ユビキタスコンテンツシンポジウム2008にいってきた

2008-02-13 00:00



最後の講演をのぞいて聞いたのだが。。


冒頭の講演で「これからは誰もが創造する」という言葉はよかったと思う。下手だろうがなんだろうがたいていの人はなんらかの手段で自分を表現したいと思っているのだ。


問題はそのあと紹介された「事例」が「SIGGRAPH向け一発芸の集合体」にしか見えなかったこと。


これはどうしたことか、と少し考えた。


一発芸的メディアアートというかそういうたぐいのものにたいする批判は根強い。そしてそれらがここ数年なんら「進歩」していないこともその批判に根拠があることを考えさせる。


当日考えていたのはこういうことだ。


作り手が、「使うべきシナリオ」を設定していて、ユーザがそれを発見したらおしまい、的なものではユーザの創造性を刺激するとはとても言えぬのではなかろうか。


子供におもちゃを与えるさいに、「ハイパーレスキュー緊急司令基地」の類いは絶対に買わないようにしている。自分が子供の頃を思い出せば、そうしたものにあこがれる気持ちは痛いほどわかるが与えない。それは作り手の「使うべきシナリオ」が設定されたものでしかない。


代わりに与えるのは画用紙であり、クレヨンであり、紙コップ、紙皿、段ボール箱だ。子供はそれでいろいろなものを作る。つまり使い手が自分のシナリオ、それも作り手が想像しなかったようなものを作って初めてユーザの創造性を喚起するといえるのではなかろうか。


その比較をもってくれば、シンポジウムで発表されたものはまさに「ハイパーレスキュー緊急指令基地」だった。ユーザの創造性を喚起する、という点では、より単純にしてよく考えられた「ニコニコ動画」のコメント機能にはるかに及ばない。弾幕、各種職人、コメントをつけることにより全く別の内容に生まれ変わる動画、など作り手が最初からすべてシナリオを描いていたとはとても思えない。


電子デバイスを使った紙コップ、紙皿はどうしたらできるのだろう?このシンポジウムでもそうしたH/W,Scripting言語が紹介されていたけど、それが紙コップ、紙皿とはとても思えない。いや、こういうもの作ると「プロジェクトの成果」として誇れるのはよくわかりますけどね。