iPhone開発のスピードについて

2008-01-11 00:00



The Untold Story: How the iPhone Blew Up the Wireless Industryを読むとあの華麗な製品の開発においてどのような苦難があったのかをかいま見る事ができる。Product Managerが(おそらくは怒りのあまり)ドアを強烈に閉めた結果、ドアノブが壊れManagerが閉じ込められた、などというのは聞いて面白い一つのエピソードにすぎないのだろう。


この記事の主眼はiPhoneが携帯電話事業の構造自体を信じられないような方向に変えたことのように思う。そのことについては私見を前に述べた。ここではこの記事からiPhone開発に関する時系列データだけを抜き出してみる。(間違いがあると思うのでご指摘いただければ幸いです)





2002年:iPod発表直後:Jobsは携帯電話の開発を考え始める。




2004年夏:JobsがAppleは携帯電話を作らない、と明言。Motorolaと協議開始。




2005年2月:Apple-Cingular間でMotorola抜きのパートナーシップについて協議開始。Jobsが述べたポイントは3っつ。


・Appleは真に革新的な製品を作ることができる。


・キャリアとの独占契約を考量している。


・しかしながらApple自体が回線を借りてキャリアになることも考慮している。




2005年9月:Motorola ROKRを発表。




2005年11月:Motorola ROKRに関しWired に"YOU CALLTHIS THE PHONE OF THE FUTURE"という記事が掲載される。(つまり酷評ということ)




2005年11月末:Jobsがフルスピードで開発を行うよう指示。OSとして何を使うかから検討が始まる。Mac OS Xを使う場合には約1/10のサイズにする必要がある。エンジニアはLinuxを検討したが、Jobs が拒否。iPodを改造した携帯電話を作成。Click Wheelで電話をかける事ができるが、インターネットのブラウズはできない。(これがPurple 1 ?現iPhoneはP2(=Purple2)と呼ばれていた)




2006年初頭:iPhone向けOS X開発開始。




2006年7月?:Apple-Cingular間で契約締結




2006年秋のある朝:iPhoneのプロトタイプは悲惨な状況だった。Steve Jobsは静かに(いつもの癇癪ではなく)"We don't have a product yet"といい、その場にいたものの背筋を凍り付かせた。


それからの3ヶ月間は恐ろしい状況だった。




2006年12月半ば:iPhoneをCingularの経営陣に見せる。




2006年1月:Mac World ExpoでiPhone発表




2007年6月29日:iPhone発売



OSに何が使うかの検討がはじまってから1年ちょっとでMac World Expoでデモ。その間にOS Xをスリム化し、Core Foundation以外の部分を全て作り直している。またGUI部品もタッチパネルを用いた携帯電話向けに全て作り直し(ここでの作り直し、というのは「製造」ではなくて「デザイン」からのそれである)その半年後に商品として消費者の手に届けている。


もし日本で携帯電話、あるいはカーナビなどの組み込みソフトを開発している人が読んでいたとしたら、是非考えてほしい。この開発スピードは一体なんなのだ。AppleはiPhone開発に150億円費やしたと推定されている。しかしここで問題になるのはその金額ではない。つぎ込んだ金と開発のスピード&質の間にどのような関係があるか、経験者であればわかっているはずだ(仕事が遅れている言い訳には便利だが)なぜこんなことができるのだ。


と驚嘆しているところにこんなニュースを読む。


今冬のハイエンドモデルから採用され新プラットフォームとなるはずの「KCP+」の開発遅れは相当深刻のようだ。 そもそも、2007年中の発売だったはずが、いまだに発売時期は見えていない。12月中旬、あるau納入メーカー関係者は「KCP+はいまだにバグもあり、評価項目も山積み。春前までに出せるかも危うい」と話していた。

au、12月2位でも去らない苦境・端末開発遅れの誤算 モバイル-最新ニュース:IT-PLUSau、12月2位でも去らない苦境・端末開発遅れの誤算 モバイル-最新ニュース:IT-PLUS


この実力差はどうしたことか。まるで原爆と竹槍の対決再現ではないか。