オリンピック開会式に見る大英帝国の力

2012-07-31 07:08

この年になるとオリンピックの開会式を見ようなどとは思わない。どうせ毒にも薬にもならない演出だかスピーチが延々と続くのだ。

しかし

正直本放送を録画しなかったのは失敗だった。今回の開会式は面白かったのだ。そしてあの開会式ができるとすれば、大英帝国か、アメリカ帝国しかないなと思わせるものだった。

その感動を一言で言えば「余裕のなせる技」

「ああ、このような田舎の国でオリンピックを開催していただき、誠にありがとうございます。皆様に喜んでいただけるようせいいっぱいのおもてなしをご用意いたしました」

などといったところが微塵もない。

「ああ、近代文明といえば、全部大英帝国が生んだもんだよね。君たちも随分学んだようじゃないか。まあ楽しんでってくれ」

といったように見えた。

なんせ、世界的なコンテンツには事欠かない。ジェームス・ボンドに女王様にパンクロックにビートルズ、ハリー・ポッター、ベッカムにビーンにサイモン・ラトル。いいですか。ビーンとかけあいをやっていたあの金髪のおじさんは、世界のベルリン・フィルの主席指揮者ですよ?ものすごいオーケストラをまとめるというとんでもない仕事をしている人ですよ。

というか

オリンピックの開会式で堂々とギャグをかます、というのは信じられない大技だ。考えてみよう。まずそのギャグは誰にもわかるものでなければいけない。特定の文脈に依存してはだめなのだ。更に絶対に滑ってはいけない。ある程度上品でなければならない。

この制約の中でギャグを演出に取り入れられる国が世界にどれだけあるだろうか?

多くの人が考えたと思う。もし東京でオリンピックをやったらどうすればいいのだ。

日本が持っている世界的なコンテンツといえば、、ポケモンですか?でもそれだと任天堂のCMになるから却下されるだろう。

もうあれだ。宮崎駿に全権委任して、ヨーロッパともアジアともつかない不思議な演出をするのだ。スモウ・レスラー300人による集団土俵入りをするのだ。世界中の人に狐につままれたような顔をさせるくらいしかこの開会式に対抗する手段はないのではないか。間違っても寒いギャグなんかかましちゃだめですよ。大英帝国とはユーモアの伝統が違うのだから。

というか

日本人はおそらく未来永劫、オリンピックの開会式を宮崎駿に任せるような余裕は持てないのではないかと思う。それはそれで悪いことではないのだが、英国の余裕をみてうらやましく思うのも本当のところだ。

最後にポールが歌うところで

「あれ?音声が2重に聞こえる」

と思った。後で知ったことだが当初口パクの予定で録音を流していたのを、生で歌ってしまったと。顔はさすがに老人っぽくなったがロックの魂は失われていない。いや、感服いたしました。


狂った独裁者に仕えるということ

2012-07-30 06:46

海野十三という人の本をiPhoneで読んでいる。著作権切れバンザイ。その中に「英本土上陸作戦の前夜」という物語がある。

記憶喪失になった主人公が自分は誰であったのかを見つけようとする。時はドイツが英本土に上陸せんばかりの情勢。細かいことは省くが、自分が日本軍の軍人であったことを思い出した主人公は、ドイツ軍の英本土上陸を命をかけて支援したフン大尉にこういうのだ。

「しっかりせんか、アン――いや、フン大尉。君の壮烈そうれつなる戦死のことは、きっとおれが、お前の敬愛するヒットラー総統そうとう伝達でんたつしてやるぞッ!」

via: 海野十三 英本土上陸作戦の前夜

歴史的背景を考えればこうでなければならない。最近の架空戦記とかでは、日本軍はなぜかドイツを攻撃したりしているが、当時ヒトラーは稀代の英雄だったのだ。そのヒトラーに生命をすてて任務を遂行したことを伝える。これはその人にとって最大の名誉だったに違いない。

トップに立つ独裁者が狂っている場合、その組織で「出世する」ということはその狂人を支持し、自分が一体化することを求められていることになる。であれば手放しで出世を喜ぶわけにもいかないと思うのだが。

なぜこんなことを言い出しかといえばこの記事を読んだからだ。

――口コミサイトは近日再び見れるようになるのか。

 どういう形で再開すればいいか検討している。今までの楽天市場に出店してもらっている店舗のサイトとは違い、コボは楽天自身の商品の直販サイトに近いから、ある程度口コミを吟味して再度出すという可能性もある。

via: コボの出足は大成功、ネガティブな口コミは誤情報だから消し、内容を吟味して再掲載する――楽天・三木谷浩史社長(3) | インタビュー | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

繰り返しになるが、Koboの品質、操作性については問わない。ある企業が初めてハードウェアを手がけたのだから、学ぶ点も多いだろう。

しかしここで社長が公言していることは、まるで民主党のようだ。

「自分たちに都合の悪い情報が蔓延しているからKoboのレビューは閉鎖した。再度公開するとすれば、そうした都合の悪い情報は削除した上でのことだ」

と一企業のトップが堂々と語っているのである。

例えば、私が楽天に勤務する平社員だったら「うちの社長は良い人なんだが、時々誤解されやすい言動をするんだよね」とでも言えばいいのかもしれない。しかし仮に大出世した取締役ともなれば、社長の言葉を否定することはできない。かくしてこのような発言が生まれる。

kobo Touchをきちんとした状況でご提供しない中で生まれた混乱は100%われわれの責任ですが、さまざまなレビューが書かれました。「期待を裏切られた」というお怒りの声もいただいており、レビューがレビューとして機能しなくなっていました。良いこと、悪いこと含め、あるべき姿を参考にしていただくのがレビューですが、不完全な状態からスタートしたkobo Touchのレビューの場合、かえって誤解を招くのではないかと判断しました。

 混乱を避けるため、いったん状況を正常化させていただいてから、レビューを再開したいと考えています。レビューを非表示にしたのは緊急の一時的な措置で、投稿されたレビューの削除は考えていません。kobo Touchは大変インパクトの大きい商品。そのインパクトの大きさから特例中の特例として、今回はやむを得ず、非表示にしました。レビューを非表示にしたのは、楽天史上初です。

 現在、アプリや端末の基本的な不具合は解消しています。過去のレビューについて、近く再表示する予定です。

via: 「大きなミスを犯してしまった」――楽天koboに何が起きたのか (2/3) - ITmedia ニュース

本間氏が心からこう考えているかどうかは私にはわからない。しかし執行役員という立場である以上、之以外の発言はありえないことになる。(これでも「過去のレビューについて近く再表示する」と社長と違うことを発言してしまっているが)

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先日毛沢東が主導した「大躍進」の本を立ち読みした。トウショウヘイは「当時我々は沈黙していた」と述べたとか。数千万人が虐殺されている状況にあっても、狂った独裁者の元で出世した人間にできることはせいぜいが

「沈黙」

ということなのだ。私自身が出世とは縁遠い人生を送っているのでこれは半分やっかみなのだが、この一節を思い出す。

 荘子が濮水のほとりで釣りをしていた。そこへ楚の威王が二人の家老を先行させ、命を伝えさせた(招聘させた)。
「どうか国内のことすべてを、あなたにおまかせしたい(宰相になっていただきたい)」と。荘子は釣竿を手にしたまま、ふりむきもせずにたずねた。

 「話に聞けば、楚の国には神霊のやどった亀がいて、死んでからもう三千年にもなるという。王はそれを袱紗(ふくさ)に包み箱に収めて、霊廟(みたまや)の御殿の上に大切に保管されているとか。しかし、この亀の身になって考えれば、かれは殺されて甲羅を留めて大切にされることを望むであろうか、それとも生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むであろうか」と。

 二人の家老が「それは、やはり生きながらえて泥の中で尾をひきずって自由に遊びまわることを望むでしょう」と答えると、荘子はいった。

「帰られるがよい。わたしも尾を泥の中にひきずりながら生きていたいのだ」

via: 荘子、濮水に釣す(荘子・秋水篇)-- 漢字家族

2年前に楽天技術研究所というところの採用面接を受けた。2次面接でNGをくらいその当時は落ち込んだものである。しかしもしそこで採用されていたら、こういうブログもかけなかったなんだろうな。



裸の王様が望むもの

2012-07-27 06:54

楽天のkoboに関して、まともな情報、議論が得られるのは2chだけである。昨日電車の中で関連スレッドを読んでいるとき、壁にkoboの広告が貼ってあることに気がついた。まだ売っているのだ。

2chで心に残った文言を引用してみる。

今回デカイのは、 「三木谷は優秀な社長と言われているが、自分の製品を触らず、愛さず、チェックせずトップセールスする奴なんだ」、 というのが白日にさらされたことだな。 ジョブズを始めとする米のIT社長とは致命的な差があることをバラした。 俺の中で楽天は完全に消えた。
三木谷は、発売開始まで方々に顔出してドヤ顔でkobo自慢してたけど、 クレームの嵐になってからは雲隠れして逃げ続けてるよね。

末端役員に釈明させて、サポセンの薄給バイトに苦労させまくってさ・・・

格好悪いにもほどがあるぞ、三木谷。

おそらくこれは、経営者としての大本のスタイルにかかわることだと思う。自分を何をしたCEOとして記憶されたいか、ということだ。

おそらく三木谷氏は「新しい巨大な会社を立ち上げて、年商1兆円を達成した経営者」として記憶されたいのだろう。その昔楽天研究所を受けたさい、読まされた本にそう書いてあった。彼は

「年商が一兆円になったら引退する」

と公言していたのだ。

流通総額が1兆円を超えたら「一丁あがりで引退する」というのが、創業時代の口癖。

via: 成功のコンセプト|ヒューマン|WEB GOETHE

これに対してSteve Jobsがつまるところ何に自分を一体化していたか。それは

「最高の製品を作り上げる」

ことだった。

ここからは全くの想像である。

おそらく両者とも、要求の多い、厳しいボスなのだろう。「この時期までに発売しろ」と言えば、誰も簡単に「それは無茶です」とはいえないに違いない。

しかし

開発が意のごとく進まず、製品の品質が低いままだったときどうするか?

三木谷氏がやりたいことは、「売上を増やすこと」。それ故三木谷は自分で製品の出来をチェックもせず、ひたすらセールスマンとしての宣伝に力を注いだ。とにかく売るのだ。そして売上をあげるのだ。

Steve Jobsが今回のKoboのような製品を手にすれば、(伝説から想像するに)壁に投げつけ、担当した人間を首にするだろう。それは「最高の製品を作り上げる」というJobsの意図から遠いところにあるからだ。

人の価値は危機の時に表れるというが。。


裸の王様とそれを生む「KATA」

2012-07-26 06:42

楽天市場というECサイトがある。仮に検索で面白そうな商品が見つかっても極力避ける。Amazonで同じ商品を探し、どうしてもみつからなければ、、購入を諦める。

楽天はITベンチャーとして大変成功しているが、その「下品」さには多くの人が辟易するところだと思う。

さて、その楽天がkoboという電子書籍リーダーを発売した。こういう新製品というのは、発売直後にいくつかのメディアにレビューが載る。どういう裏事情があるか知らないが、概ね「問題もあるけど好意的」な評価が乗るのが常だ。

しかしこの製品に関してはその図式が成り立っていない。

現時点での楽天Koboに対する評価を追加表記させていただきたい。

 率直にいえば、欧米における「もっとも使いやすい電子書籍リーダー」という評判と、現状の日本語版の評価の間では、かなり大きな隔たりがあり、すでに動いている他の電子書籍ストア・サービスに比べ、体験として至らない部分が多い、と言わざるを得ない。

via: 【西田宗千佳のRandomTracking】楽天Koboスタート。三木谷社長単独インタビュー -AV Watch

こうした状況下でユーザーがすべきことは「今後に期待して」本製品にいますぐ投資することではなく、現在起こっている不具合の解消を見届け、また事前にぶち上げられた「毎日1,000タイトルの増加」、「年内に20万冊のラインナップ」といったロードマップが本当に実現するのかを見極め、それによって投資するか否かを決定することだろう。事前に大風呂敷を広げた結果がこれだった以上、ユーザー側としてもそれくらいの慎重さはあってよいはずだ。

via: 【PC Watch】 楽天「kobo Touch」試用レポート(後編) ~電子書籍の購入プロセスと自炊ビューアとしての使い勝手をチェック

発売直後にこうした評価を受ける製品は珍しい。さらに悪いことに楽天の教祖、三木谷氏が体をはって、この製品をアピールしていたわけだ。

<電子書籍端末koboをアピールする三木谷社長>

via: 三木谷社長/電子書籍端末koboをPR | 流通ニュース

今楽天社内で何が起きているかは想像するのも恐ろしい。しかしこうした問題はまだ「小さい」ものだ。今までハードを作ったことのなかった会社の第一作。大目に見よう、という議論もなり立つかもしれない。あるいは楽天の標語「スピード!!スピード!!スピード!! 」が行き過ぎただけ。これから熟成すればよい、という意見もあろう。


しかしこの騒ぎではそれとは全く性質の異なる問題が存在している。


今回の騒ぎで初めて知ったのだが、楽天レビューというものがあるのだそうな。楽天の製品やショップに関するレビューを自由に投稿できるとのこと。そこにkobo touchもあるのだが、いまそのレビュー欄が閲覧できないようになっている。なぜか?楽天の当事者の口から直接理由を聞こう。

kobo Touchをきちんとした状況でご提供しない中で生まれた混乱は100%われわれの責任ですが、さまざまなレビューが書かれました。「期待を裏切られた」というお怒りの声もいただいており、レビューがレビューとして機能しなくなっていました。良いこと、悪いこと含め、あるべき姿を参考にしていただくのがレビューですが、不完全な状態からスタートしたkobo Touchのレビューの場合、かえって誤解を招くのではないかと判断しました。

 混乱を避けるため、いったん状況を正常化させていただいてから、レビューを再開したいと考えています。レビューを非表示にしたのは緊急の一時的な措置で、投稿されたレビューの削除は考えていません。kobo Touchは大変インパクトの大きい商品。そのインパクトの大きさから特例中の特例として、今回はやむを得ず、非表示にしました。レビューを非表示にしたのは、楽天史上初です。

via: 「大きなミスを犯してしまった」――楽天koboに何が起きたのか (2/3) - ITmedia ニュース

「レビューを非表示にしたのは楽天史上初」この言葉をどんな意味で使ったのかわからないが、これこそ楽天という会社が「顧客第一主義」に一体化しているのではなく「偉大なる楽天帝国」に一体化してしまっていることの証左だ。

どういうことか?多分この楽天レビューというものにはこれまでもいろいろな批判が合ったのだと思う。「言われない誹謗中傷」を受けたショップもあっただろう。しかしそれでもレビュー欄は閉じなかった、と。しかし自分たちの製品が「悪いことばかり」になったとき「それはレビューではない」という珍妙な理論を振りかざし閲覧不可にしたのだ。

あるいは中国高速鉄道で事故が起こった際に、車両を埋めようとしていた中国当局の姿を思い出す人もいるだろう。蓋をすれば問題は消えるさ、ということを堂々と公言しているのだ。

なぜこうした無神経な発言ができるかといえば、「自分たちは特別な存在である」という概念が存在するからだと思う。他のショップや製品は知らないが、自分たちが作り上げた素晴らしい製品に文句をつけることは許さない。こうして文字にすると頭がオカシイとしか思えないが、大きな企業にはこうしたメンタリティの人がたくさんいる。完全に「偉大な企業」と一体化しており、少しでも悪口を言われると、あたかも個人が攻撃されたかのように感情的な行動を取る人たちだ。自分たちの存在は「絶対化」されており、自分と他人は相対的にみれば同じように尊重されるべきだ、とはみじんも考えない。

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こうした点を見ると、楽天も立派な日本の大企業になったのだなと感慨深くなる。そして今回のkoboが示すように、そうした大企業化が進むと、ゴミのような製品を量産するようになり経営が傾く。

もちろんこうした現象は我が国特有のものではなく、世界中に普遍的に見られるものだろう。しかし日本のそうした現象には日本文化に特徴的な「KATA」が関係しているのではないかと思う。

企業が様々な試練をくぐり抜け成長し、ある程度の評価を受けた瞬間から、その企業は「KATA」の固まりになるのだ。そして「KATA」どおりか否かが評価の基準となる。ある元ソニー社員は、

「新しい提案を持って行くと"それはSONYの四文字にふさわしいか?"と却下されてばかりいた」

と愚痴を言っていた。つまりSONYは独創性と柔軟性を意味する言葉ではなく「尊重すべきKATA」になっていたということだ。そしてその結果はご覧の通り。

ではどうすればいいのか?

それについてはもっといろいろな考察があってほしいものだと願っている。今私が知っているのはこの言葉だけだ。

こうした「組織への一体化」にともなう問題を解決する方法はあるのだろうか?何かへの一体化がさけられないとすれば、どうすればいいのか。論文では こう主張されている。

産物ではなく、プロセスに同一化すること、そして単に保持・所有するプロセスにではなく大胆に選択し、適応するプロセスに同一化することは、こ れまで集団的に実現することが難しかった。

共和国初期のローマ人、15世紀末から16世紀初頭のイタリア人、エリザベス女王時代のイギリス人は目的にとって有益だと判断された過去の遺産 の大部分を 保全しつつ、新しい機会を捉えることに非常に長けていたように思える。

via: 失敗の本質の一部

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ちなみに、引用したITmediaの記事は岡田氏が書いているのだな。岡田氏の記事は指摘が的確でいつも非常に参考になる。どういう形でか知らないが、ITmediaで氏の記事が読めるのは大変うれしい。

----------(以下追記)------------
2chで知ったのだが、ITmediaのインタビューにでていた人の「前歴」がわかった。

今回はソニー株式会社のコーポレートディベロップメント部ネットメディア開発室チーフプロデューサー、本間毅さんにソニーが動画投稿共有サービスに参入した理由、そして大手電機メーカーであるソニーだからこそのハードとの連携、さらに今後の戦略について伺ってきました。

ソニーが独自で動画投稿サービスを開始した理由

eyevioの戦略について語る本間毅氏
eyevioの戦略について語る本間毅氏

via: ソニーeyeVioが目指す動画共有サービスとは - [インターネットサービス] - All About

ソニーですか。。やっぱり。。。


様式美の誕生(またはKATAの誕生)

2012-07-25 06:36

最近研究会とかカンファレンスに出ることがままある。そこで目につくのが学生さんの発表最後にこんな「スライド」があることだ。

プレゼンテーションの終了時には、できれば以下のような画面を表示しておきたいものです。(ご清聴ありがとう・・・でなくても、少なくとも一連のプレゼンとつながりのあるものを表示するのが良いでしょう。)

(図2)ご清聴ありがとうございました。と表示されたスライド。

via: パワーポイント119/グレースケールで白黒印刷でも格好よく

以前はみなかったからここ数年の流行だと思う。誰か「その道の人」がこのスライドがどのよう生まれてきたかたどると面白いのではなかろうか。

さて、Google先生に「ご清澄ありがとうございました」と尋ねれば、否定的な意見がごろごろと出てくる。私が一番説得力があると思ったのは以下の言葉だ

「最後のスライドは一番長く表示しておくものなのだから、意味のない言葉を書いておくのはもったいない」

確かにそのとおり。(多分京都大学の中村さんの言葉だったと思うが確かではない)

このとおり誰もがおかしいと思いながらも、この「礼儀」は広まっているようだ。思うに人間が社会で「礼儀」を学ぶというのはこういうプロセスをとるのではなかろうか。

・なんだかわからんが、「終わりの礼儀」のようなスライドをみた
・世間ではああするものらしい。自分のスライドにとり入れる
・研究室に返って「スライドの最後は"ご清澄ありがとうございました"だろう」とえらそうに説教する。ついでに「ご静聴ありがとうございました」と書いたスライドに「静かにきけ、という意味か」と説教をする。
・後輩が同じプロセスを繰り返し、習慣が広まる。

かくして「様式美」が誕生することになる。今やこのように断定的に述べるような人もいるようだ。

プレゼンテーションの最後といえば「ごせいちょうありがとうございました」です。最近いくつか連続してプレゼンテーションを聞く機会がありましたが、私の印象では「清聴」が多いように感じられます。

via: 静聴?清聴?プレゼンの最後にどちらを使うか:一般システムエンジニアの刻苦勉励:ITmedia オルタナティブ・ブログ

思うにコンビニ言葉「こちらが●●になります」も同じような経緯で広まったものではなかろうか。なんだか「丁寧」に聞こえる言い方だ。であればさっそく取り入れよう、とかなんとか。(「なります」に対する反論はキース中村氏の文章を参照)

このように「なんだかわからないがとりあえず前例にならう」というのは、我々が社会生活を営む上でほとんどの場合有益に働く知識だ。誰も社会的な礼儀を一から丁寧に教えてはくれない。自分で学ぶのだ。しかし時として

「なんでこんな事をやってるんだ」

という奇妙な習慣を生み出すことにもなる。

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などと誰も読まないブログで主張しても「ご清澄スライド」の撲滅には全く役にたたない。メリットといえば「馬鹿発見器」かな。その人がプレゼンテーションにどの程度真面目に考えて臨んでいるか、の尺度としては使えると思う。

というわけで、チンピラサラリーマンとしてはもっと過激な主張をしたい。どうせ誰も読んでないんだし。


「そもそもスライドなどというものは馬鹿げている」

突然何を言い出したかと言えば、、、確率10%くらいで12月にお会いしましょう。


ガラスマの詩

2012-07-24 06:55

先日下に引用した記事の英語版を見つけた。

次のグラフは1年前と現在の、各社の事業価値(推定)を比較したものである。

201207231530.png
[携帯通信端末業界の推定市場価値ー2011年6月(上)と2012年7月(下)]

via: サムスンとアップルの二強化、この1年でここまで進んだ ー Asymco - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

この「事業価値」というやつがよくわかっていない。のだが言いたいことはなんとなく理解できる。特徴的なのは

また、Androidのエコシステムで生じたほぼすべての価値がサムスン1社に集中している点も特筆に値する。

via: サムスンとアップルの二強化、この1年でここまで進んだ ー Asymco - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

世界的に見れば、Androidスマートフォンで利益を得ているのはサムソンだけなのだ。となると他の会社は何をやっているのだろうね。

冷静に考えてみれば、一機種にかけられる開発リソースは、iPhone, Galaxyと日本のガラスマでは対数規模で異なるのではなかろうか。それで「競争力のある製品を作れ」と言われているメーカーの中の人達には同情を禁じ得ない。

携帯電話から手を引いた時期と、現在の株価の相関係数とかとってみると興味深い結果が得られるかもしれん。(すっかり他人だよりモード)


Pixar in trouble

2012-07-23 06:43

私は1998年から観た映画の感想を書いている。それには「この映画だったらいくら払ってもよい」という値段もつけている。

過去にみたPixarの作品がどこにランクされるかを見てみよう。

1800円:
トイ・ストーリー3
レミーのおいしいレストラン
カーズ
Mr.インクレディブル
ファインディング・ニモ

1080円:
カールじいさんの空飛ぶ家
ウォーリー
Toy Story2 トイストーリー2

950円:
モ ンスターズ・インク

560円:
カーズ2

-1800円:
メリダとおそろしの森

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トイ・ストーリー3までは私にとってPixarは「鉄板」だった。財布を叩き、貴重な時間を賭けるのにもっとも安全な賭けだったのだ。

ところが、去年公開されたカーズ2はひどいできだった。ドジをやる車がエンジンオイルを漏らす場面があるのだが、なんとその場面ではオイルが表示されていなかった。

調べてみると、予定されていた作品がキャンセルになったりいろいろごたごたがあったようだ。まあこういうこともあろう、とまだ期待を持っていた。そして今年公開されたBrave-メリダとおそろしの森を観た。

ピクサーはどうなってしまったのか?
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(以降ネタバレが続きます)
話の筋はこうだ。ある王国の王妃は、娘に「王家らしくしなさい。この候補の中から旦那を選びなさい」とうるさく言う。あのうるさい母をなんとか変えてよ、と王女は魔女に頼む。作ってくれたケーキを食わせたら、王妃は熊になりました。これはこまったけどあたしのせいじゃないの!誰も熊にしてくれなんて言ってない!

王様は昔別の熊と戦い足を失いました。だから熊をみると反射的にころうそうとします。だから王女と熊は森に逃げます。森の中でときどき熊は野生の熊になる。をを、これは山月記の世界か、と思えばそれに大して意味はありません。

魔法をとくには、王女がやぶいてしまった絨毯を縫い合わせることが必要(なんで?)絨毯をとりに城に戻ると馬鹿な男どもが喧嘩をしています。ここで王女は長いセリフをしゃべり、物語の背景を説明します。それといっしょに王妃は急に物分かりがよくなり、「自分の意思で旦那を選べ」と言います。

それからあれこれありますが制限時間ぎりぎりに絨毯を縫い合わせると王妃は人間に戻りました。ちなみに同じケーキをたべた三つ子の弟も熊になりましたが、同じ時に人間に戻りました。よかったね。

この映画を「日本で宣伝しろ」と言われた人間は頭を抱えたに違いない。かくして(よくあることだが)映画の本編とは全く関係ない宣伝文句を作り上げた。

「私が守りぬく。 "森の魔法"にかけられた母を救うため、王女メリダの冒険が始まる。 すべての謎を解く鍵は、森の中にー」

そもそも母を熊にしたのはメリダだし、「森の魔法」じゃないし、すべての謎を解く鍵なんてどこにもありましぇーん。

いや。子供向けの映画にそんな文句をつけても、という意見もあろう。このストーリーは基本的に「二夜」の物語なので、画面はずっと暗いまま。映画館に子供連れもいたが、あまり楽しそうではなかった。一人は明らかに怯えていた。笑い声が起こったのは2回くらい。

CGはすばらしい。今やなんでもCGで作ることができる、というのは知っていたが、メリダのくるくる巻き毛。熊の毛皮(乾いているとき、濡れた時)の表現は悶絶しそうだ。

でもこれSIGGRAPHの展示じゃないんだよね。
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ピクサーはどうしてしまったのか?ものすごいCG技術の進化が見られるから「それなりに」進歩していることは確かだ。しかしこんなひどいできの映画を作ってしまい、さらには「公開」してしまうというのは明らかに何かがおかしい。古くからのAppleファンなら、この映画を見終わった後、私の頭に「IIvx, IIvi」とい文字が踊っていたといえば私が何を言いたいかわかるかもしれない。

いわば、この映画を作り上げた人たちは、PixarがもっているすばらしいCG技術を溝に捨てたのだ。2010年までのピクサーでは考えられないことである。

カーズ2からPixarが混乱していることは知られていた。(私が書いた文章はこちら

Newtの製作が最初に発表されたのが2008年の4月のこと。
ピクサーの短編『リフテッド』を作ったゲイリー・ライドストロムの監督の下、製作が進められていました。
最初に予定されていた公開は2011年夏。
しかし、2012年に公開される予定だった『カーズ2』の公開が2011年夏に早められたことで、Newtの公開は2012年夏へと変更されました。
さらにその後、『モンスターズ・インク2』の公開が2012年11月、Braveの公開が2012年夏と発表されるも、Newtの公開時期については触れられませんでした。
そして、Newtの製作が難航しているのではないかという噂が出回りましたが、今年の3月についに、Newtの製作が中止されたことが明らかになりました。

via: ぎょぎょらいぎょ PixarのNewt製作中止までの流れ

そしてこの「メリダ」も監督が途中で交代しているとのこと。

当初は監督もピクサー史上初の女性となるはずだったが、製作の途中で、ストーリーを発案したブレンダ・チャップマンからマーク・アンドリュースへ交代となった。

via: 全米映画チャート 『メリダとおそろしの森』が首位デビュー | 映画ニュース | MTV JAPAN

おそらく明らかなのは、Pixarの内部で大きな混乱が起こっていること。これでPixarはCars 2, Newt, Braveと三作続けて「ひどいでき」の映画を作ってしまっていることになる。Newtをキャンセルしたのはおそらく賢明な判断だったが、じゃあそれに代わる作品を作ることができたか、と言えば答えは否だ。毎年作品をリリースしなければならない、というなんらかの圧力があり、Braveを公開せざるを得なくなったのではなかろうか。

一映画ファンとしては、かつてのPixarのようなすばらしい作品を見られなくなるのはつらい。しかし一チンピラサラリーマンとしては、Pixarがこんなになってしまった原因は何かを知りたいのだ。Pixar「成功の秘訣」については膨大な情報が存在する。


私が知りたいのは「Pixar凋落の理由」だ。そこには「成功の秘訣」以上に興味深い物語があると思うのだが。



三国志への遠い道のり

2012-07-20 07:13

NokiaがプラットフォームとしてWindows Phoneを選択した、と聞いた時

「これは三国志の幕開けだ」

と思った人は多かろう。しかし今のところ、蜀はまだ「三国」の一つに数えられるほど力をもっていないようだ。

[15日 ロイター] フィンランドの通信機器大手ノキア<NOK1V.HE><NOK.N>は、スマートフォン(多機能携帯電話)の主力機種「ルミナ900」を米国で半額に値下げした。

発売開始から3カ月も経っていないが、米アップル<AAPL.O>や韓国サムスン電子<005930.KS>との競争が激化しており、市場シェアの低下に歯止めをかけるため値下げに踏み切った。

via: ノキア、スマートフォン主力機種を米国で半額に値下げ (ロイター) - Yahoo!ニュース

2年契約付き、という条件だがいきなり半額である。もちろん3DSのように、思い切った値下げがプラットフォームを救うこともある。しかし今は「そうせざるを得ない」といった要素が強いように思われる。

source: Seeking Alpha, WSJ, Nielsen


Nokia Windows Phone US market share still behind Samsung, HTC in Q2 2012

via: Nokia Windows Phone US market share still behind Samsung, HTC in Q2 2012

注意して欲しいのだが、このグラフの横の幅は、実際のシェアを反映していない。だから「悪いグラフの書き方」の見本のようなグラフなのだが、数字を見て欲しい。2012 Q2北米のスマーフォトンマーケットにおけるWindows Phoneのシェアは1.3%だ。

Nokiaが「世界の超優良企業」からどのように、今日の苦境に至ったのかこちらの記事にまとめられている。おもしろかったところを引用する。

Nokia engineers' "tear-down" reports, according to people who saw them, emphasized that the iPhone was expensive to manufacture and only worked on second-generation networks--primitive compared with Nokia's 3G technology. One report noted that the iPhone didn't come close to passing Nokia's rigorous "drop test," in which a phone is dropped five feet onto concrete from a variety of angles.

via: Nokia's Bad Call on Smartphones - WSJ.com
Nokiaのエンジニアが、iPhoneを分解したレポートが存在した。それを観た人によるとiPhoneは効果であり、2Gのネットワークにしか対応してない-その当時Nokiaは3Gに対応していた。別のレポートではiPhoneはNokiaが実施する「落下試験」にパスしなかったと書かれていた。この「落下試験」ではいろんな角度で、携帯電話をコンクリートの上に落下させる。

世界中で、こうした「iPhoneは脅威ではない」というレポートが作成されたのだろう。もう一つ個人ブログだが、「大手家電メーカーの中の人」だった人の意見も挙げておく。

音楽プレイヤーの部分についてはiPhoneに敵う端末はないと思うが、インターネットマシンとしてみたときに日本のケータイの便利さはまだまだ群を抜いている。これは端末だけがすごいんじゃなく、日本のケータイインフラにコンテンツ側もきちんと対応してきた結果生まれた状況だ。

via: iPhone 3Gはインターネットマシンとして見ても微妙? ガラパゴス・ケータイはやっぱりすごかった - キャズムを超えろ!

概して「頭のいい人」が発売当初のiPhoneに対してこうした感想を抱いていたようだ。私は頭の悪い人なので、その登場をみて呆然自失となった。もっとちゃんとした言葉で表現すればこのようになる。

というわけで、新しい時代が始まったのでした。iPhone発売を称して、私は「イエスキリストが生まれる」というエントリーを書いたが、その直後にBoingBoingはJesusphone: He is Risenというエントリーを掲載。「神的携帯:イエスが復活」みたいなタイトルだが、やっぱり側頭葉に電波を送られたんだな。

昨日のApple Storeのline-waiterたちは、殆どが側頭葉に電波が送られた状態だったのだが、そこにいる人たち、それを見に来る人たち、みんな純粋に楽しそうなのが、すごく良かった。なんかこう、磁場が発生している感じ。Apple Storeに近寄るだけで幸せになる、みたいな。

via: On Off and Beyond: iPhone元年が始まって

「日本のガラケーはスッゲー便利」と言っていた頭の良い人と、「側頭葉に電波を感じた」人のどちらが正しかったかは今では明白になっている。そして思うに衰退する大企業というのは「頭の良い人」をたくさん雇おうとするのではないかな。

昨日私は子供が借りてきた本にそうした「頭の良い人が日本企業を衰退させる」理由についてのヒントを発見した。それは日本が誇る

「KATA」

にあったのだ、、と本来こちらを書く予定だったのだが、その本からの引用がどこかに消えしまったのでまた後日。(本当に続くのか?)


Another Steve Jobs ? - Yahooの新しいCEO

2012-07-19 06:43

日本では全く話題になっていないようだが、トラブル続きの米国Yahooの新しいCEOが発表された。Googleの最も初期の従業員の一人であり、ここ数年今ひとつぱっとしなかったMerissa Mayer。

via: The Truth About Marissa Mayer: She Has Two Contrasting Reputations - Business Insider

このニュースを聞いた時「YahooがGoogleの上級幹部を雇った?」という驚きと「Mayerはそんなに実力があるのだろうか」という疑問が頭をもたげた。

でもって昨日読んだ記事によれば、Mayerには大別して2種類の評価があるのだそうな。

Mayerと働いたことがある元Googleの幹部は2度こう言ったとのこと。

"This is a great day for Google, and a nail in the coffin for Yahoo."

via: The Truth About Marissa Mayer: She Has Two Contrasting Reputations - Business Insider

Googleにとっては素晴らしい日。そしてYahooにとっては棺桶に釘が打たれた日。

・Mayerは文字通り一日24時間、週7日働く。
・99%の人間より頭がよい
・他人を使うことができない。だから、彼女の才能を組織の力にすることができない
・彼女にとって「マネージメント」とは脅すか、恥をかかせることだ。
・彼女に5分間会うために、彼女のオフィスの外には人が並んでいた。GoogleのVPも並ばされた。

一方で、そうした「気違いじみた働き方」は20代の頃であり、37になった彼女はもっと成熟してそれほど極端ではなくなった、という意見もあるらしい。

そう聞くと多くの人はSteve Jobsを思い出すに違いない。私も思い出したし、この記事の後半でも言及されている。

いずれにしても、今のYahooが問題を抱えていることには違いない。人間として問題があっても、「仕事ができる。仕事を片付ける」人間がCEOにつくべきだ。そう判断したのだろう。

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先日読んだ本に書いてあったこと

ジョブスはスタンフォード大学の社会心理学者ロデリック・クラマーが言う「偉大なる鬼上司」のひとりである。クラマーによれば、偉大なる鬼上司は、恐怖や威嚇を用いて人々を鼓舞するが、たんなる威張り屋ではない。恐怖心だけでなく、相手を喜ばせたいという願望によって人々を鼓舞する、厳格な父親的存在である。偉大なる鬼上司は、ハリウッド、技術業界、金融業界、政界など、ハイリスク・ハイリターンの世界に多く見られる傾向がある。 この四半世紀、経営者向けのアドバイスといえばほとんどが共感だとか思いやりだとかに焦点をあててきた。指南書のたぐいは、理解や共感を通じたチームワーク構築を奨励する。社員を縮み上がらせて結果を改善するという方法については、論考などないに等しい。だが、リチャード・ニクソンがいみじくも述べている。「人間は愛情ではなく恐怖に反応する。日曜学校では教えてくれないが、それは真実だ」

スティーブジョブスの流儀 p192-193


日本でも時々鬼上司の話は聞く。ワタミの社長とか、孫氏とかね。今トラブルに陥っている家電メーカーも鬼上司をトップに据えては、と思うがそれができるかな?

いずれにせよ、「女性がトップについた」ということだけみて、同じくトラブルを抱えていた三洋電機が、野中某をCEOにしたのと比べるのはとても的はずれであり、失礼なことだ、ということは確かのようだ。

photo 野中氏=昨年11月、Windows Vista発表会で上映された映像より

via: 三洋・野中ともよ会長が辞任 - ITmedia ニュース

21世紀の帝国陸軍

2012-07-18 07:17

大学生の頃、図書館であれやこれやの本を読んだ。元帝国陸軍の人が書いた本に概略以下の様な記述があった。

「なぜ太平洋戦争に負けたかといえば、海軍が敗れたからだ。海軍は米国より多くの空母を有しながら、制海権を失った。陸軍にもインパールやフィリピンなど小規模な過ちはあったが、根本原因は「血が回らなくなったこと」だ。補給が続かなくなったので島々の戦闘で米国に負けることになった。
それを先輩に言った所「おまえ、なかなかするどいではないか。海軍が負けなければなあ」と言った」

読んで仰天した。こういう人間がいるとすれば確かにあのような戦争を始め、なすすべなく敗れるなあと納得した。(上記言葉に対する私の反論はここ参照のこと)

しかし

私は愚かだった。こういう思考形態は敗戦とともに滅んだわけではない。今でもそこかしこに存在しているのだ。

では、なぜ日本のメーカーのデザインや、製品がアジア勢に劣るようになったのか。

 6月に社長に就任したパナソニックの津賀一宏社長は、次のように指摘する。

 「パナソニックは、デジタル家電市場という、新たなインフラを立ち上げることに取り組み、それをリードする役割を担ってきた。それが重要視されていた2005年までは負けてはいなかった。しかし、それが一段落すると、今度は端末競争になる。そこでは、技術がモノをいうのではなく、デザイン、マーケティングが重要になる。そのフェーズにおいて、パナソニックは、技術やモノづくりに自信を持っていたために、お客様視点の商品を十分に展開できていなかった。これが2006年~2011年であった」

via: 日本メーカーのデザインはいつから格好悪くなったのか (nikkei TRENDYnet) - Yahoo!ニュース

デジタル家電市場は、パナソニックが切り開いたもので、Appleだのの成功はその上に「デザイン、マーケティングを乗せただけ」とでもいいたいのだろうか。

ちなみに、「まだ負けていなかった」2005年に、パナソニックは海外向け携帯電話事業から「転進」している。まあいいや。でもってパナソニックが何をしたかと言えば

 「パナソニックは、2012年から、ハッと我に返り、デジタル事業に取り組んでいる」と津賀社長は語る。

via: 日本メーカーのデザインはいつから格好悪くなったのか (nikkei TRENDYnet) - Yahoo!ニュース

負け続けて7年の間ボンヤリしていた、とでも言いたいのだろうか?さすが悠久の大地の流れとともにある日本企業は違うなあ。

今起こっていることを「端末競争」と表現できる神経は「海軍が負けなければ帝国陸軍は負けなかった」というのとほぼ同等と私には思える。
これが世界的大企業Panasonicのトップだとは。。

日本の家電産業が復活できるか否かは私にはわからない。「日本企業はものづくりと技術に徹する」という道を取るのもいいだろう。

問題は

現実をきちんと見なくては絶対に復活は有り得ないということだ。

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私は日本の大企業というものに一定の信頼を置いていた。確かに馬鹿なこともするし、ゴミのような人間も多い。しかし大量に採用して、そこから振り分けて行くプロセスにより、トップ(ないしはトップに近いところ)に立つ人間はある程度まともである、と。

しかしこの「新社長」の言葉を読むとその信頼が揺らぐのを感じる。想像だが、敗戦前も「まあ陸軍だ海軍だといっても、上の方は立派な人がいるよ」と考えていた人もいるのだろうな。最後はなんとかなるんだろう、とか思っていたらどうにもならなかったと。


Ballmerの詩

2012-07-17 07:00

というわけで、MicrosoftのCEO, Steve Ballmerである。世の中には、彼がCEOであることを非難する声が多い。Bill Gatesカムバックとかまあそういう言葉もちらほら目にする。

BallmerがCEOになったのは2000年、GatesがMicrosoftから引退したのが2008年考えてみたら、もう10年以上もCEOをやっているのだな。

でもってこんな記事を観た。

We are trying to make absolutely clear:
We are not going to leave any space uncovered to Apple
We are not.
No space uncovered that is Apple's

via: The poetry of Steve Ballmer | asymco

2007年、2010年、そして2012年にBallmerがiPhone/iPadに対して述べたコメントが並んでいる。そしておもしろいのは引用記事のコメント欄だ。たとえばこんな声がある。

via: The poetry of Steve Ballmer | asymco

そして現在のところ、Windows Phoneのマーケットシェアは、Windows Mobile(だれか覚えてる?)にも及んでいない。

というわけで、彼が批難されてもしかたがない、とはいえ相対的にみればとてもよくやっているのだと思う。

via: 今後のIT業界を占う4つのトレンド

10年毎に集計した「IT業界時価総額Top10」である。日本人であれば、2000年のチャートにNTTとDocomoがランクインしているのをみて、感慨に耽るのもいいだろう。

この三つのチャートに共通して顔をだしているのは、IntelとMicrosoftである。栄枯盛衰世のならい、といいながら20年に渡ってこれだけ安定した実績を築いてきたことは賞賛に値するのではなかろうか。

最初に引用した「Ballmerの詩」にあるとおり、Microsoftは自分で「新しい戦場を作り出し、そこで圧倒的な地位を築く」ことにはここしばらく成功していない。(世界中の企業にWindows/Office税を課したのは素晴らしい動きだったと思うが)Appleに対しては防戦一方で、

「Appleがしたこと全てに対抗する」

としかいうことができない。しかし何もBlue Oceanを切り開くばかりが「正しい」商売のやり方ではない。さて、2020年のチャートはどうなっているんだろうね。Apple原理主義者としては、そのチャートにもAppleが乗っていることを希望するが、それほど確信があるわけではない。Intelの命運は、彼らがMobileへの進出を成功させるか否かに、、かかっているかな?


ガラスマに思う

2012-07-13 07:41

というわけでいつものネタです。すいませんねえ。
このグラフを見よう。

次に示す3つのグラフは、大手メーカー各社の平均販売単価(ASP:左のグラフ)、売上(中央:単位は10億ドル=billion)、それに営業利益率(右)の推移をまとめたものである。

201207061230_3.png

via: RIMの「きりもみ急降下」と復活の可能性 - Asymco - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

実に印象深いグラフだ。一番右のグラフを見ると、Appleの平均販売単価が突出していることがわかる。この「単価」には付帯サービスからの売上もはいっているので、このような「差」がつくとのこと。

そして一番左のグラフは経常利益率。これでみると、RIMの急降下ぶりがわかる。BlackBerryの次期OSは来年まで延期されたとのことだが、果たしてそれは日の目を見ることがあるのだろうか。MotorolaはGoogleの一部として、「利益を度外視して」存続するだろうが。そしてSE-Sony Ericsson、現在はソニーの急降下ぶりもRIMに引けをとらない。

デジタルカメラなどの「デジタルイメージング」、スマートフォン(高機能携帯電話)などの「モバイル」、そして「ゲーム」の3分野を重点領域に位置づけて経営資源を集中し、業績回復を急ぐ考えだ。

via: ソニー、新重点3分野で稼ぐ新体制構築へ テレビなど従来型AV事業は平井新社長が直轄 - MSN産経ニュース

モバイルはソニー全体での重点分野の一つなのだが、この調子で果たして「牽引力」になりうるのだろうか。

それ二社以外のメーカーには「どんな対抗の(生き残るための)材料、できることならゲームのルールをひっくり返して自社が有利に勝てるような材料があるだろうか」、もし材料が見あたらないとすれば「しばらく赤字を覚悟してまで事業を続けることを正当化する理由はなんだろうか」

via: iPhoneは何を破壊したのか - (page2) - ZDNet Japan

さらに、このチャートに現れもしない、富士通、シャープ、パナソニックなどはいつまでガラスマを作り続けるのだろう。いや、大事なお客様であるキャリア様のご意向ですから、などといつまで言い続けられるのだろう。

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日産と、ウィルコムの「復活ストーリー」には共通点がある。両方とも「外部会社による買収」をきっかけに復活し始めるのだが、そこで行われた施策は

「もともと社内で言われていたこと」

ばかりだったと聞く。つまり何か新奇な打ち手や、Magicが存在したわけではない。「こうするべきだよね」と社内で囁かれていたことが、なかなか実行できなかったのが、マネージメントの変化によって可能になっただけだと。

そう考えれば、ソニー、パナソニック、シャープを復活させる方法はおそらく社内に存在しているのではないかと思える。欠けているのは

「非難と、軋轢をおそれずそれを断行する経営者」

だけだ、、、と想像するのだが。いや、もちろん「いや、その打ち手がわからないっす」という状況である可能性も存在するのだけど。


試論:私論:不便益(その3)

2012-07-12 07:29

というわけで、本日は「不便益」の3回目。まだ読んでいない人は1回目2回目から読んでね。

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テキストエディタ:vi

私が初めてviに触ったのは、1984年である。その年Macintoshが発表され、それに触れた私はその操作が容易な事に驚愕した。それからしばらくして卒論用のプログラムを書くとき「このエディタを使え」ということでviを紹介された。
当時はユーザビリティなる言葉を聞いたこともなかったし、コンピュータといえば使いづらいのが当たり前だった。だからviに触れてもそれほど驚きはしなかったが「なんだか変だな」という感じは当時から持っていた。その数年後に「モード指向が強い」ことがその原因であるといことを学んだ。どういうことか?
viを使って文章を書こうとする。この際「J」キーを押した時何が起こるだろうか?viが「入力モード」であれば、"j"が画面上に表示される。しかし「コマンドモード」であれば、カーソルが一つ下に移動するはずだ。ここで自分が何モードにいるか常に意識しなければならない。さもないと、自分が入力したはずの文字列が突如としてコマンドとして実行される。
この不愉快な経験を避けようと思えば、(多くの人と同様に)Escapeキーを乱打する習慣がつくことになる。(Escapeキーを押せば、コマンドモードになるからだ)その頃Life is UNIXという本に出会った。そこに載っていた言葉
「viはクソだ」
には深く頷いたものである。より上品な言説としては、ユーザビリティの大家(とみなされることが多い)ドナルド・A・ノーマンによる以下の言葉をあげることができる。彼は操作ミスの大きな部分を占めている「モードによるエラー」をなくすためには、ユーザインタフェースが以下の様な特徴を持つべきだと主張したのである。


1. モードを持たないこと。
2. モードの違いを区別できるように明示しておくこと。
3. モード毎にコマンドが重ならないようにしておくことによって、誤ったモードで発行されたコマンドが障害を引き起こさないように保証すること。
Donald A. Norman "Design Rules Based on Analyses of Human Error", 1983


しかし私がviに関する違和感について論理的な説明を得ようと得まいとviとの付き合いは続いた。どんなUNIXでも使えるのは、不愉快なほど多くの場合viだけなのだ。しかし、私はなんとかしてそういう状況に抗おうとしてきた。当時大学で私はUNIX上でプログラムを書く必要に直面していた。プログラムをどうやって書こう?viを使うのはいやだったのでNeXTを使った。理由はただひとつ。その頃一番馴染んでいたMacintoshと類似の方法で文章を編集できるからだ。(コンパイルと実行は他のマシンにログインして行なっていた)そうだよ。マウスで範囲選んで、コマンド+Cでコピーだよ。

それから月日は流れ幾星霜。私は会社に戻り、UNIX(およびその派生型)の上でプログラムを書く仕事に従事することになった。でも誰がviなんか使うか。世の中にはemacsなるよりすばらしいエディタがあるのだ。"j"を入力しようと思えば、"j"キーを押す。カーソルを下に移動させようと思えば、Ctrlキーと"n"キーを同時に押す。"Next"の省略形と思えば覚えるのも簡単。単語を入力しようと思ったら、カーソルがでたらめに動きまわるなんてことはない。

そうだよ、モードがきついエディタなんか人間が使うべきじゃないんだよ。そうつぶやきながら、ごきげんに過ごす日々は長くはつづかなかった。ある日同じマシン上で開発をしている人間から文句が来る。お前のemacsがメモリを食っているお陰であれこれ迷惑している、と。なるほど、分かった。僕一人が犠牲になればいいんだ。emacsを使うなんてはかない贅沢な夢だったんだね。(その会社でマシンのメモリを増設しようと思えば、気も遠くなるほどの手続きを必要としたのだ)そうして私は再びviと付き合うことになったのである。かすれた記憶を呼び戻し、キーバイドを思い出すと、またもや「入力文字列がコマンドになる」日々がやって来る。

その後しばらくの間UNIX上でプログラムを書く仕事からは遠ざかっていたのだが、IT関連の話題を眺めているうち「vim」なる言葉を目にした。一時期「モテる女子力を磨くための4つの心得」なる文章が話題になった。元の文章はどちらかといえば批判されることが多かったのだが、そのパロディが大量に作成されたのである。そのうちの一つに「モテるvim女子力を磨くための4つの心得」というものがあった。これはなんだ?調べてみれば、vim というのは強化されたviらしいではないか。なんと、またviだ。あんなにモード指向が強いのになぜ、、と思うが、その理由についてWikipediaから引用しよう。

--(引用ここから)--
Windows系エディタ(メモ帳など)などの他のエディタとは操作方法がまるで異なるため、一通りのテキスト編集作業ができるようになるまで慣れが必要となる。 しかしながら、一旦慣れてしまえばメモ帳などとは比較にならないほどのテキスト編集速度を得ることができるため、数多くのVim愛好家が存在する。
--(引用ここまで:http://ja.wikipedia.org/wiki/Vim)--

自分でもしばらくvim(相当の)エディタを使ってみた。モード指向がきついところはviそのままである。もちろん拡張された機能も多いのだろうが、それは「拡張」であってviのモード指向を矯正しようとしたものではない。つまりvimは初心者にとって依然として
「敷居の高い、ユーザビリティ上問題があるエディタ」
なのである。なのに死滅するどころか、より普及している。この厳然たる事実から何を学べばいいのだろうか。


反(狭い範囲での)ユーザビリティとしての不便益

ここまで「初心者にとってやさしくない」道具を3点見てきた。それらの進化の過程を見ると、ある共通した特徴があることにきがつく。
それらの初期型が持っていた「不便」のうち「解消されたもの」と「解消されなかったもの」がある。さらには、それぞれは

-それを解消することによる副作用はほとんどない不便
-それを解消する副作用は、本質的なメリットを損なう不便

に対応していることに気がつく。前者を解消することに問題はあまりないし(あるいは「壊れやすいこと」をありがたがる人たちもいるのかもしれないが、ここでは考慮しない)解消すべきだ。後者に関してはより慎重な検討が必要である。
後者の「不便さ」はある程度学習をした後に得られる「自由さ」「操作の細かさ。またそれに起因する表現の豊かさ」「操作の効率性(あるいは速度)」と表裏一体となっているとは言えまいか。
より身近な例としては、PC上で動くアプリケーションのメニューを、マウスを用いて画面から選択する場合と、キーボードショートカットを覚え、それをキーボードから打ち込む例を考えてもらえばよいかもしれな。キーボードショートカットを覚えるのは確かに面倒だ。しかしそれを覚えることにより、マウスを用いるより効率的に操作をすることができるのである。つまり学習のコストは高くなるが、操作時のコストを下げることができる。
こう考えてくると、
「それでは、ユーザの習熟度に応じてインタフェースを変更するようにすればよいのではないか」という考えが浮かぶかもしれない。しかしこの方向に進むには注意が必要である。少し前のマイクロソフトオフィスを使ったことがある人は、「よく使うメニュー項目だけを表示するモード」と「全てのメニュー項目を表示するモード」を切り替えることができたことを覚えているかもしれない。初心者にはよく使うメニューだけを表示し、慣れてきた人には全てのメニューを使えるようにする。実に合理的なideaだ。しかしいくつかの研究と現実が教えるところによれば、この試みは「簡単には」成功しない。逆に失敗例はいくつも転がっている。MicrosoftのBob,AppleのAt ease.
初心者への敷居の低さと、熟練者への効率性、自由度を両立させたユーザインタフェースがあればなあ、、と思うがそこへの道のりは遠い。私に言えることは

「それを夢見た人は多いが、到達した人はいない。せめて墓標のある場所に注意しなさい」

である。


Appleが始めた核戦争

2012-07-11 07:14

Steve JobsがiPhoneを最初に発表した時、こんなコメントをだした人がいた。

"'Apple is about to touch off a nuclear war,' said Paul Mercer, a software designer and president of Iventor, a designer of software for hand-helds based in Palo Alto, Calif. 'The Nokias and the Motorolas will have to respond.'"

via: Report: Apple to 'touch off nuclear war' with 'iPhone' that's more 'pocket Mac' than mobile phone - MacDailyNews - Welcome Home
Appleは核戦争を始めようとしている。NokiaとMotorolaは対応せざるを得ない。

そしてそれは本当にそうなった。MotorolaはGoogleに買収され、NokiaとBlackBerryは瀕死の状態だ。

同じ頃MicrosoftのCEO, Steve Ballmerはこう述べていた。

$500の携帯電話?世界で一番高価だよね。おまけにキーボードがないから、メールを打つのが難しい。だからビジネス用途にはアピールしないだろう。今ならWindows PhoneのMotorola Qを$99で買うことができる。音楽も聞けるし、インターネット、メールだってOKだ。私は我々の戦略を気に入っているよ。大いにだ。

それに対して、5年前私はこう書いた。

このインタビューをどのように見るかは人によるだろう。しかし私が見るのは


「恐れ」



「自分が並べ立てている利点に力がないことを自分でわかってしまっているセールスマンの姿」


だ。特に後者はある程度の知性がある人が陥りやすい状態。そのことを理解できるだけの知性がなければ、力強く自分達の強さを主張できるものを。


あるいはMicrosoftは巨人であり、Appleはマイナープレイヤーでしかないのだから


「いや、確かにすばらしい。しかしわが社の次の製品をみてくれ」


くらい余裕をもった発言をすべきだ、という意見もあろう。しかし仮にこれができないとすれば私が考え付く理由は次の二つだ。

1)Microsoftは戦って相手を叩きのめすことで成長してきた会社だ。Red Oceanの戦いでは世界一強い。そうした会社に謙虚なコメントは似合わない


2)恐れ。そうした余裕をもてないほどの。

もちろんこれがあたっているなどと主張するつもりはない。私はそう思うだけだ。

via: ごんざれふ

そして5年前に始まった核戦争は、とうとうMicrosoftにまで及んできた。

201207051400_3.png

アップルが販売するすべての端末、つまりMacだけでなくiPadやiPhoneも合わせてみてみると、Windowsとアップル製端末の出荷台数の比率はいまや2対1をきる水準まできていることがわかる。上記のグラフからは、いわゆる「ポストPC」時代の端末の登場で、PCが元々持っていた影響力が急激に切り崩されていることがわかる。PCはいまや単にアドバンテージをひっくり返されただけでなく、iPhoneやiPadの普及でかつてのアドバンテージをすっかり打ち消されてしまったといってもいい。

via: Windowsの覇権が失われる時... - Asymco - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

現時点で、Windowsマシンの売上はMacの20倍。ところが一時はこれが50倍を超えていた。すばらしい、Macの回復ぶり、、というだけではない。仮にiPhoneとiPadを合わせると、その比率は2:1を切っているらしいのだ。

これはどういうことか?数年前、Mac上でソフトウェアを作ろうと思えば、インターネット上に参考になる情報を載せている日本語サイトは2つくらいしかなかった。そのどちらかに載っていなければ自分で調べるか考える必要があった。

今、iOS上でソフトを作るとき、何かつっかかればいろいろな言語で書かれた山のようなサイトがヒットする。ほとんど全ての問題でだ。これは一プログラマーとしての感想だが、前記「2:1」の比率を実感できる事実でもある。

というわけで、Ballmerはこう明確に宣言したらしい。

"We are trying to make absolutely clear we are not going to leave any space uncovered to Apple,"

via: Exclusive: Microsoft's Ballmer Throws Down Gauntlet Against Apple
このことは明確にしておく。我々はAppleがやろうとしていること全てに対抗する。

Microsoft全面核戦争の宣言である。核戦争だから、戦闘員も非戦闘員も一緒くたである。かくして、これまで忠実にWindows マシンを作ってきたPCベンダーもふっとばされるのであった。

もしもこの噂が真実なら...そして確かに真実のようだが...、HPやそのほかのOEMたちは、Microsoftが近々より優れたハードウェアを発売するので、ARM RT(WART)を搭載した自社製Windowsタブレットの製造を中止する。SemiAccurateはこう報じている:

Microsoftは同社の輝かしい二製品の、チップメーカー使い分け戦略により、ARM系チップメーカーとOEMの両者に手錠をかけてしまった。MicrosoftはOEM各社の製品設計に密接に協力してきたが、それらの設計が完成した次の瞬間にはOEM各社の革新的な機能をすべて取り入れた自社製品を発表し、しかも、その製品は、それらOEMにとって直接の競合製品であるだけでなく、彼らの製品の弱点を十分に知った上で設計された製品でもある。

via: MicrosoftはSurfaceでOEM各社を困らせる, HPは自社のWindows ARM機を製造中止

いや、すさまじい。和をもって尊しとなす日本企業には全くできないねえ。ちなみにMicrosoftの目標だが

Microsoft's goal is to sell "a few million Surface PCs" in the coming year. (I actually thought I heard Ballmer say "a few millions," with an "s.") Ballmer also said that according to estimates, there will be 375 million Windows PCs sold in the next 12 months.

via: Microsoft plans to sell 'a few million' Surface PCs in the coming year | ZDNet

向こう一年間でWindows PCは375×100万台くらい出荷される。MicorsoftはSurfaceを"a few million"売る計画なのだそうな。Appleが最初にiPhoneを発表した時と同じく、シェア1%を目標とするのだろうか。

というわけで、今日も日本の家電メーカーはこんな製品を作り上げるのであった。

本体にはベル音を内蔵し目覚まし時計として利用することも可能。「明るさセンサー」や「照明オフ連動
機能」、「無信号電源オフ」「無操作電源オフ」などを搭載し、テレビ側が自動で節電する機能も備える。

via: 痛いニュース(ノ∀`) : シャープ、テレビに「目覚まし時計」機能を搭載! 本体にベル音内蔵 - ライブドアブログ

未来のTVの姿を(何度目かだが)考える

2012-07-10 06:52

今日書くことは今まで書いたことの繰り返しです。

TV業界というのは、水平分業モデルである。コンテンツを作る会社はいくつもある。でもってそれと多少オーバーラップするかたちで、TV局がいくつもある。でもって家庭におかれたTVというのは、できるだけ多くのコンテンツプロバイダ(TV業界ではこういう言い方をしないのだろうか)に対応して、ユーザに選択の余地を与える。

しかし

この図式は間違っている(キッパリ)。そもそもTVではなく、リビングに置かれた巨大なディスプレイだ、というideaは脇に置いておく。TVの前に座るユーザというのは、ボケーッと眺めたいと思っているのだ。つまり番組を選んで見たい、とは思っていないのである。

従って

TVを売ろうと思えば、TVセット以外のところに着目する必要がある。今やTV等どこでも製造できるのだ。IKEAがだした「家具としてのTV」はそのひとつの解。もう一つの解は

「コンテンツからTVセットまで一気通貫でのTV体験」

というものだ。

つまり「ユーザに選ばせたら負け」なのである。ユーザが行う最大限の操作は、電源を入れる、チャンネルをかちゃかちゃ「回す」(こういう表現を使うと年がばれるが)。それだけである。

どうでもよくない引っかかりを感じたのが、「コンテンツ探しが簡単」というやつ。テレビはコンテンツを見る道具なんだからと、コンテンツをたくさん見せようという仕掛けを考えているらしいテレビがよくあるが、テレビ屋の勝手な思い込みじゃないのか。

 一日の内でテレビを見ている時間というのは、放送とかVoDとか中身は変わっても、1日24時間の8%程度で増えも減りもしていない。このくらいの時間だと、一所懸命コンテンツを探さなくても時間は過ぎてしまう。だとしたら、テレビの製品機能でコンテンツ探しに血道を上げるのは無駄なんじゃないのか。

via: コンテンツを見せるのがテレビか: 無指向な嗜好

上記引用文の続きには「コンテンツを見るだけではないTV」という提案がなされているのだが、そこはおいておいて、この引用部分には全く賛成である。

「TV屋は、どんなコンテンツでも見せられるようにすればよい」

という考え方は間違っている。やるなら

「電源をONにすれば、"パナソニック提供のチャンネル"が見られる。気に入らなければ他のチャンネルも見られるよ」

ぐらいにしてもいいのではないか。


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振り返って考える。実家に帰ると、たいていディスカバリー・チャンネルばかり見ている。面白い。ヒストリーチャンネルとかも大好きだった。私はもと軍用機オタなのだが、その目からみてもそれらのチャンネルは面白い。

なぜ日本では、ああした「まともなコンテンツを作る」ケーブルTV会社というのは生まれないのだろうね。ディスカバリー、ヒストリー、ナショナルジオグラフィックとかさ。


「自分が使いたいものを作る」ことの穴

2012-07-09 06:56

製品やサービスを作るとき、「対称性の有無」について考えることが必要である。対称性がある、とはそのサービスを製作者自身が使う(あるいは想定される)場合。非対称とは、自分が絶対に使わないサービスを設計することを言う。GREEとかDeNAはそのたぐいだと思う。また先日「麻酔医」の人にあった時「自分で麻酔を体験することはありますか」と聞いたら「麻酔は絶対安全というわけではないので、それはやりません」と言っていた。ワインバーグの本で読んだが、外科医自身が大きな外科手術を体験すると患者への接し方が変わるとかあったような気がするが。

さて、対称性をもった開発で知られる(と私が勝手に思い込んでいる)Googleである。先日こんな記事を読んだ。

Google+のユーザが男だらけなのはどうしてか?という質問に対しての答えだ。

「私の仮説では、そのコミュニティの起源となる"種"がかなり大切だと思います。Polyvoreの場合、それはファッションフォーラムです。Google+の場合は実際、グーグルの従業員たちでしょう。彼らはほとんどが技術者で男性です。彼らが自分の友人を招待して、そんな風に拡大してきたのです。フェイスブックの場合は大学、マイスペースはおそらく音楽です。大事なのはそのルーツで、グーグルの場合、これがズレていたのです」(リー氏)

via: 女性目線で語られた、Google+が男だらけの理由 « WIRED.jp


専門的なことはさておき、Google+とFacebookを触るとき、両社の違いは明らかである。機能が云々ということを除いてもテイストが全く異なるのだ。Google+は何よりもGoogler達が使うものなのだろうな。

Nexus Qには今のところそうした「対称性を有するがゆえの壁」が指摘されている。(本当のところは、それが実際い売り出されるまでわからない。)

このデバイスが最も有効に機能するのは

「大勢の人が一箇所に集まってパーティーかなんかをしているとき」

である。


ブリットは1970年代によくあったレコード・パーティのことを持ち出して、ポイントを伝えようとした。70年にはよくティーンエイジャーが自分のレコードを(牛乳のケースに入れて)持ち寄って、誰かの家で一緒に聴いたものだった。


via: ただのガジェットではない、グーグルの未来への切り札 « WIRED.jp

これは確かに単なる製品ではなく「新しいライフスタイル」の提案でもある。米国で70年台に行われたというレコードパーティーの21世紀版を意図しているらしい。そりゃいくらネットが発達しても、直接顔を合わせて騒ぐことは代替できないからね。

しかしレコードパーティーとは違った「制約」がこのデバイスには存在する。

Perhaps the best explanation is that Google is simply taking a page from one of its biggest competitors and building a device that would be most at home at Google itself.

via: Google Nexus Q review | The Verge

最初の文はうまく訳せないが、二番目の文

「Google社内ではうまく機能するデバイスを作り上げた」

このデバイスを使うためには、まず第一にGoogle Musicに音楽をアップロードしておく必要がある。次に、対応したスマートフォンを使ってそれを制御しなくてはならない。

Googleで働いている人間が集まるオフィス、あるいはパーティーなんかはこのデバイスにとって理想的な環境だ。つまり「Googleで働く人間」のために作られたようなデバイスなのである。問題は、Googleの社員の数は限られていることだ。

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Googleはネットワービス企業としてスタートした。そして新しい分野への取り組みが最初から成功するとは誰も思わない。

しかし、アップルがお得意とする、ユーザーに製品への強い欲求を抱かせ、それを買ってもらうことについては、グーグルはこれまで何度も乗り越えがたい障壁にぶつかってきた。

via: ただのガジェットではない、グーグルの未来への切り札 « WIRED.jp

これが成功への第一歩になるのか、あるいは失敗の歴史に新たなページを加えることになるのかはまだわからない。


日米ベンチャーの違い-ハードウェア編

2012-07-06 07:01

私は、事業の評価に「若い」だの「女性」だのをついていると、反射的に身構える。「かわいい検索」など正直言ってひどいものだった。

しかしこの記事には反応せざるを得ない。

その後、ダニエルはカナダのダルハウジー大学を卒業し、17歳でプリンストン大学大学院に進むと、プラズマ物理研究室で博士課程の勉強を始めたが、結局ここを中退することに(学術研究の世界も小学校と同じようにつまらないと思ったのが理由)。そして20歳の時にライトセイル・エナジー(以下、ライトセイル)というヴェンチャー企業を知人と創業し、現在は同社の主席科学者(Chief Scientist)として働いている。

via: 「電力網の再発明」を狙う、少壮の天才女性科学者 « WIRED.jp

女性だか若いだかは問題ではない。実に重要なポイントに挑もうとしているベンチャーというのが私が注目する理由だ。

震災直後に比べれば、自然エネルギーに関する滑稽な言説は減ったと思われる。しかしそうした言説があろうがなかろうが問題は存在している。つまり風力だの太陽光だのは「足しにはなっても頼りにはならない」存在だということ。もちろんあなたが、

「電力は時々つかえればいいや」

と割り切っているなら話は別だが。
問題は電力を貯蔵する安価で効率的な手段が存在しない、というところにある。この記事の技術的内容にどの程度信頼が置けるかは判断できない。しかし

ソフトバンク(9984.T: 株価, ニュース, レポート)グループで自然エネルギー事業などを手がけるSBエナジー(東京都港区)は1日、京都市と群馬県に建設した大規模太陽光発電所(メガソーラ20+ 件ー)の運転を開始したと発表した。

via: ソフトバンク、メガソーラー2拠点で運転開始 | Reuters

こんな取り組みよりはるかにまともなものに思える。本当に未来が自然エネルギーにあると信じるのなら、今メガソーラーを作るより、その金を自然エネルギーの(現在は)致命的な欠点を解決する技術に投資するのほうが正しいのではないか?もっとも金を儲けようとしているのであれば、話は別である。

でもって問題は標題に戻るわけだ。Discovery channelとか見ていると、米国にあまた存在しているらしい「ハードウェアのベンチャー」の取り組みについて驚嘆することが多い。列車を代替するもの。飛行機を代替するもの。

夢の扉+を時々みることがある。(最近TV自体ほとんどみないが)そこで取り上げられている和製ハードウェアベンチャーを見るとき、日米ソフトウェアベンチャーを見る時とは違う

「うーむ」

感を感じるのだが。

ある起業家は、「日本は面白そうとかCool(クール)なものを追いかけ、米国は問題を解決するスタートアップが主」と語る。

via: なぜスゴそうな人も大ゴケするのか? テーマで間違うスタートアップ|インキュベーションの虚と実|ダイヤモンド・オンライン

こうした傾向は確かに存在しているのかもしれない。問題は日本の社会にあまた存在している。なぜその問題に正面から取り組もうというベンチャーが少ないんだろうね?


絵を描く人 修復をする人

2012-07-05 06:41

昨日面白い文章に出会った。

概算をする能力を持たない人が上司になると、部下の技量をレンガの積みかたで評価するようになる。

必要なのがビルであっても、上司には図面を読む能力がないものだから、上司はひたすらレンガをにらむ。「お前、ここに来てレンガを積んでみせろ。ほら1ミリもずれている。たるんでいる」なんて、図面を書ける部下を叱りつけたりする。こんな空気が連鎖すると、その組織からは図面が書ける人がいなくなる。

組織が持つ概算能力みたいなものは、恐らくはその組織が長く続くほどに、一方向的にどんどん落ちていく。かつてビルを作った職人集団は、10年すると家を立てるのがやっとになって、20年するとブロック塀を積める人だけが生き残る。ブロックの積みかたは精密を極め、誰もがレンガ積みの達人になった結果、その組織にビルを頼む人はいなくなる。

via: 大きな話ができる人 - medtoolzの本館

私は少し違う言い方をしてみよう。

「全体の絵を描く人」

「細部の仕上げ、修復をする人」

の間には深くて長い溝がある。いや、高くて超えられない壁がある、というべきか。
長年使われるシステムほど後者の人ばかりになる。そして引用した文章にある通り

「このレンガの積み方がなってない」

という指導ばかりが横行することになる。
こうした組織からは笑っちゃうような勢いで「全体の絵を書く能力」というのが失われていく。それは見事だ。

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具体例を述べよう。以前情報機器製造会社の子会社で働いていた。その会社には親会社から「優秀な若手」が何人も出向してきて

「組み込みのソフトを一から作り直す」

プロジェクトに取り組んでいた。私はそこに何も知らず採用されたプロパー社員第一号だったわけだ。

最初は親会社から来た人間のいうことを素直に聞いていた。しかしそのうち疑問が湧いてきた。そもそも我々は何を作っているのか。目標はなんなのか。新しい開発に取り組むと言うことを聞いていたが、それはどこまで取り入れるのか。なぜ仕様書がなく、メモ書きの断片が散らばっているだけなのか。

更に不思議なことは、親会社から来た人間は会議ばかりやっていて、誰一人(正確に言えば、一人だけ例外がいたが)絵を書こうとしなかった。代わりに

「外注さん」

に向かってあれこれ注文を出したり、その提出物にいちゃもんをつけたりしていた。彼らは自分では何もできなかったが、それを指摘すると

「提案してください」

と言われ、提案をすると

「これはイメージと違う」
「レンガがずれている」

といって却下した。そんなことを繰り返しているうち、そのプロジェクトはお取り潰しになった。それを冷静に見ていたのは、いろいろな会社でいろいろなプロジェクトを経験してきた「外注さん」だけだった。そして私もそのプロジェクトをスクラップにしたのは正しい判断だったと思う。

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今から振り返ってわかることだが、あの会社で体験したことは典型的な

「設計能力が失われた会社」

だったのだ。今あるものの改修、改善、増築ばかりやっているうちに誰も描けなくなる。これを嘆くべきかどうか私には分からない。少なくとも今はそれで会社が、そして社会が回っているからだ。ただそうした認識を持つことは大事だと思う。正確に言えば、社員の9割はそうしたことを認識しないほうが幸せに暮らせるのだが、残りの1割は認識していないと困る。

その会社の「求人広告」を見ると、「こんな新しい製品に取り組んでます!」と誇らしげに語っている。私はぼんやりと「その"新しい製品"の全体像を作ったのは誰だったかな」と思う。優秀な人がたくさんいる会社だから、その問いに対する答えを持っている人が1割くらいはいると思う。


Me Factor in文芸 それと inエンジニアリング

2012-07-04 08:20

先日こんなことを書いた。





彼は数十年の間に



「自分の感動の大切さ、とそれを客観視することの重要性」



のバランスを取ることを学んだのではなかろうか。ホンダの車は確かにすばらしい。しかし

ガソリンを1/4ガロンしか積めないのでは誰も買わない、という客観的事実を。



というところから、夏目漱石の言葉を思い出したり、とかあれこれ話は続くのだが、今日はこのへん。



ごんざれふ から引用


例によってそのまま忘れてしまおうかと思っていたのだが「あれはどうなったのだ」とご指摘をいただいた。私が思い出した漱石の言葉を以下に引用する。





 これほどまでに芸術とか文芸とかいうものは personal である。personal であるから自己に重きを置く。自己がなくなったら personal でなくなるのはあたり前であるが、その自己がなくなれば芸術は駄目である。

 あなた方に尊ぶことは、自己でなくして腕である。腕さえあれば能事了れりというてもよい。工場では人間がいらないほどあっても、その人間は機械の一部分のようなものである。mechanical に働く、機械よりも巧妙に働く、腕が必要である。が、われわれの方は人間であるという事が大切な事で、社会上よりいうときは御互に社会の一員であるけれども、われわれの方は貴方がたに比べて人間という事が大事になる。



夏目漱石 無題 から引用

最初これを読んだ時「なるほど」と思った。工学においては、腕が大事であり、Personalなことは2のつぎである、と。

初代Macintoshケースの裏側には、開発に携わったエンジニアたちのサインがはいっていたと言う。このことがニュースになるのはそうしたことが珍しいからにほかならない。そして確かに工場で組み立てた人たちの名前を我々が目にすることはない。

じゃあそれは一般的な話か、と言われればどうだろう。例えば最近「開発者インタビュー」というのがいろいろな会社のサイトに掲載されているようだ。

★森澤プレジデント語録

「やっぱりそれだと、触れた時の手のひらにフィットする、あの感触は得られない。
世界最小・最軽量というテーマもあると思いますが、今回は音を感じさせる事に徹しました。 」

「ずっと手に持っていたい、思わず触れたくなる、そんな気持ちは数値では表現できないものじゃないですか?
Aシリーズではスペックでは測れない魅力に挑戦してみたかったんです。 」

via: 最強のデザイナー森澤を称える! pt.2

音楽との新しい関係を生む、"小さなタマゴ"

小気味のよい動きが、音楽を盛り上げる。聴きなれたはずの音楽も、新鮮な感覚で向き合える。オーディオプレイヤーの新しい価値を提案する「タマゴ」、それが"Rolly"です。明らかにソニー製品とわかるクオリティは、デザイナーたちの強い意志のあらわれ。そこに到達するまでの試行錯誤の日々をデザイナーが振り返ります。

via: Sony Japan | Sony Design|Activity|Feature Design

それに対しては、こういう意見もある。

インタビュー読んだけど開発者がごちゃごちゃしゃべりすぎ
音楽を楽しむのはこっちなんだから、開発者はごちゃごちゃ言わなくてもすごいと思わせるハードとソフトをつくりゃいいの
見栄えのいい、耳ざわりの企画書作ることばっかりに没頭してる典型みたい

via: 最強のデザイナー森澤を称える! pt.2

そして実際上記に引用したソニーの製品は全く市場に受け入れられなかった。となれば得意げにPersonalを主張したところで「なんなのか」ということになってしまう。

AppleにはIveがいるが、彼以外のデザイナーの言葉を聞いたことがない。しかしその製品は世界中で受け入れられている。言葉が表にでてこなくても、そのPersonalな主張はデザインの結果として世の中に表れる。

彼らはスティーブ・ジョブズが好んで使った「テクノロジーとリベラルアーツの交差点(the intersection of technology and liberal arts)」という表現についての話題をしばしば持ち出した。

via: ただのガジェットではない、グーグルの未来への切り札 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

リベラルアーツではPersonalが大事であり、テクノロジーでは文字通りテクノロジーが大切、ということなのだろうか。このへんうまくまとまらないのだが。



製造企業としてのApple

2012-07-03 07:11



Paley氏はFortuneのインタビューで、「今では、重要な会議にはプロジェクトマネジメントの責任者とグローバルサプライマネジメントの責任者が必ず出席すると聞いている」と述べたうえで、「わたしがAppleにいた頃は、エンジニアリング部門がAppleとして必要なものを決定し、プロダクトマネジメントとサプライマネジメントが製品化するという役割分担だった。この点を見ても、優先順位がシフトされていることは明らかだ」と述べている。


via: アップルのクックCEO、サプライチェーンの管理を強化か - CNET Japan

こうしたことがなぜ行われているのか。今のAppleにとって「安いコストで安定的に供給できる製品」だけが検討に値する、ということなのだろう。エンジニアが勝手に作った製品を、製造、流通部門がおしつけられ文句を言うなんてことはありえない。

Apple が、米国カリフォルニアを拠点とする会社 Liquidmetal Technologies の持つ高度な金属に関する特許など、すべての知的財産権についての独占的なライセンス契約を獲得したようです。

via: Apple、Liquidmetal Technologies の持つ知的財産の独占的ライセンス契約を獲得 - Apple Brothers + Mac News

そうした動きの一貫として、Liquid Metalなる金属素材の独占的使用権を取得しているらしい。この素材がいつどのような形で使われるかは(例によって)Appleの外にいる我々にはわからない。次のIphone5で使われる、という噂と、いや時期尚早だ、という意見と両方が存在している。

いずれにせよ、そうした努力の結果は現時点では明白に思える。

ジョニー・アイヴ率いるアップルのデザインチームには確かに先見の明があるが、未来のコンピューターについての革命的なヴィジョンを持つ会社は実は他にも多くある。アップルが他社と違うのは、夢のような、革命的で魔法のようなマシンを実際に作れてしまうところにある。

それが、アップルの魔術だ。現実のものにできる。まずは、革命的なラップトップ、スマートフォン、タブレットを作ると自らに言い聞かせる。そののち、誰もが羨むような純粋なデザインを考案し、部品を調達し、徹底した秘密主義のもとに製品を作る。そして前例のない利益率で売られ、多くの消費者の元に届けられることになる。他はマネできないことだ。

via: アップルの秘密兵器 | 田園Mac

未だに展示会で

「未来コンセプトのモックアップ」

なるものを見かけることがある。そしてそれらが決してモックアップから外にでないこともほぼ自明になりつつある。

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などと見ていると「それに引きかえ」といいたくもなるが、我が国にもこのような企業がある。

マーケットインは売る人のために売れる商品を造ろうという発想です。当然、横並びの商品ばかりができてしまいます。マーケットは「値段が同じなら機能を一つ増やせ。機能が同じなら値段を下げろ」としか言いませんからね。

 一方、ユーザーインは、自分が使うためにお金を払う人の視点。マーケット調査は必要ですが、生活者としての自分の感覚や感性のほうが大切なのです。iPhoneも、スティーブ・ジョブズが自分の感性で、自分の欲しいものを、自分が値ごろだと思う価格で造ったのです。我々の商品はコモディティー(日用品)の最たるものですが、発想はiPhoneと同じです。

via: 編集長インタビュー - 1万4000点の商品造る、競合不在のビジネス実現:ITpro

つまるところマーケットインの象徴は「機能比較表」なのかもしれん。この機種はこれついてます。チェック印の多いほうがいい製品です、と。

もっとも買う側は、そんなことを気にしちゃいない。ただ販売員は「説明がしやすい」といういことなのだろうか。こうした「相手の事を考えない努力」は「婚カツ」にも見られるとのこと。

そこで、婚活を頑張るキモい女子は次の言葉を肝(キモ)に銘じること。

「お客のニーズを無視する努力はエゴである」

そして、現状、婚活に努力する女はエゴイストであり、何よりも「婚活」という言葉がそれを象徴している。
なぜなら「婚活」している女というのは、「結婚」を目的としていることを公言しているわけであり、つまりそれは目の前の男をちゃんと見るのではなく己の欲望を丸出しにしている言葉であり、婚活を男目線の言葉に直すとしたら


ヤリ活


である。

via: スパルタ婚活塾 第3講 「ツッコミマスターとなれ」|水野敬也オフィシャルブログ「ウケる日記」Powered by Ameba

そういえば、遠い昔出席した合コンで

「自分が"最低限"必要とする条件」

を等々と述べる女の子がいたなあ。。もちろん男にもそういうのはいるだろう。日本の家電製造、販売に携わる人で、自分がそれと同じことをやっている、と気がつく人はどれくらいいるのだろうか。


この製品なんぞ。

「最低でも帝大卒で、年収1000万以上で、背が高くて、年に一度は海外旅行にいかせてくれる人じゃなきゃダメ」

とほぼ同レベルだと思うのだけど。


no-excuses hardware execution

2012-07-02 07:00

これはNexus-Qの記事から引用した言葉だ。家電を作っている人たちは、この言葉の意味を噛み締める必要があると思う。

クリステンセン教授の説によれば、新しい分野の製品では、当初垂直統合型のモデルが有利になる。しかしそれが成熟していくにつれ、水平統合になる、ということになっている。仮にそのモデルが正しいとすれば、間違い無く携帯情報端末は垂直統合型が有利な時期にある。

その具体例を、なぜMicrosoftがSurfaceを自前で作る決心をしたのか、についての記事から。

Microsoft learned through industry sources that Apple had bought large quantities of high-quality aluminum from a mine in Australia to create the distinctive cases for the iPad,

via: With Tablet, Microsoft Takes Aim at Hardware Missteps - NYTimes.com

-マイクロソフトは、AppleがiPadを製造するために高品質のアルミニウムをオーストラリアの鉱山から大量に購入したことを知った。

The executives were stunned by how deeply Apple was willing to reach into the global supply chain to secure innovative materials for the iPad and, once it did, to corner the market on those supplies. Microsoft's executives worried that Windows PC makers were not making the same kinds of bets

via: With Tablet, Microsoft Takes Aim at Hardware Missteps - NYTimes.com

-マイクロソフトの幹部は、Appleが革新的なiPadという製品を作るため世界的なサプライチェーンに深く関与したことを知って驚嘆した。そしてPCメーカーに同じようなことができるだろう、かと憂慮した。

それから、記事は(今や誰も覚えていない)iPadに先駆けてMicrosoftがアナウンスしたHP Slate 500についての内容に移る。

HPのタブレット登場までにはいろいろ紆余曲折があった。CES終了直後に同社ではタブレットデバイスの動作動画を一般公開し、iPad発売日に先駆ける形でスペックの一部や戦略についての幹部へのインタビュー動画を公開している。だが肝心の発売日や価格については長らく伏せられたままで、さらには3つあったタブレット製品の計画が1つを除いてキャンセルされ、webOSタブレットに一本化されるという話題が伝わっていた。

via: 米HP、ついにWindows 7タブレット「HP Slate 500」を発売 - 価格は800ドル | パソコン | マイナビニュース

その記事を勝手に要約すると次のようになる。

While its early visual designs impressed many people within the two companies, the product was "completely ruined" as H.P.'s manufacturing organization began to procure the parts they believed would be sufficient to power the device, the former Microsoft employee said.

via: With Tablet, Microsoft Takes Aim at Hardware Missteps - NYTimes.com

-初期のデザインは、Microsoft,H.P,両社にとって印象的なものだった。しかしHPが実際に製品化の作業にとりかかると、それは「完全に無茶苦茶になった」

上記記事の2P目を読むと、Slate500の「不出来」に関して両社がお互いを非難した様が記述されている。曰く、アイコンが小さすぎるしタッチの精度が悪いのに改善しようとしない、曰くタブレットは厚すぎ、CPUは熱すぎる。

つまるところ、お互いた到達した結論というのは

「ハードとソフトを一社で作らなくてはダメ」

というものだった。それ故、HPはPalmを買収したが結局PCビジネスから手をひくことを(一旦は)決断した。

もう一方のMicrosoftは?それが今回のSurfaceにつながっていると。

おそらくはGoogleも同じ結論に達して

アンディー・ルービン氏がAllThingsDに話していたところによると、グーグルでは原価(儲けゼロ)、マーケティング経費などの持ち出し分を含めれば赤字覚悟で売っていくのだそうだ

via: 【動画】グーグル「Nexus 7」はこう動く - The VergeとEngadgetのレビューから - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

ということなのだそうな。つまり今はやれハードがどうだ、いやそれはソフトの問題だ、などと会社間でやっている場合ではない。No-Excusesで製品を作らなければならない、ということなのだろう。

GoogleはGoogleで「ものづくり」に徹底していて、Nexus-Qは全てアメリカ国内で製造されているとのこと。理由は

"Being able to have every engineer go to the factory if needed is incredibly valuable,"

via: It's a Sphere! The Inside Story of Nexus Q, Google's Music Hardware Gamble | Gadget Lab | Wired.com

-エンジニアが必要なときいつでも工場の現場に行けることは、とても重要だ

なのだそうな。これが「現実を知らない金持ちの戯言」なのか「ものづくりの基本に根ざした正しい態度」なのかはもう少し時間がたたないとわからない。