試論:私論:不便益(その2)

2012-06-29 07:40

というわけで、この文章はこの文章の続きである。まだ読んでいない人は、前の文章から読んでね。

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楽器:
素晴らしいピアノの演奏、例えばリストの曲を弾きこなすさまを見ていると、目が追いつかなくなる。右手と左手が自由に跳ねまわり、どちらの手がどの旋律を弾いているのかもわからない。非人間的なこと甚だしいと思うと同時に、人間鍛錬を積めばここまでいけるのか、と感嘆することになる。

「ピアノが弾けたらなあ」とは多くの人が考えるところであり、子供の頃いやいややらされたピアノの練習を「あのまま真面目に続けていればなあ」と嘆いた人も少なくはないだろう。ではなぜそう思うのか。ピアノというのは決してユーザビリティ的にやさしくない道具なのである。自分でもそこそこ満足がいくまで弾くためには何年もの練習をする必要がある(「何年も!」)結果ほとんどの人は、途中で挫折する。

他の楽器はどうだろう。バイオリンの先生があるときこう嘆いた。小学校に管楽器クラブはたくさんあるが、弦楽器はなかなか入れてもらえない、と。理由は簡単で弦楽器-つまりバイオリンとかそのたぐいだ-はまともに音が出るまでに数年かかるから。それ故小学校のクラブのタイムスパンに収まらないのである。

古来より楽器の多くはこうした性質を有している。ではこうした状態を「ユーザビリティ的」に改善する動きはあるのだろうか?例えばiPadのGarage bandに搭載されている「簡易演奏モード」を使ったことはあるだろうか?ギターであれば、Fコードの押さえ方に四苦八苦するなんてことは必要ない。「F」と書かれた場所を押さえればそれでFのコードが鳴らされる。こちらのほうがユーザビリティが優れている。

多くの弦楽器-例えばバイオリン-には、多くのギターにみられるようなフレットがない。それ故正しい音の高さを出すためには相当の熟練が必要である。どこを抑えればよいかは体で覚え込むしかないのだ。なぜこのような「ユーザビリティに欠陥がある」楽器が長年使われているのだろうか?楽器業界はユーザビリティに関してあまりに無知である、と無邪気に指摘する人は、、、流石にいないだろう。

ここで考えるべきは、バイオリンやピアノなどの楽器がその初心者にとっての敷居の高さと、鍛錬をつみ技量を習得した時に得られる表現の自由度を合わせて持っている、という事実である。先ほどから挙げている「ユーザビリティ上の問題」はそれを鍛錬により克服した際に得られる「自由な操作、表現」と一体なのだ。iPadのGarage Bandを使えば簡単にコードを弾くことはできる。しかしHotel Californiaのギターソロを美しく奏でようと思えば、やはり鍛錬が必要なのだ。

こうした観点から、楽器が長い歴史の間にどう「変化し、変化しなかったか」を考えることは「不便益」を考える上で有益だと思う。例えば音色、あるいは奏法に関係がない部分の素材などはどんどん変化していると聴く。そうした部分が壊れやすくても何もいいところがないからだ。しかし過去に(そして将来に渡っても)バイオリンにフレットをつけるような変化は起こりようがない。それはバイオリンという楽器の特徴を失わせることだからだ。

(本稿、続く、、、のか?)