才能とは

2012-02-16 07:18

年をとって子供の成長やらなにやらを見ていると

「才能とは持続する意思のことである」

と思うことが増える。

私には息子と娘がいる。年は二つ違うが、二人とも逆上がりができなかった。
娘は「お父さん、鉄棒いこう」と私を呼び出し、何度も練習した。
息子は「回ると酔っちゃうから」とかなんとかいってあまり練習しない。

結果は明白で娘は今やくるくるまわり「お兄ちゃんは腕が伸びてる」と指摘する立場だ。
二人とも小学校2年生まで逆上がりができなかったDNAを半分受け継いでいるのだが、練習したほうはちゃんとできるようになった。

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これも以前書いたが、前の会社でバイトの面接をするとき

「自分で作ったソフトを見せてください」

というのが一番だった。PCはどこからか調達する必要があるし、人によっては上手接続回線の費用が出せない人もいるかも知れない。

しかしそれをクリアできる人ならば、開発環境はただで手に入る(これは30年前からすると夢のような話だ)それで何も作らない人はなんともならない。どんな言い訳も無用だ。

というわけで何箇所か引用を。

 (アニメ業界に求められる人材とは?と問われ)描ける人。その上にセンスがあること。描く努力を続け、それを面白いと思えるか。描いて、壁に貼って、また描いて貼る。比べる。差に気づく。「もっとこうしよう」とまた描く。それを繰り返し繰り返し続けられればそれが才能。未熟な自分、だめな自分と向き合うのはつらいけど、そこから「もっともっと」と闘っていかないと向上しない。「本気さえ出せば」とか「授業でちゃんと習えば」なんていうのは言い訳。力のある人は自分で自分を磨くことができる。才能があるかどうかは、自分に聞けばいいんです。

via: 朝日新聞デジタル:小林七郎、背景美術を語る - 小原篤のアニマゲ丼 - 映画・音楽・芸能

ほおっておいても描く人。才能のある人は書かずにはいられない。

成功するのにたいした秘訣はない。
他の人が理屈をこねている間にさっさと粉をこねればいいだけのことである。
理屈をこねても時間の無駄になるだけだが、粉をこねれば団子になる。
理屈をこねる人を見ていると、やらない言い訳を探していることが多い。

via: カオスちゃんねる : 志茂田景樹人生達観しててワロタ

別の言い方をすれば、才能のある人は粉をこねずにはいられない。

ビジネスの才能がある人は、休みの日だろうがなんだろうがメールをチェックし、必要な仕事をせずにはいられない。すいません、私ビジネスの才能ありません。

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こんなのはどうだろう。その人の才能を見つけるには「一定期間以上暇な状態」において、何をしだすか観察するのだ。

そこでやり始めることがその人の才能のある事柄、というのが一番ハズレが無いのではなかろうか。