存在の耐えられない軽さ

2006-02-09 09:31



ネット企業は技術志向の経営を--梅田望夫氏が語るるウェブの進化より


そういう「深い技術」と「早い技術」がネットの世界にあって、この「深い技術」を極めようという気が、今の日本のネット産業の中に全くないのだろうなということですよね。


梅田氏のブログは前から何度か拝見している。いいのだけど何かがひっかかっている、、とこのサイトからもリンクはしていない。しかしこの記事は長年頭の中でもやもやしていたものをすっきりとさせてくれた。


シリコンバレーからでてくる新しい会社と日本で「ネット企業」と言われている会社の一番の違いはこの「深い技術」の有無なのだ。


エンジニアをたくさんやとっているという話と、深い技術を前面に押し出し、それでユーザに価値を提供しよう、というのは全く別の話だ。日本のネット関連企業の時価総額がどうなっただの、株価がどうだの聞いても全くぴんとこず、Googleの話を聞くたび心のどこかで歯軋りするのは私がどこかで


「深い技術で成り立っている企業」


に憧れを抱いているためだと思う。


こう書くと「いや、日本にも深い技術はある。iPodを磨けるのは日本の職人ではないか」という話がでてくるような気がする、、のだが話はそうではない。職人さんたちの技はAppleという会社の影にしか存在しない。職人技のすばらしさはすばらしさ。それが企業の経営と一体化して一般ユーザにリーチする、というところが私がGoogleに関して歯軋りする理由なのだ。


話がふらふらするが以前から日本のメディアが「ネット関連企業」という言葉を無茶苦茶なくくりとして使うのには腹が立っていた。彼らの「区分」ではライブドアもgoogleも同じネット関連企業なのだ。こんなふざけた話はない。


と憤っているよりも「深い技術」「早い技術」という解りやすい言葉があれば話はわかりやすく、、ならんかな。ライブドアの場合は「早い技術」よりは「金儲けだけの技術」だったわけだが。


ここで話は昔に飛ぶ。シリコンバレーの話(本の名前は忘れた)を読んで感銘を受けたあと、その本を貸してくれた男が「では次はこれを」といって貸してくれた本が日本のアスキーかなにかに関する話だった。


でもって冒頭西某が会議室で昼寝していたとかそんな話が「型破り」として書かれている。そこだけでもう読む気を失ってしまった。


なんなんだ。これは。シリコンバレーで起業した人間の「型破り」と会議室で昼寝する「型破り」を同じ「型破り」ということで同列にならべるのか、と。


とひとしきりわめいたところで話は自分自身に戻る。他人がやっていることをあれこれ言うのは簡単だ。さて、私は「深い技術で一般ユーザにリーチする」物を作り出すことができるだろうか。


今作っているGoromi-TVはいくつか考えるヒントを与えてくれる。その後ろに深い技術は存在し得るのだろうか。「新しい情報との出会い」「なんとなく別のもの」といった曖昧な要求にこたえる深い技術というのは存在するのだろうか?