試論:私論:不便益(その2)

2012-06-29 07:40

というわけで、この文章はこの文章の続きである。まだ読んでいない人は、前の文章から読んでね。

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楽器:
素晴らしいピアノの演奏、例えばリストの曲を弾きこなすさまを見ていると、目が追いつかなくなる。右手と左手が自由に跳ねまわり、どちらの手がどの旋律を弾いているのかもわからない。非人間的なこと甚だしいと思うと同時に、人間鍛錬を積めばここまでいけるのか、と感嘆することになる。

「ピアノが弾けたらなあ」とは多くの人が考えるところであり、子供の頃いやいややらされたピアノの練習を「あのまま真面目に続けていればなあ」と嘆いた人も少なくはないだろう。ではなぜそう思うのか。ピアノというのは決してユーザビリティ的にやさしくない道具なのである。自分でもそこそこ満足がいくまで弾くためには何年もの練習をする必要がある(「何年も!」)結果ほとんどの人は、途中で挫折する。

他の楽器はどうだろう。バイオリンの先生があるときこう嘆いた。小学校に管楽器クラブはたくさんあるが、弦楽器はなかなか入れてもらえない、と。理由は簡単で弦楽器-つまりバイオリンとかそのたぐいだ-はまともに音が出るまでに数年かかるから。それ故小学校のクラブのタイムスパンに収まらないのである。

古来より楽器の多くはこうした性質を有している。ではこうした状態を「ユーザビリティ的」に改善する動きはあるのだろうか?例えばiPadのGarage bandに搭載されている「簡易演奏モード」を使ったことはあるだろうか?ギターであれば、Fコードの押さえ方に四苦八苦するなんてことは必要ない。「F」と書かれた場所を押さえればそれでFのコードが鳴らされる。こちらのほうがユーザビリティが優れている。

多くの弦楽器-例えばバイオリン-には、多くのギターにみられるようなフレットがない。それ故正しい音の高さを出すためには相当の熟練が必要である。どこを抑えればよいかは体で覚え込むしかないのだ。なぜこのような「ユーザビリティに欠陥がある」楽器が長年使われているのだろうか?楽器業界はユーザビリティに関してあまりに無知である、と無邪気に指摘する人は、、、流石にいないだろう。

ここで考えるべきは、バイオリンやピアノなどの楽器がその初心者にとっての敷居の高さと、鍛錬をつみ技量を習得した時に得られる表現の自由度を合わせて持っている、という事実である。先ほどから挙げている「ユーザビリティ上の問題」はそれを鍛錬により克服した際に得られる「自由な操作、表現」と一体なのだ。iPadのGarage Bandを使えば簡単にコードを弾くことはできる。しかしHotel Californiaのギターソロを美しく奏でようと思えば、やはり鍛錬が必要なのだ。

こうした観点から、楽器が長い歴史の間にどう「変化し、変化しなかったか」を考えることは「不便益」を考える上で有益だと思う。例えば音色、あるいは奏法に関係がない部分の素材などはどんどん変化していると聴く。そうした部分が壊れやすくても何もいいところがないからだ。しかし過去に(そして将来に渡っても)バイオリンにフレットをつけるような変化は起こりようがない。それはバイオリンという楽器の特徴を失わせることだからだ。

(本稿、続く、、、のか?)


というわけでMicrosoft Surfaceだが

2012-06-28 08:15

先週からこの話題ばかり書いているようだが気にしない。いろんな意味で印象的だった発表会だが、現在のSurfaceはどこにあるのだろうか?

even though no one seems to have really used a live unit for more than a few seconds.

via: Hands-Off: Microsoft Surface Tablet Review

この記事に、あの発表会の後、ジャーナリストたちがSurfaceをどのように「触る」ことができたかが、詳細に記述されている。端的に言えば、誰も触らせてもらえなかったということらしい。

With the Touch Cover on, we were able to balance the Surface on a lap for typing like a notebook without it falling forward or tipping over backwards; compare this to the Asus Transformer Prime which always wants to fall backwards, and you'll appreciate this weighting.

Microsoft Surface tablet review

via: Microsoft Surface tablet review | from TechRadar's expert reviews of Tablets

このように膝の上において、タッチを試すことはできた。しかしこの状態で実際にタイプを行ったわけではないようだ。

マイクロソフトの新タブレット 『Surface』 が発表会でフリーズ → おっさん焦りすぎワロタwww

via: マイクロソフトの新タブレット 『Surface』 が発表会でフリーズ → おっさん焦りすぎワロタwww : オレ的ゲーム速報@刃

肝心なプレゼンでこの状態だから、不特定多数のジャーナリストに触らせたくない気持ちは「作り手」の端くれとしては痛いほどわかる。

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今のところ、価格も、正確な発売時期も、無線での接続方式も何も発表されていない段階だし、それは決定されているわけもない。

しかし

SurfaceのARMモデルは、少なくともiPad2(iPadじゃないよ)の34,800円と比較して「遜色ない」値段をつける必要がある。(SurfaceのIntelモデルはUltrabookが競争相手になる)ここはMicrosoftのお手並み拝見というところだ。

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またもうひとつ問題がある。そもそもWindows8の新しいタブレット向けインタフェース、Metroは有効なのか?ということだ。

Sinofskyの説明にある通り、Windows 8は従来型Windowsと新しいMetroベースの体験の両方を提供する、それは、どちらのやり方を取ることにも議論があったからだ。だから彼らは・・・えーと・・・妥協した!

via: マイクロソフトの「妥協しない」の解釈は、「妥協」の定義そのもの

開発当初からこうした指摘はあった。MetroスタイルのUIに対する批判は滅多に聞こえてこない。逆に「素晴らしい」という声はいくつもある。問題は、従来型Windowsの姿とMetroをどうやって「共生」させるか、ということだ。そして現状その評判は芳しくない。

「わたしの76歳の母にWindows 8をあげても、使いこなせないだろう。だが30代、あるいは20代の人にしても、最初からMetroインタフェースに全く混乱を感じないということはないのではないだろうか」とForresterのジョンソン氏は指摘する。

via: 「マウスで苦労」「途方に暮れる」──Windows 8の新しい操作性は混乱必至? (3/3) - ITmedia ニュース

Metroはクールだが、それで全部の仕事が片付くわけではない。両者の切り替えをどうすrのか?そして従来型Windwosに切り替えた途端に、Surfaceのクールさが消え失せることに注意しよう。

It was nerdily amazing that I could even make a DOS prompt appear on it:

That was cool, and no one made me stop playing, not even Solitaire:

via: Hands-Off: Microsoft Surface Tablet Review

現状を最もよく表しているのは以下の言葉だと思う。

「わたしは本当にWindows 8を使いたい。だがMicrosoftが本当に目的地に到達できたのかどうかは、わたしには分からない。Windows 8が、Microsoftが目指す場所を示しているのは確かだ。だがMicrosoftが1回のリリースでその目的地にたどり着けるかどうかは、わたしには分からない」とDirections on Microsoftのチェリー氏は語っている。

via: 「マウスで苦労」「途方に暮れる」──Windows 8の新しい操作性は混乱必至? (3/3) - ITmedia ニュース

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そうはいっても、Microsoftは執念深い。散々けなされた初代Xboxから長い時間をかけ、とうとう北米における据え置きゲーム機ではトップの座を獲得しようとしている。(ソニーが自滅したことを勘定にいれてもだ)

これから数年Microsoftがどこに向かうのか。そしてその過程でKinのような愉快な製品をいくつ出してくれるのか。全く使う気がない人間としては野次馬気分で眺めたいと思う。会社ではどうせXPを使い続けるんだし。

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さて、Micorosoftがもし「Google I/OでGoogleがタブレットを発表する前にSurfaceを発表しなければ」と焦ったのだとすれば、それは杞憂だった。

Google Playのみで購入可能なAsus製の新しいNexus 7タブレット はiPadとKindle Fireに対するGoogleの回答となることを目指している。

via: Google I/O:新しいGoogle Nexus 7タブレットに触ってみた!

Googleは"Me too!"なタブレットを出してきた。
Google Nexus7はKindle Fireへの対抗にはなりえても、Surface,それにiPadの対抗ではない。そう思うとタブレットと同じ言葉で呼ばれる製品の中にもいくつかセグメンテーションができそうなところが面白い。

-iPad
-Ultrabook v.s. Microsoft Surface
-Kindle Fire v.s. Nexus 7

ってなところか。

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[訂正]以下の文章は正しくないようだ。その後公開された別の写真には、ケーブルが写っていない。

Glassについてはもう少し書く予定だが、別のデモ機の高画質写真を下に貼っおいた。

via: Google I/O:Google Glassに触ってみた!

同時にGoogleのHMDも発売がアナウンスされたらしい。$1,500という価格には驚かないが、この写真にはがっかりした。

実際につけてみればわかるけど、あのメガネから伸びるケーブルは実に鬱陶しい。普及のためにはあれをなんとかする必要がある、と考えている。Googleは何か面白い解決策でも提示してくれるかな、と思っていたがやはりケーブルはだらだら垂れている。

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[訂正]ただ以下の結論は変わらないので、そのままにしておく。

すばらしいエンジニアが多数在籍しているはずの企業が、どうしてこうもつまらん製品を出してくるかについてはきっと面白い考察ができると思う。いや、きっとすごいデザイナーだっているはずなのだけど。その点MicrosoftのSurfaceには正直驚いた。この差はなんなのだ。

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さて日本のベンチャーだってがんばっている。

うまく説明できないが、このビデオをみるだけでゲンナリする。すごくロジカルではあるのだけど。


どうやってもうけるのか?

2012-06-27 07:25

コンピュータ関連のビジネスというものは生き物であり、常にその姿を変えていくようだ。遠い昔は巨大で高価なハードウェアを売ることで、ものすごい利益をあげることができた。年寄りの昔話をすることを許して欲しいのだが、Sun(今はOracleに買収された)のワークステーション(CPUは68020だったが)は、

「最初に設置した場所から移動させるだけで、保証が無効になります」

という代物だった。そして目の玉が飛び出るような値札がついていた。

それからしばらくたち、なんでも(ごく特定の用途を除いては)PCでできる、ということになった。そこらへんから「ハードウェアはもうからない。ハードウェアビジネスを売却して、ソフトウェア、それにコンサルティングに特化しよう」という動きが出始めた。この理論は実際正しいように思われた。

しかし

PC市場が飽和し、主戦場が携帯機器に移ったところで、また図式が変わろうとしている。

So Microsoft faces a dilemma. Their business model of expensive software on cheap hardware is not sustainable. The future is nearly free software integrated into moderately priced hardware.

via: Who will be Microsoft's Tim Cook? | asymco

--Microsfotはジレンマに直面している。安価なハードに高価なソフトを載せるモデルは長くは続かない。ほとんど無料のソフトと適切な値段のハードを統合して売ることが、次のモデルだ--

つい最近まで、Microsoftは、「安いハードの上で動く高いソフトウェアを売る」ことで利益をあげてきた。不幸にして、携帯情報端末ではその図式が崩れようとしている。今や携帯情報端末で利益を上げているのは、Appleだけ(一部サムソン)なのだ。

この引用記事によれば、Appleがやっていることは「適切な価格のハードウェアの上で、ほぼ無料のソフト+サービスを動かし、一体として販売する」ことである。そして(一部の人を除いて)誰もが想像し得なかったことだが、みんなが「もうからないから辞める」といったハードウェアビジネス込で、十分な価格競争力を持ち、利益を上げているのだ。

こうした「事実」を踏まえた上で、MicrosoftはSurfaceを発表した。それがおそらくはUltrabookと競合することを十分認識した上でそうした掛けにでたのだ。

A Microsoft executive said the company has no plans to manufacture its own company-branded smartphones, denying reports to the contrary that emerged after Redmond last week roiled the PC hardware industry by unveiling its own tablet computer.

via: Microsoft: We Won't Build Own Windows Phones - Windows - Microsoft news - Informationweek

といわれるように、MicrosoftはWindows Phoneは作らないよ、と言ったらしい。しかしこの言葉を額面どおり受け取る人間はいないだろう。既にMicrosoftはNokiaを実質的に傘下に収めている。GoogleはMotrolaを持つことになった。「三国志」の国は全て自分たちの垂直統合モデルをもって戦おうとしている。

こういう図式の変化を眺めていると、したり顔で

「オープンでないからだめだよ」

とか

「ハードウェアはもうからないよ」

とか言うことの馬鹿らしさというものが明白になる。二流の誰かが「常識」とか「理論」を打ち立てた頃、本当の一流プレーヤーは自分たちで新たなモデルを創造し、実現していく。今の枠組みで勝てないのであれば、新たな枠組みを作り、今の枠組みでHappyな人たちの顔をしかめさせながら進んでいくのだ。

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イノベーションのジレンマ、という名著がある。

なぜ名著かといえば、従来常識とされてきた「顧客の声に耳を傾け、それに沿って製品を磨き上げる」ことで、企業が没落するという事実を理論建てて説明したからだ。そしてこの本に書いてある理論が適用できる例を現実世界でたくさん見つけることができる。(ゲーム専用機v.s.スマートフォンとかね)

でもってその著者は2007年にこういったのだそうな。

But the prediction of the theory would be that Apple won't succeed with the iPhone.

via: Clayton Christensen's Innovation Brain

--理論を元に予測すれば、AppleはiPhoneで成功しないだろう。--

なぜこの予想は外れたのか。こちらには興味深い議論が掲載されているが、言えることはただひとつ。理論というのは常に変化し続ける世界の後追いしかできない、ということだ。

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でもって日本メーカーはどうするんだろうね。世界に冠たる「マイナスイオン発生装置」で付加価値を高めますか?


一番恐ろしいもの

2012-06-26 07:07

先日こんな記事を読んだ。

ストレス・アット・ワーク(Stress@Work)と名づけられたAndroidアプリは、FacebookやTwitter、SMSなどのメッセージの内容が不愉快なことでショックを受けたりストレスを感じたりすることを避けるために、内容によってメッセージを分類して色で表示する。好ましいメッセージは緑、ネガティブだったり危なかったりするメッセージは赤、中間は青で分けてあるので、中身を読む前に心の準備ができるし、後から読むことにもできるし、読まずに捨てることもできる。

via: 開封する前にメッセージが不快な内容かどうか教えてくれるアプリ from WirelessWire News « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

一見良いアイディアのように思える。しかし私見ではこれは現在以上のストレスをユーザに与えることになるだろう。

というか、こうしたソフトを使わなくても似たようなことはいつもやっているのだ。題名、あるいは最初の数行だけみて後は見ない。捨てるわけにもいかずずっとそのままにする。論文採択のメールなんか大抵そうする。本来もらったコメントを読み、それを反映しなくてはいけないのだが、どうしても読むことができない。(私は小心者なのだ)

しかし

経験からこうした方策が「とてもまずいものである」ことを知っている。之をやると、想像だけが頭の中で膨らむ。そして「残りの文面」に書かれていることが限りなく恐ろしいことのように思えてくる。自分の中でも「あれはまずかったかな」と思っていることがつぎから次へと頭に浮かび、それが全て列挙されているのではないか、と怯え続けることになる。

もちろん

本当にその「想像通りの内容」がメールに書かれている場合だってあると思う。しかし経験からしてそうしたことはない。勇気を振り絞って読んでみれば

「なーんだ」

という内容に思えることばかりだ。つまり一番恐ろしいものは、自分が想像した「現実」であり、本当の現実は常にそれよりマシだ、という定理を経験から導くことができる。

これは別に今に始まった話ではなく、古来「幽霊」と言われるものも人間の想像力が生み出したものだし、それが大変恐ろしいものであるのも理由のないことではない。


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これはメールなどの間接的な媒体を通じて行うコミュニケーションでは常につきまとう問題でもある。文面から

「これはものすごくまずい」

という雰囲気が感じられることがある。もちろん本当にそうした場合もあるだろう。しかしそうした場合常に必要なのは「実際に(可能なら)顔をみて話す」ことである。そしてほとんど全ての場合で、現実の相手は、メールから想像されるよりも悪いことにはなっていない。

頭ではわかっているけど、それができないんだよねえ。。


試論:私論:不便益(その1) (was 人工知能学会全国大会にいってきたよその2)

2012-06-24 07:33

というわけで、山口で聞いた「不便益」の発表及びその後のQ&Aに触発されて書き始めた文章である。

不便益という言葉を最初に聞いた時「これだよ!」と思った。それ故学会で発表を聞いたのだが、その内容にはいささか物足りなさを感じた。しかしその発表の後に素晴らしい指摘をした人がいた。(残念なことにその指摘は発表者に理解されていないようだったが)

と文句を言っているのであれば、自分で考えをまとめよう、というわけで以下に書いてみる。

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世の中にはユーザビリティ原理主義者とでも言うべき人たちがいる。曰く

「説明書なしに観ただけで使えるようにならなくちゃだめだよ」
「誰もが使えなくちゃだめだ」
「これは"モード"があるね。ユーザビリティがなっちゃいない」

彼らと彼女たちにとっては、こうした「ユーザビリティ原理」に適合したものだけが「良い製品」なのだろう。

問題は

「世の中は原理主義で割り切るには、少し複雑すぎる」

ところにある。原理主義というのは、複雑な世の中を「これ」か「これ以外」で単純化する行為だと思う。それ故知能の負担は少ないし、かつその「すがすがしいまでの割り切り」は共感を呼ぶことがあるようだ。しかし年を取ってくると

「お若いの。元気がいいことだなあ。ところでこれはどうだ?」

と問うてみたくもなる。

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ここでは3つの例を挙げる。

1.自転車

2.ヴァイオリン(楽器一般)

3.vi(及びその派生エディタ)


順に説明する。

1. 自転車

ユーザビリティ原理主義者は、自転車についてどう考えるのだろう。寡聞にして、練習なしに自転車に乗れた人の話しを聞いたことがない。(多分世の中には存在しているのだろうが)それどころか、説明なしに自転車に乗れる人はまずいないのではないか。(何をするものかもわからないと思う)

自転車の形態はここ100年以上変化していないようだ。例えば「現代のハイテク」を駆使して転ばず運転できる自転車を作ることもあるいは可能かもしれない。いや、そんな面倒なことをしなくても補助輪をつければよい。

しかし最終的にはほとんどの人が補助輪をとっぱらってしまう。そして膝をすりむいたり痛い思いをしながら自転車の乗り方を習得し、そして高い金を出して新しい自転車を買うのだ。

こうした行為すべてが、ユーザビリティの原則に逆らっている。しかし人々は自転車に乗り続ける。それはなぜだろう?

それは「不便」さと裏腹のメリットがあるためにほかならない。自転車は本質的に不安定である。それ故運転することができるまでにかなりの修練を必要とする。
しかしその「不安定さ」故に得られる俊敏さ、柔軟さ、効率性(Wikipediaを信じれば、移動に必要なエネルギーは徒歩の1/5とのこと)

あるいは単に「みんな乗っているから」が最初の理由かもしれない。しかしこの「不安定さ」=「不便」を伴うメリットを多くの人は受けていれている。

しかしそれとともに、自転車が今日の形態に落ち着くまでの歴史についても興味を払う必要がある。当初地面を足で蹴って進む機構だったが、複雑になるのを承知でペダルがついた。スピードを増すため前輪が巨大化したが、それは危険とのことでチェーンがついた。つまり進化の過程において

「解決された不便」

「残された不便」

両方が存在する、ということになる。こうした観点から、残り2つについて考え見よう。

(とか書いておいて本当に続くのか?)


ものづくり大国の幻想(何度目かな)

2012-06-22 06:43

というわけで、まずは先日発表されたMicrosoft Surfaceのプレゼンテーションのビデオを見よう。

まず最初。Steve Balmerが登場し、なぜMicorsoftがハードウェアを作るのか、という点について長々と述べる。

13:40秒頃:開発責任者がこう言う。
・Internet Explorerをたちあげて。ほらこんなにスムーズにブラウズできるんだ。
(そう言いながら、画面をタップするが画面はフリーズしている)

画面を聴衆から隠しながら、あれこれ操作をする。その間説明は進んでいく。

ゲームもできる。映画のエンタメもできる。

(画面を叩き続けるが、反応しない。しかたなくバックアップに切り替える)

この人は最初から少しナーバスに見えたが、こういう状況ではナーバスにならざるを得ないんだろうな。

来週Googleが彼らのタブレットを発表すると言われている。Microsoftはなんとしてもその前にSurfaceを発表する必要があったのだろう。事情はくんでやらなくては。

・28:40秒頃:3人並んで「これがSurface ファミリーだ」と紹介する。このプレゼンの中で何度かわざとらしい

「観客からの歓声」

があがるのだが、あれは誰がやってるんだろうね。良い製品だと思うが、例えばiPhoneを最初に発表した時のような歓声があがるとはとても思えない。そういえば、日本でXboxを最初に売りだした時も

「ハイデフ、ハイデフ」

とかいうわざとらしい声が上がっていたな。

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という点は除き、本日言いたいのはそのことではない。私が注目したいのは、特にこの29分以降、ステージにあがってプレゼンする男のスタイルだ。名前はPanos Panay

にこりともしない男で、一箇所だけ冗談を言う。「私にのってこのカバーキーボードは2番目に大切なモノだ。一番は奥さん。これは2番目」

しかしそれ以外は冷静に、Surfaceをいかに作り上げたかについて語り続ける。そこからは彼がこのハードウェアにこめた情熱が伺える。本体と一体化したスタンドについて語るところなんか実に熱いよ。

でもってNECが数日前に発表したこれと比べてみよう。

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Windows 8にとって、タブレット対応は目玉の一つである。しかしそれをどうやって普及させるか?

「ハードウェアベンダーさんがんばって」

では結局このNECのようなゴミを出してくるだけだ。AppleはそれをMotorolaが作った「iTunes対応ケータイ」で身にしみて理解したのだろう。

iPhoneの発表プレゼンで、Steve JobsはAlay Kayの言葉を引用した。

「People who are really serious about software should make their own hardware.」
「ソフトウェアに対して本当に真剣な人は、独自のハードウェアを作るべきだ。」

via: アラン・ケイ - Wikipedia

そしてこのSurfaceを見ていると、その言葉が思い出されるのだ。カバー一体型のキーボード。本体と一体になったスタンド。これらの「ハードウェアへのこだわり」をなぜ名だたる家電メーカーは作り得なかったのか。

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日本は「ものづくり大国」だという。しかし仮にその言葉が真実だとしても

「請負ものづくり大国」
とか
「部品ものづくり大国」

でしかない。Appleのような異常な企業を引き合いにださなくても、ハードウェア素人であるはずのMicrosoftがだしてきたタブレットに、日本の家電メーカーが作ったタブレットが負けているように見えるのはどういうことか。

「いやいや、NECのタブレットのほうが薄くて軽いよ」

とか言っているうちは「請負大国」「部品大国」にしかなれん。というかもうそれすら難しいのかも知れない。

アラン・ケイがどのような意図で、先ほど引用した言葉を残したのか是非知りたいと思う。


白昼夢から覚めるとき

2012-06-21 06:54

一端始めるとなかなかやめないのは日本企業の特質である。それは企業が好調の時は美徳と云われ、不調の時は欠点と言われる。

しかし

先日のMicrosoft Surfaceの発表で確かになったことが一つある。

「日本製PCはジャパネットたかたのみで販売するニッチ商品とすべきだ」

日本メーカのPCというものは遠い昔に死んでいたのだ。ただそれに気が付かないふりをしていただけ。Microsoft Surfaceはそのことを明白にした。なぜそう考えるか。

しかも、国内版の液晶一体型は、インスタントTVなどの機能を搭載することで、実用的なTVとしてのユーザー体験を提供している。これはAppleのiMacでも体験できないユーザー体験だ。

via: 【笠原一輝のユビキタス情報局】 Microsoft「Surface」がPCメーカーに与えた衝撃

だが、日本のメーカーはプリインストールするアプリケーションで差別化し、メーカーによっては自社でアプリケーションを制作し、それによる差別化すら行なってきた。それがMetro Appsではできなくなるというのだから、大きな問題なのだ。

via: 【笠原一輝のユビキタス情報局】 Microsoft「Surface」がPCメーカーに与えた衝撃

「液晶一体型をはやらせたのが日本メーカー」とかいう滑稽無糖な主張にツッコミたくなるのをぐっとこらえよう。主眼はそこではない。ここで言っていることは


「日本のメーカーがPCに与えた付加価値は、TVが見られることであり、ゴミのようなプリインストールアプリを山ほど詰め込むこと」

ということである。それができなくなるから、Windows 8,とか最近のMicrosoftはけしからん、と本気で言っているようだ。

何の統計データもなしに言うが、今時

「こんなに無料ソフトがついてます!」

とか

「なんとTVが見られるんです!」

なんていう売り文句でPCを買う人は、ジャパネットたかたを見ている人くらいしかいないのではないか?そうした人なら海外メーカーのPCとの価格差がどれだけあろうと、日本製の高いものを買うに違いない。

今回Micorsoftは、Windowsを搭載するタブレット、それにLow-endのPCを自ら製造することで、そうした製品を作ろうとしてきたメーカーに死刑宣告を下した。しかしそれはどちらかといえば

「安楽死の宣告」

あるいは

「人工呼吸器を取り外す宣告」

に近い。白昼夢に浸っているのはやめて、現実を見なさい、と言っただけのことだ。この点において、私は以下の意見に全く賛同する。

  • マイクロソフトはアップルとの戦いをOEMメーカーと一緒にではなく、単独で戦うことを決めた(結果として、日本メーカーのパソコン・ビジネスからの撤退は加速されるだろう)
  • ポストPC時代のマイクロソフトのビジネスモデルは、ソフトウェア・ライセンス・ビジネスではなく、垂直統合ビジネスになる。ソフトウェア+ハードウェアだけでなく、サービスもからめたビジネスだ
  • マイクロソフトは、Surface が従来型のパソコン市場の終焉を早めるだろうことは十分認識しているが、そのリスクを負わなければ次の時代の覇者にはなれないことも良く知っている
  • via: Life is beautiful

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    さて、そのSurfaceだが今のところ好評のようだ。もっとも価格も、カバーキーボードの使いごこちも、画面拡大縮小の速度も何もわからない状態での評価だが。

    最後に画面、これに関しては意外な発見があった。たしかにHDの画面ではあるが、タッチインタフェイスで写真のズームイン/アウトができないのだ。だから、その描画スピードもご報告できない。

    via: Microsoft Surfaceにさわってみた, 独特のこだわりで超力作になってる

    Windows Phoneが登場した時も概ねこんな評判だった気がする。しかし今やそれは

    Death by thousands cut

    と言われる状態だ。更に(前から噂されていたことだが)今までにWindows phoneを買った人に残念なお知らせ。

    最初のWindows Phone 7端末が米国で発売されたのは2010年末。日本でいえば、今のところ国内唯一のWP7.5端末 au IS12Tは昨年8月末発売。WP8のリリースは秋とされているため、発売から約1年で最新OSは非対応になったことを「切り捨て」と感じるか、WP7.8が提供されて良かったと考えるかは複雑なところです。

    via: Windows Phone 7.8 発表、WP8新機能の一部を旧端末に提供 - Engadget Japanese

    まあAndroidよりまし、という意見もあろう。この点に関してMicrosoftを責めるのは気の毒だと思う。


    タブレット×2

    2012-06-20 06:44

    というわけで二日間の間に2種類のタブレット製品の発表があった。

    こういった多彩な製品バリエーションと、豊富なアプリケーション、機器連携を武器に他社との差別化を図るが、西大氏は今回のLifeTouch Lについて、「ハードウェアとしてだけみても、iPadと十分に張り合える製品」と述べ、高性能と薄さ軽さを両立させた本製品に大きな自信を見せた。

    via: 【PC Watch】 NEC、LifeTouch L発表会を開催 ~「LifeTouch LはiPadとも張り合える製品」

    そしてMicrosoftからはSurfaceがでてきた。

    全体的にこの製品は、Redmond〔Microsoft〕の人たちによる、とてもすてきな、細部までよく練られた、感動的な作品だ。発表をRedmondでなくわざわざロサンゼルスのMilk Studiosでやったのも、その超モダンでおしゃれな環境にテク系の記者たちを招くことに、ねらいがあったのだろう。まだ正式ロンチは数か月先だが、今日見たかぎりでも、将来性大いにあり、と感じらる。

    via: Microsoft Surfaceにさわってみた, 独特のこだわりで超力作になってる

    両方の詳細について語ることは今日はしない。しかし一つだけ確かなのは

    「両方共AppleのRetinaディスプレイを模倣できなかった」

    ことである。

    もちろんRetina Dislayには商品価値がないから採用しなかったということもできる。(多分問われれはそう答えるだろう)しかしAppleがiPadもRetinaにすることは2年前からわかっていたはずだ。

    特にiPadが先行し大きなシェアを得ている状況では「わかりやすい」差別化の要因が必要となる。しかし両社ともそれはできなかった。

    これは大変興味深い点だと思う。ここらへんの事情はもちろん秘密の壁の向こうにあることだから、私のような部外者にはわからない。しかし

    工場を持たないファブレスメーカーという印象が強いアップルだが、その設備投資額は実はソニーの2049億円をはるかに上回る。2011年は3320億円を注ぎ込んだ。2012年はさらに増額して、5893億円もの設備投資を行う計画だ。

    via: 数字が語るアップル「デザイン経営」のすごみ 設備投資に5900億円 :日本経済新聞

    今やアップルはソニーの2倍以上も設備に投資している会社なのだ。そしてその投資の結果をプロテクトすることに関しても非常にうまくやっている、ということなのだろう。

    Microsoftはその状況の中で少なくとも

    "Me too!"

    ではない製品を出してきた。以前書いたことだが、タブレットとPCの違いは画面のサイズではなく、キーボードの有無なのだ。というわけで、タブレットとOSを共通するMicorsoftは、タブレットにキーボードを付けてきた。私は依然として(Apple狂信者という点を差し引いても)携帯電話とタブレットのほうが近いところにあると思っているが、Microsoftのやっていることを理解はできる。

    NECは、、、

    モデルの澤田由希さん
    モデルの澤田由希さん

    via: [拡大画像]【PC Watch】 NEC、LifeTouch L発表会を開催 ~「LifeTouch LはiPadとも張り合える製品」

    とりあえずいいかげん、綺麗な女性(芸能人でもモデルでも)に製品持たせるのやめない?


    スタートアップの処方箋

    2012-06-19 06:57

    複雑かつ答えが存在しないような状況で「断定」する人がいると、カルト的な支持を集めると聞いたことがある。映画「ミスト」ではスーパーマーケットに閉じ込められた人々が、神がかりなおばさんを崇拝するようになる過程が恐怖とともに描かれていた。

    というわけでスタートアップである。私はのんきな傍観者として「日本のベンチャーは残念だ」と感じることが多い。じゃあお前自分でやってみろ、といわるとビビるのだが、頭の中で「なぜ残念か、ではどうすればいいのか」と考えることはある。

    そしてそうした「処方箋」を説く文章も世の中にはたくさんある。昨日見つけたのは少し面白かった。

    もっとも、リーン・スタートアップへの反論もいくつかあるようだ。しかし、どう取り組めばよいかは、それぞれのスタートアップ固有のことで、創意工夫が不可欠だ。それに万能の魔法の杖などありはしない。リーン・スタートアップもORを実践する上でのプロダクト開発のための方法論のひとつである。皆が、あるいは○○さんが言っているからではなく、自ら正しいことを見つけ、それを実行することだ。

    via: なぜスゴそうな人も大ゴケするのか? テーマで間違うスタートアップ |インキュベーションの虚と実|ダイヤモンド・オンライン

    引用したのは、8P文書の7ページ目だ。それまでさんざんあれこれ書いてはいるが結局のところ

    「それぞれに工夫すること」

    という何も言っていないのと同等の結論になっているところが正直で素敵である。
    いろいろ理屈はあり、かつ成功した人は得意になって「私が成功した理由」を説くのかもしれないが、そこから一般的な結論を導き出すことは難しいということなのだろう。

    とはいえ

    成功への処方箋がかけないといって、「ほとんどの場合無駄なこと」がないわけではない。私が知っている限り

    「日本におけるベンチャーコンテストでの評価」

    というのは全くあてにならない。もちろんスタートアップ側にとっては知名度をあげるチャンスであり、かつうまくいけばいくばくかの資金も得られる。しかしそれはそれ、これはこれである。

    -----------
    同じくリーダーシップというやつにも定形がない。部下の言うことに耳を傾けろ、とか書くことは簡単だが現実はそれほど簡単ではない。

    新たにHewlett-Packard(HP)の最高経営責任者(CEO)に就任したMeg Whitman氏はSteve Jobs氏と同様に、一般的なリーダーの目から見ると眉をひそめたり、反面教師にしてしまうようなある種のマネジメント上の性格を備えていることで知られている。以下は、2人に共通しているとされる5つの性格である。

    1. 偏執的、あるいは強迫観念に取り憑かれているかのような性格--調査によって自らの誤りが明らかになったとしても、「論理的」に振る舞わない。
    2. 極めて移り気な性格--そして時には、感情に流されることもあり、その度に人事部門が振り回されることになる。
    3. すぐに悪態をつく性格--ビジネスシーンに悪態はそぐわないということは「どんな人でも」知っているはずだ。マネージャーとしてバランスの取れた人物であれば、悪態なんかつくはずないだろう?
    4. 厳しい注文を付ける性格--厳しすぎる注文を付けることもしばしばある。部下の働きに対して「途方もない」期待を抱くためである。
    5. えこひいきしがちな性格--プロジェクトや、ひと、サプライヤーに対してえこひいきする。こういったことは大抵の場合、法的な問題へと繋がりかねないため、避けるようにすべきなのだ。


    via: 有能なリーダーに共通する性格とは--ホイットマン氏とジョブズ氏に学ぶ - ZDNet Japan

    そして不思議なことだが、この二人はリーダーとして成功した。共通しているものがあるとすれば、自分の「ビジョン」への熱意だろうか。しかしそれなら麻原彰晃だって、ヒトラーだって自分の「ビジョン」への熱意を持っていたのである。そして結果はともあれ、人を率いるという点では成功したといえるのかもしれない。

    というわけで、結局「自分が信じられるビジョンに従いなさい」ということになるのかもしれない。そして(これは漫画蒼天航路からの引用だが)

    「食べたことのないすごいごちそうを描く」

    力で、人がついてくるか、そしてその人達がどこへ向かうかが決まるとかそんなことなのだろうか。


    人工知能学会全国大会にいってきたよ(その1)

    2012-06-18 07:25

    というわけで、山口県山口市で開催された人工知能学会全国大会にいってきた。人工知能という仰々しい名前がついているが、その内容は

    「なんでもあり」

    である。こちらでは美大の先生が熱弁を奮っており、となりではごりごりした理論の話がなされている。というか最近●●学会の●●にあまり意味がなくなってきているのではないかと思うがどうだろう。データベースだろうが、人口知能だろうが、ヒューマンインタフェースだろうが差異は以前より少なくなっているのではなかろうか。

    というわけで、本日はその感想第一回。「研究におけるMe factorについて」

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    Me Factorとは何か?以下引用する。

    特に高度に発達した先進国において一番稀少なものは何かというと、それは各個人の持つ興味であり、その興味があることに費やす時間であるといえるそうだ。つまり自分の興味とそれに掛ける時間こそが一番の稀少リソースであり、それこそが価値判断を行い、意思決定を下すときの一番のクライテリオンになるのだ。そしてそのクライテリオンを"Me Factor"という言葉で表現する。Me Factorにより鑑賞するべきファインアート、読むべき本、そして聴くべき音楽を選別することが、先進国において経済合理的に振る舞う個人の行為であるとするのだ。

    via: wrong, rogue and log : Me Factor

    つまるところ「自分がどう考えるか、感じるか」に重きをおこう、と言ってもいいのかもしれない。このあと本文は「時間に関しては、Me Factorをよく考える必要がある」と説く。つまり好きでもない話に延々付き合わされる必要はない、ということだ。

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    なぜこんなことを言い出したか?次の2つの発表を聞いてそのMe Factorの強烈さに驚いたからだ。

    2P1-OS-9b-3 生活者と環境が生み出すインタラクティブな音への意識開拓の提案 著者 浦上 咲恵(慶応義塾大学環境情報学部) 諏訪 正樹(慶應義塾大学環境情報学部)

    題目 2P1-OS-9b-4 生活の場に応じて音楽をコーディネートする試み
    著者 原 野枝(慶應義塾大学環境情報学部)
    諏訪 正樹(慶應義塾大学環境情報学部)

    この発表はすごかった。最初のは「自分がたてている音は使える!」という主張であり、2番目のは「環境に流れる音をコーディネートしましょう」というもの。この2文で要約できてしまう内容を、時間制限一杯までとうとうと語り続ける。そこには発表者達の意欲がうかがえる。

    問題は

    その意欲がこちらに伝わってこないことだ。特に2番目の発表に対してある人が指摘したことだが

    「環境の提案をしながら、その提案した環境を示さないのはどういうことか」

    言葉でとうとうと語るより、一つのデモ、一つの提示がどれほど有効かは誰もが知っている。しかし彼女たちはひたすら語り続けた。

    この発表はどういうことか、と思っていたのだが、その後に共著者の方の発表があり、そのQ&Aで疑問が解けた。(ような気がした)

    Q:このような試みの「効果の評価」はどのように行うのか?
    A:「浅はかな効果の評価」は行わない。そうした「評価」を行なってもやろうとしていることの上澄みを掬うだけで意味は無い。それよりも、個人が感じた、考えた事についてこのように発表を行い、それが広まることにより、「振り返るとこのような効果があったのではないか」と考えられるのが正しい姿ではないか。

    なるほど。確かに「やっている本人がどう感じるか」はとても重要な要素だ。感動は伝染する。逆に言えば、やっている人間がいいと思っていなければ、その感動は誰にも伝わらない。

    それを論文の査読を通すため無理やり定量化して評価する、というのはよくある図式だ。それが無駄な事についてはあまり異論はないと思う。

    それ故、その人は指導している学生さんたちは、Me Factor満載の発表を行った、ということなのだろう。

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    しかしそれはあくまでも話しの半分だと思う。人前で発表するからには

    「聞いた側がどのように感じるか」

    についても考えなくてはならない。とってつけたような「定量評価」が誰も動かさない(論文の査読プロセスは除く)のと同様に

    「あたしはこう思ったのよ!」

    と言い続けて伝わるのは「何かを言おうとしている熱意」だけだ。自分の熱意と、それを他人がどう思うか、という客観視と。このふたつを意識してバランスをとることが、「大人の判断」というものなのだろうな。

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    こうしたことを書くとき、Steve Jobsは「成長」の過程でそうしたことを学んだのではないかと思う。初代Macintoshはすばらしい製品だった。しかしそれはJobsが考えたほど売れなかった。アラン・ケイによればそれは

    発表されたばかりのMacintoshを見て「1/4ガロンのガソリンタンクしか持たないホンダ」と発言しスティーブ・ジョブズを怒らせたこともよく知られている話しである。

    via: 久しぶりに再読したアラン・ケイの論文 - Macテクノロジー研究所

    製品の細部に対する異常なこだわりは、それから数十年たって発表されたiPhoneでもかわらなかった。

    しかしiPhoneは大成功を収めた。彼は数十年の間に

    「自分の感動の大切さ、とそれを客観視することの重要性」

    のバランスを取ることを学んだのではなかろうか。ホンダの車は確かにすばらしい。しかし
    ガソリンを1/4ガロンしか積めないのでは誰も買わない、という客観的事実を。

    というところから、夏目漱石の言葉を思い出したり、とかあれこれ話は続くのだが、今日はこのへん。


    日本のITベンチャーが残念なのはJokeの差のせいだ

    2012-06-11 07:04

    ということを思いついたので書く。

    まじで嬉しい。坂口さんもスタッフも喜んでます。まだまだこれからだけど。最初のケースとして出てくれた坂口さん、支援いただいた皆さんには頭があがりません。応援、意見してくれたみんな、徹夜で対応してくれたスタッフのみんな。本当にありがとう。そして、ごめんこれだけは言わせて...ざまーみろ!

    via: Twitter / hbkr: まじで嬉しい。

    もちろんもっとまじめにこつこつ頑張っている人がいるのだが、なぜ目につくのがこうした例や、コンプガチャだったりするのだろうか。

    冗談じょうだんも度を過ごせばいたずらだ。焼餅やきもち黒焦くろこげのようなものでだれめ手はない。田舎者はこの呼吸が分からないからどこまでして行っても構わないと云う了見りょうけんだろう。

    via: 夏目漱石 坊っちゃん

    というわけで誠に遺憾ながら、我が国のITベンチャーは「この呼吸がわからない田舎者」ばかりが目立っているのが実情だ。

    いや、そういうネガティブな事を言うから日本には立派なITベンチャーが育たないのだ、という議論は横耳で聞いておいて、先日こんな文章を見つけた。

    The thought was: "Let's think of the most ridiculous possible app that no one would ever consider a real thing, and make that," says Mr. Cornell.

    Silicon Valley took his joke seriously.

    By December, Mr. Cornell's employer, start-up Firespotter Labs of Pleasanton, Calif., had created Jotly, a real rate-everything app that attracted tens of thousands of users. By that time, Jotly had at least two legitimate venture-backed competitors, one of them named Oink.

    via: Appsurd: In Silicon Valley, - WSJ.com

    シリコンバレーでは、冗談をいうのも簡単ではない。ある人が「悪ふざけ」で

    「あまりにも馬鹿げているので誰も本気にしないようなアプリのideaを考えよう」

    といってアイディアを出した所、本当にそのアプリが作られてしまった。それどころかそれが何千人ものユーザを獲得するころには、同じコンセプトをもったアプリの競争相手まで現れたとのこと。

    ここで挙げられている「馬鹿げたidea」とは「何にでもグレード(等級)をつけられるアプリ」なんだそうな。ゴミ箱の缶に「隠れ場所」としての等級をつける、とかなんとか。

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    もちろん私はここで「極端な例と、反対方向に極端な例」を比較している。しかしどうしても標題のようなことを考えざるを得ないわけだ。つまり

    「日米のITベンチャーの差異というのは、つまるところの日米Jokeの質の差」

    なのではなかろうか、と。
    私はアメリカにいるときはTVを見るが、日本では(NHKのニュースと子どもと見る"銀河にキックオフ"以外)みない。あまりに「笑い」の質に差があるからだ。

    この「笑い」というものはなかなかの力技であり、かつ大人をくすりとさせようと思えばただの悪ふざけではない知性が必要とされる。

    でもってそんなことは気にかけず

    「みんなで徹夜したよ!ざまーみろ!」

    と叫んでしまっては誰も笑ってくれないわけだ。なーんとなくこんなところに原因があるような気がする。

    ちなみに米国にもこういう「残念なベンチャー」は存在し、私が知るかぎりではGrouponがそうした文脈で取り上げられることが多いようだ。最近日本で聞かないけどどうしたのかな。


    成功の裏側にある失敗

    2012-06-07 06:57

    ディズニーランドのホスピタリティはどのように構築されたか。どのような工夫がなされているかについての本は多い。ちょっと探せばこんな本が見つかる。


    この本を読み進めると

    「ほうほう。なるほど。これはすごいなあ」

    と思う。そして私は由緒正しい管理職なら

    「さっそく明日の朝礼でこの話しをみんなに聞かせよう」

    とか思うのかもしれん。(いまどきそんな朝礼は誰もやらんか)

    しかし

    私がより興味を持つのは、「成功の秘訣」が全く機能しない場合だ。前述の本には一箇所だけこんな記述が出てくる。

    たとえばユーロ・ディズニーランドはとても大成功とは言えないと聞いています そうですね、忘れてはならないことが3点あります。第一にまったく失敗しない会社は、たぶん、新しいことを何もやろうとしない会社でしょう。失敗を避ける一番確実は方法は、新しいことには一切手を出さないことです。そのことを考えるとディズニーは新しいことに挑戦しているということがわかります。 第二に条件の違いを理解しておく必要があります。ゲストの平均滞在期間は、ディズニーワールドが4泊5日で、ユーロディズニーランドが一泊二日です。旅行する距離はヨーロッパのほうが短く、アメリカとは違う経済法則が働きます。 第三に大成功している企業をみているとわかるんですが、成功の副作用としてもっともよく見られるのが、自信過剰と自己満足です。ユーロ・ディズニーランドもある程度、その罠にはまったのかもしれません。

    ディズニー7つの法則 p117-118

    一点目は全く質問の答えになっていない。2点目は「じゃあなぜ日本ではうまくいっているのか」という疑問に答えられない。まあこれは心理的前置きというやつだな。

    おそらく最も本質的なのは第3点だと思う。そして(これは大きな問題なのだが)この本ではその点にあまり触れていない。

    別の本にはこういう記述がある。

    顧客が欲しているものを顧客以上にわかっているという考えは、無知からくる傲慢の産物です。顧客を満足させてきた歴史のある企業は、顧客が今何を求めており、何を必要としているかということに注意を払わず、その歴史を頼りに答えを出そうとするのです。最近のウォールストリートジャーナル誌に掲載されたユーロ・ディズニーに関する記事を参考にしてみましょう。 ディズニーがやったことおは、気短なバスの運転手から気難しい銀行家に至るまで、あらゆるヨーロッパ人の足を片っ端から踏んでいくようなものだった。そのことを問われると、ディズニーの前重役たちは、何とも言えない、というふうに首を横に振った。というのも、ディズニーのそうした姿勢は、彼らがいうには、同社をめざましい成功へと導いたものとまさに同じ、クオリティへの厳格なまでの追求から生じたものであったからだ。 ある役員はこう漏らしている。「我々はあまりに傲慢だった。我々のやり方といえば「タージ・マハルをつくればみんな来るだろう」式のものだった」

    サービスが伝説になる時 p86
    (太字はブログ筆者が付与)

    なぜ日本相手に成功した戦略が、ヨーロッパでは失敗に終わったのか。(まだ終わってないか)このように「成功と失敗」を合わせて考えないと、ディズニーが持っている「成功への秘訣」の本当の価値はわからないと思うのだが。

    --------

    同じようなことはチェ・ゲバラについても言える。私はミーハーなので映画を見るまで彼については何もしらなかった。興味を持って何冊か本を読んでみる。私にとってより興味深かったのは、「成功体験」を綴った本

    よりも、全く同じような方法論を用いながらも敗勢に追い込まれていくボリビアでの活動を綴った日記だった。

    キューバであれほどの成功を収めた方法論がなぜ全くボリビアで機能しなかったのか。そしてゲバラはなぜそのことに気が付かなかったのか。

    一個人としてみれば、こうした成功と失敗を合わせて考えることで、ゲバラという人間の面白さがより伝わると思う。そして企業としてみた場合には、ユーロディズニーの失敗から学べることは多いと思うのだが。

    -------------

    私はひねくれ者なので、こうした「成功と失敗を合わせて考える」ことが大好きだ。というわけで期待と不安を持ちつつ見守っているのがこの映画。

    米国ではもうすぐ公開。それまで素晴らしい作品「しか」作って来なかったピクサーが去年公開した映画「カーズ2」には驚かされた。なぜ「あの」ピクサーがこんな映画を作ってしまったのか。

    調べてみると、「カーズ2」は本来今年公開されるはずだったとのこと。本来2011年に公開される映画はキャンセルになったとのこと。何かがピクサー内部で起こっているのは間違いない。それは何なのか。「ピクサー成功の秘密」と関係はあるのか、などなど。いつか誰かが本を書いてくれることを期待しているのだが。

    そしてこの映画はそこからのカムバックになるのか、あるいは「無敵ピクサー失速の謎」がより深まることになるのか。今のところ確かなのは

    「ピクサーのCG技術の向上」

    だけだ。いや、あのくるくる巻き毛はすごいですよ、ってどうでもいい話でした。


    テレビのインタフェースに関する一つの結論

    2012-06-06 07:33

    Wii Uのプレゼンを見ていて気がついた。テレビのインタフェースに関する一つの結論

    10フィートインタフェースなどというものは存在しなかった

    10フィートインタフェースとはなにか?


    機器の操作を10フィート(約3m)程度離れてリモコンで行うことを想定したユーザーインタフェース。大きめのアイコンや文字が使われる。


    via: 10フィートUI:ビジネス用語辞典 | Wisdom

    平たくいえば画面にごてごてボタンやらメニューを表示して離れたところからリモコンで選ばせるやつだ。

    普通のPCは前かがみで使うが、10フィートインタフェースは後ろにそっくり反って使うだの、リモコンを使いやすくするだのあれこれの試行錯誤が数年に渡って続いている。私はいつもリモコンをTVに向けるたび、

    「長い釣竿でTVの画面をつっついている」

    光景を思い浮かべる。それくらい不自然なのだ。

    でもって結局正解は

    「離れたところにある巨大なディスプレイ。それとは別の手元にあるタッチパネル」

    WiiUのデモビデオをみて確信した。どうやったって釣竿でボタンをつつくより、自分の指でひゅいひぃいしたほうがいいに決まっている。

    ----------
    更に言えば、巨大なディスプレイは大人数で共有されうるもの、手元のタッチパネルは個人だけでみるもの、という位置づけもWii Uではちゃんとなされているように感じる。

    こうした「意味付けをよく考えた製品設計」こそ、今苦境にある日本の家電メーカーが見習う点ではなかろうか。

    仮に日本の他の家電メーカー(特に東芝とか)が同じようなことをすれば、必ずWiiU Game Padに誰も使わないような機能をごてごてとつけるだろう。しかし岩田社長は

    「ゲームコントローラであることに徹するため」(岩田)。

    via: 正式名「Wii U ゲームパッド」発表、NFC とIRリモコン搭載・アナログパッドはスティックに変更 - Engadget Japanese

    とその仕様をみがきあげてきた。ゲーム操作用の機器であることを全面に押し出し、マイナスイオン発生器などは付けなかったのだ。
    -----------

    というわけでこれは「予言」というより「願望」なのだが、AppleがTVを出したとしても、従来型のごてごてとした10フィートUIではなく、iPhone,iPad前提の機器を出してくると思う。あるいは選択制にするかな?いや、ここはAppleらしい「傲慢さ」を発揮してほしい。PCなければ使えない携帯電話(今は違うよ)を出した傲慢さを。

    これまたいろんな人が予想している「Siriの統合」だけど。。これはどうかな。TVとユーザのような離れた位置で、雑音の多い家庭環境で音声認識は使い物になるのだろうか?進歩して可能になったのかもしれないし、まだ不可能かもしれない。しかしこれも

    「iPhone,iPad前提」

    とすれば解決だ。手元で喋ればよい。
    なんなら手元に複数のiOS機器がある場合、それをくっつけて-つまり画面を横並びにすることだけで連動させ-手元で楽しく番組を選ばせる。そしてそれを最終的に表示するのは巨大なディスプレイ、とかそんな図柄が美しいのではないだろうか。

    --------------

    とかいうApple狂信者の予想を下回る製品を出してきたらきっと私は泣くと思う。(忘れがちだが、Apple製品で失敗したものはいくつもある。G4Cubeとか、初代iBookとか、オーディオのなんとかとか)

    さらに願わくば、こんな予言のはるか斜め上をいく製品を出してほしいものだが。


    リーダーの姿

    2012-06-05 07:00

    E3での発表を前に、任天堂の岩田社長がスピーチを行った(オンラインで)

    収録されたのは、任天堂の会議室。壁にかけられているのは「独創」という文字。彼が述べたのはE3で「詳細」を発表する予定のWiiUのコンセプト。しかし私が今日書きたいのはそのことではない。

    このスピーチを見てゲームに関心を寄せる人はあるいはこうした感想を抱くようだ。

    詳細は動画を見ていただくとして、個人的にポイントだなと思ったのはオンライン機能の本格強化、それにともなうソーシャル機能の組み込み、そしてスマートフォン対応あたりでしょうか。

    via: 本格的にオンライン対応してきたWii Uが一気に期待モード - カイ士伝

    しかし私はゲームをほとんどしない人である。(むしろ任天堂の原点である花札のほうに関心が強いかもしれない)それ故別の感想を持つ。

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    このプレゼンの冒頭、岩田社長はこう主張する

    「今、家庭のリビングルームでは、各自が勝手な事をしている。空間を共にしているが、心はばらばらだ」

    任天堂は6月6日午前1時より、E3で行うプレゼンテーションを予定しているが、今回のニンテンドー ダイレクトはその予習にあたる。岩田社長はまずリビングで一緒に居ても、それぞれが別のことをしているという"Alone Together"について紹介し、その問題を解決できるデバイスこそWii Uのコントローラだと切りだした。

    via: E3直前のニンテンドーダイレクトで何が語られたか Wii Uの機能面が紐解かれる - ITmedia ガジェット

    そして

    「Wii Uは、私達にも責任の一端があるAlone togetherへの理想的な解決策になると信じています」

    と述べる。
    更には、ゲームを通じて、友達、家族、そして同じゲームをプレーする世界中の人達とつながるWii Universeを構築するための第一歩である、と。

    また今は任天堂製品に閉じているユーザのつながりは、「今後」スマートフォンなどにも広がっていく、と予告している。

    -------
    正直に書こう。現時点で「ネタバレ防止をどうするのか。お題目は上がったが詳細はどこだ」とか「日本の会社に、本当に使い勝手のよいソーシャルネット機能が作れるだろうか」とか「今のWiiの"コンテンツまでの距離"問題は解消されるのか」とか不安な要素はいくつもある。

    しかしこれは

    Smartphone,あるいはその上で動く「ソーシャルゲーム」の脅威にさらされつつある任天堂からの

    「ゲームを軸としたソーシャルネットワーク」

    の提案だ。
    その問題をしっかり認識した上で、任天堂は何をすべきか、そうしたことを徹底的に議論し、自信をもって提案をする。

    ----------

    会社のトップが、その新製品について

    「どのようなコンセプトで、どんなことを考え作ったのか」

    自らの言葉で力強く語る。このプレゼンのなかで(当然のことだが)岩田社長は

    「CPUがどうで、グラフィックスがどうで」

    などとは一言も述べない。自分たちがWii Uについて磨き上げたコンセプトを自信とともに我々に訴えてくる。

    こういうことができる企業トップはそう多くない。おそらく誰もが故スティーブ・ジョブズを思い出すだろう。ソニーのストリンガーはWalkmanを上下逆さまにもってカメラに収まった。次の平井氏は

    「リィッジレーサー!」

    と叫んだが、その言葉は

    「凡庸なセールスマン」

    としてのそれだった。

    今回のプレゼンが任天堂の会議室で収録されていることに、そして「独創」という文字を背景に行われた事に注目すべきだ。

    これは危機に瀕した企業のリーダーがとるべき一つの方向を示していると思う。原点に立ち返り、自分達が会社として存在しているのはなぜなのか、それを考えぬいた結論だ。

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    と褒めたところで、なんですが、この動画をブログに埋め込めるようにしてもらえませんかねえ。ここでクリックしただけで再生されるようにしたいのですけど。

    こういう「細かい」ところがなあ、ちょっと不安なのだけど。


    試論:軍隊式ITベンチャー

    2012-06-04 06:43

    先日こんな記事を見かけた。

    自衛隊は多くの規則に「しばられた」組織だ。「自由」が少ないストレスフルな職業とお考えの方も多いと思う。確かに「個人の自由」は一般的な企業と比較すれば少ないだろう。任務における「自由裁量」の領域も狭い。上下関係もとても厳しい縦社会だ。
     ところが、便宜上の表現として「軍隊式」という言葉を採用するが、こうした「軍隊式」の組織や生活は、現場での任務、つまり防衛出動といった戦闘を伴う任務の過酷さを横におくと、ふだんは意外につらくないのだ。
     なぜだろうか。それは事細かな規則と厳格な縦社会は「戦場」という、これ以上ないほどの強いストレス環境を乗り越えるために編み出された「有効なストレス対処法」だからである。

    via: なぜ自由を与えると、部下のストレスはたまるのか (プレジデント) - Yahoo!ニュース

    軍隊式の生活、あるいは行動様式というのは我々男の子(もしくは元男の子)のどこか心の奥底に触れるものがあるようだ。最初に働いた会社であれこれ研修をやったが、一番印象に残っているのは自衛隊研修だったりする。

    そこでやることは確かに普通の日常生活とはかけはなれた生活だ。もっといえば最近の「モチベーション3.0」とかそういう話の丁度対極にある。

    モチベーション3.0は人間の「学びたい」「創造したい」「もっと世界をよくしたい」という心理に基づく、内なる欲求に基づくものです。これを企業でうまく利用し成果をあげているものでは、Google社の20%ルールが有名ですね。

    モチベーション3.0に大きな影響を与える3つの要素があります。

    1. 自律性
    2. マスタリー(熟達)
    3. 目的

    の3つです。

    via: クラウドリーディング:vol.30『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか 』 : ライフハッカー[日本版]

    目的はまあ明確として、自律性は軍隊で求められるときもあるし、求められない時もある。

    しかしだね。

    昨今ビジネスのスピードが早くなっている、と誰もが言う。それは瞬時の判断が、経営に大きく影響する、ということでもある。

    であれば、軍隊式の思考、統制方法をある面では取り入れることを考えてもいいのではなかろうか。Amazonがかかげている

    "Have Backbone; Disagree and Commit"(信念を持ち、意義を唱えるが、決定がなされたら全面的にコミットして取り組む)

    via: 顧客がまだ感じていないニーズを創造する「インベンターに」──成長を続けるアマゾン ジャパンのジャスパー・チャン社長 (2/2) - ITmedia エグゼクティブ

    の意味はもう少し深く考えられてもいいと思うのだけどな。ここに書いてあることは

    だから、リスク回避のひとつの工夫として、軍隊は階級を尊重する。究極の縦社会である自衛隊では、上官の命令、決定は絶対だ。もちろん、異論を唱えられる場がないわけではなく、時間に余裕があれば、さまざまな意見を交わし合う。
     しかし、意見が分かれたまま、戦場に出るわけにはいかないし、そもそも緊急事態に悠々と民主主義の手続きをとっているヒマなどほとんどない。

    via: なぜ自由を与えると、部下のストレスはたまるのか (プレジデント) - Yahoo!ニュース

    とどこか相通じるところがあると思うのだけど。


    VoicePicというアプリ

    2012-06-01 06:46

    私が以前勤めていた会社から、iOSアプリがリリースされた。

    表現力アップ!Facebookに音声付の写真を投稿できる『Voicepic』[原石No.221] Add Star


    Voicepic 1.0.0(無料)App
    カテゴリ: 写真/ビデオ, ソーシャルネットワーキング
    販売元: UIE Japan, Inc(4.1 MB)


    Screenshot Screenshot

    これは流行ってほしいなあ。
    Voicepicは、写真に5秒間の音声メッセージを付けてFacebookに投稿できるサービスだ。

    via: 表現力アップ!Facebookに音声付の写真を投稿できる『Voicepic』[原石No.221] - リニューアル式

    写真に短い音を添える、という単純にして効果的なコンセプト。クリーンなデザイン。忙しいのによくここまで磨きあげたなあと率直に感心した。

    もっと普及するために必要なのは

    「おわっと思わせるコンテンツ」

    だと思う。こればかりは「皆の知恵にたよる」しかないのだろうか。今のところ私のお気に入りはこれ。

    いや、これ日本以外に住む人が見たら「なんだこれ」と思うざんすよ。日本人だと「ああ、そうだな」だけど。

    Facebookへの埋め込みも簡単で、親和性がよい。欲を言えば

    「Facebookへの埋め込みをクリックしただけで音声が再生される」

    ようにならんかなあ。きっと議論された上で今の仕様に落ち着いていると思うのだけど、Wiiでも感じたことだが

    「動画を見るまで」

    のクリック数が増えれば増えるほど見るのが億劫になる。何も知らない人が

    「なんだこの写真」

    と思ってクリック一回するだけで写真と組み合わせると面白い音声が流れるとインパクト大きいと思うのだけど。

    一覧ページ/を見ていて思ったのだけど音声というのは一覧性に欠けるという性質を持っている。写真が並んでいるだけだとPinterestとかInstagramに勝てないじゃん、と思ってしまう。であるからして、是非「音声までの距離」を短くすることを検討してください。

    あれ、GUNDAMが「あっつー」と言っている面白いのがあったのだけど、どうやって検索すればいいんだろう。。