温故知新

2008-04-26 00:00




アレキサンダー・グラハム・ベルは初めて電話を発明したが、電報と比べて不都合とだという非難に、絶え間なく悩まされた。今日では、ほとんどどんな場合にも電話の優位性は明らかだが、当時はそうではなかったのだ。


要求仕様の探検学 D.C.ゴーズ、G.M.ワインバーグ著







この本の日本語版は1993年に発刊されている。2008年の現在、携帯電話におけるコミュニケーション手段が、音声ではなくどちらかといえば電報に近いメールに置き換わりつつあることは興味深い。


ここから学べることは何だろう?ある手段は、別の手段によって置き換えられるかもしれない。その過程においては「何も新しい物に変える理由はないよ。だって。。」と変化に抵抗する人たちが理由を並べ立てるのが常だ。


いくつかの場合において、結局新しい手段が勝利を収め、変化に抵抗していた人たちの言い草は「笑い話」として記憶されるようになる。


しかし


多分、それを「笑い話」にしてしまうのは間違っている。というかもったいない話なのだ。きっとその中には見過ごすことのできない真実が存在している。そして技術的進歩か、社会的変化かそれらの複合した条件が変化することにより、その「笑い話」が説得力を持つようになることもありえるのだろう。


となればだ


「新しいアイディア」を出す時に「今ではお笑い話になった」ロジックを掘り返してみるのも一つの方法ではなかろうか。