いマシンが欲しいのだ。



Gates君も「OSの起動をもっと早くしろ」と言ったとか言わないとか。少し前にこの記事を読んでいれば「ああ、よく聞く話だ」と思ったことだろう。しかし今はこの要望に対する答えがあることを知っている。


回答:iPhoneを買いなさい。(ニコ動をあきらめYoutubeにするところだけは妥協して)


いや、使ってみると本当に時間を忘れてインターネットを使い倒してしまいますぜ。Youtubeはストレスなしに再生され、Webページの閲覧も問題なし。最初にiPhoneが発表されたとき"Wide screen iPod with Touch Control" "Revolutionaly Phone" "Breakthrough internet communication device"と三つの売りを強調していた。この中で一番聴衆の反応が悪かったのが最後の項目だ。私もなんとなくピンとこなかった。


しかしSNSを使っていない、という制限があっても、今私は最後の項目に一番価値を見いだしている。之さえあれば何よりも嫌いな長時間の会議も怖くない。




iPhoneさわりました

2007-08-09 00:00



潜水艦でドイツにいった日本の軍人がMe-262の試験飛行を見たときはこんな気持ちだったのだろうか。というわけでいきなり引用。


坂井氏は冒頭、海外で発売されて話題を呼んだiPhoneについて、「アレはケータイ? それともコンピューター?」と問いかけた。猪子氏は、iPhoneについて「海外らしいもの」とし、そのインターフェイスについて「目的の為に直線的、合理的なもの」と評価した。

 猪子氏は、自身のインターフェイスについての考えを語り、「本来、インターフェイスは使いやすくするためにある。ケータイでメールするとき、伝えるためにしょうがなくボタンを押している。今回actfaceでは、行為自体を楽しく消費するような、ボタンを連打したくなるようなものを考えた。これは日本特有」と述べた。

Kスタ、au design projectの新コンセプトモデル公開Kスタ、au design projectの新コンセプトモデル公開


そうだね。「日本特有」をかかげるしか今のところ方法はないよね。


使ってみての脊髄反射的感想



Jobsはアップルの従業員にただでiPhoneを配ったと言う。もちろん従業員の努力に報いるという気持ちもあるのだろうが、実際にこの製品に触れてもらうほど協力は宣伝はないのではないか。そう考えると「広告費」としてもその費用を考えているのかもしれない。


これはケータイとは全く別物だ。




評判を検索すること

2007-08-02 00:00



評判を検索、というサービスがいくつか発表されている。最初「をを、これはよい」と思ったものだ。


しかし使ってみると自分でも驚くほど


「だから何?」


と表示された結果に対して言いたくなる。なぜだろう。例えば私は見た映画に対してしつこく映画評を書いている。であるから他人がその映画に対してどのような感想を持ったか知りたい、と思うのだが、映画の名前を入れて評判検索をかけても


「だから何?」


としか思えない。


昨日あちこちのブログを読んでいてどこかで見つけた記事に書いてあったことが私の疑問に答えてくれた。不幸にしてURLを見つけられないのでうろ覚えだが



「やりたいことは”○○に対する評判を調べる”ことではなく”○○に対する△△さんの意見を知りたい”なのではないか」



映画評を例にとろう。ネットを検索すると映画評の類が山のようにあることを知る。一番信用できないのが明らかに商売で書いている映画評。個人で営利とは関係なしにかかれたものでも多くの種類がある。無理やりパターン化すれば


・自分の感情垂れ流し。


・自分で勝手に「ゴール」を設定し、それに沿っていないから駄作、沿っているから名作だと決め付けるもの。読み手が「ゴール」を共用できなければ何を言っているのかわからない映画評になる


とかはいくら検索結果として出力されても何の興味ももてないのだ。


これまた以前にみかけたが、URLを探すことができないブログにこんな言葉があった



役に立たない映画評:自分の感情をただ並べたもの


役に立つ映画評:読者に映画に対する新しい見方を提供するもの



この二つを考え合わせると、、


映画評に限って「私にとって価値ある情報」を考えてみると


・読み手を意識しており、自分の意見をある程度客観的に離れたところで意識しながら述べている


・↑の事実を私が知っているか、感じることができ、書き手に対して信頼感を持てるもの


ということになるのかな。具体例を挙げれといわれれば、m@stervisionがまず思い浮かぶ。私が「金返せ」と思ったStar Wars Episode 2にこの人は5つ星(満点)をつけている。評価は違えど私はこの人のStar Wars評を読み確かにえるところはあるのだ。


ここで最初に話は戻る。というわけでそもそも「評判検索」という言葉に期待するのは「自分が読みたくなる評判を見つけること」というとても難しいタスクであるわけだ。今のところ協調フィルタリングというか集合知というか具体的には「はてなブックマーク」のようなものはこの目的に対してある程度うまく機能しているように思う。


しかし「はてなブックマーク」ではm@stervisionを見つけることはできない。時々公言することだが


「Social Bookmarkは情報の範囲が狭い」


のだ。ではどうする?映画向けの「はてなブックマーク」があればよいのか?