頭の中に浮かんだ「批判」を鎮める私なりの方法

2007-03-19 07:26



それでもっと悪いのは、ダメな大人の真似をして、自分のことは棚に上げて、人の粗探しばかりする人がいることだ。そうすると利口に見えると思っているかもしれないけど、そんなことしている暇があったら自分で何かやれ。

My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。より引用】

My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。My Life Between Silicon Valley and Japan - 直感を信じろ、自分を信じろ、好きを貫け、人を褒めろ、人の粗探ししてる暇があったら自分で何かやれ。


このブログを読み返したり、あるいはほかの人が読めば、書いてある内容の多くは批判的やNegativeなものであることに気がつく。こうして文章を書き続けていることの目的のひとつは、「自分の阿呆さ加減を思い知る」ことにあるので、そうやって適当な時期に自分の姿(意識的なものだけだけど)を見ることは悪いことではないのだろう。


さて、標題で何を言っているか?


だいぶ前のことになるが、前後3年弱アメリカで生活していた。そして同じ私という人間なのだが、アメリカにいるときと日本にいるときでは、他人に対する「批判」の仕方が異なることに気がついている。


端的に言えば、日本にいると他人のあら捜しをしたくなるのだ。そうした感情がわきあがってくるとき、自問自答する。なぜそう思うのか?


そうするとその根底に「日本人の同族意識」があることに気がつく。同質でなければならない、という脅迫観念ゆえに、少し違った行動に対し必要以上に腹を立てるわけだ。


というわけでそういうときには自分にこう言い聞かせる。


「あの人は○○人だから」


○○のところは日本以外であれば何でもよい。アメリカとかイギリスとか欧米系でもよいし、アジア系でもよい。するとどうだろう。心の中の「批判」がみるみる解消していく。人には人の事情がある。価値判断も違う。それにあれこれ言ってどうする。自分がやりたいことの障害になっていれば、何か対策を考えなくちゃいけないけどね。


少なくとも私の場合にはこれは本当に効く。効いていてこれだけブログにNegativeなことを書き綴るのか、、と思うとまた落ち込んでくるが、それは必要な「落ち込み」に違いない。


でもなあ。いい年だし。残りの年数を数えたほうがいいような年代だし。本当にあれこれ言っているよりゴールに向かってボールをけりこんだほうがいいよ、と自分に言い聞かせよう。