TVでの討論を見ながらぼんやりと考えた

2007-05-18 00:00



昨日TVを見ていたら「地上デジタル云々」に関するパネルディスカッションをやっていた。2011年の「地上波停止」までにどれだけの世帯が地デジ対応に移行するか、という問いかけに対して、参加者がそれぞれの推定を述べる。


パネラーはTV局の人、その関係者など。みんなネクタイを締めスーツを着ている。そしてそれぞれの立場から自分の意見を述べる。


それを見ながら私はなんとなく彼らが「場違い」であるかのような感覚を持つ。どうしてか。


2011年だか2015年だか知らない。しかしその頃にユーザが現在TVの視聴に使っている時間について考えているのは、このパネラー達ではないのではなかろうか。それがGoogleだかYoutubeだか任天堂だかAppleであるかはわからない。今はまだ私が名前を知らない企業かもしれない。


しかし多分この人たちではない。


そう考えた自分に少し驚いた。私は「これからは若い人の時代だ」的な考えにアレルギーを持つ人間だからだ。


しかし最近の自分の「TV視聴傾向」を客観的に振り返れば、そう考えるしかない。


なぜ起業が難しいか、なぜベンチャーが大手企業に発展できないか。「日本人の若者がやる気が足りない」とか、「ハングリー精神が足りない」とかの議論に賛成できません。

 僕はこの背景に戦後の製造至上主義がもたらした多くの政策、慣習と固定概念があると考えます。

長男「セイゾウ」がそのお下がりを弟たちに着せる (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)長男「セイゾウ」がそのお下がりを弟たちに着せる (宋文洲の傍目八目):NBonline(日経ビジネス オンライン)


↑の文章を読んだときまたそのことを思い返した。あのパネラーたちはまさしく「セイゾウギョウ」の世界で出世し、所属企業、団体を代表してあのような場で意見を述べる人たちだったのだ。


どこかの段階で、そうした「既得権益の中で出世した人たち」の努力、強制が滑稽に見えてしまう時期が来ると思う。おそらくソ連が崩壊した時、それまでのクレムリンで行われていた出世競争がジョークのように見えたことがあったのだろう。それがそう遠くない時期にやってくる気がする。JASRACや松本氏がいかに努力しようがその流れは止められない。