映画評-ダークナイト

2008-09-02 00:00


福田君については、いつか書くこともあろう。というわけで本家からの転載+改編


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バットマン ビギンスと 主演はともかく監督が同じだ、というのが信じがたい。


グロイシーンは意図的にカットされているように思う。しかし観客にちゃんと何が起こっているかは伝えられているし、そもそもこの映 画が目指 した「恐ろしさ」とはそんな次元のものではない。(シャマランはこの映画を100万遍見直して、反省するように)観ているうちに気がつく。 悪も善も人間の一部であり、どちらかだけがなくなることはあり得ない事を。そして自分がなんとなく寄りかかって日常を過ごしている「善悪の判断」が足下か ら崩れるような気がしてくるのだ。


ジョーカーという悪役をやっつければ、ゴッサムシティに平和が訪れました、という単純な話ではもちろんない。映画のなかで狂犬と 表現されるジョーカーは周囲の人間から狂気を引き出していく。私はここで「狂気」と書いたが、それはもちろん善男善女たちの一側面でもある。ジョー カーはただの触媒であり、結局人間とは恐ろしいものではないか。そんなことを考えだす。ミ ストを観たとき感じた恐怖に似ている。舞台となるゴッサムシティがこれまでのバットマンシリーズと異なり、普通の町に見える事も、 「絵空事ではない恐怖」を感じさせる一因だ。


いったんジョーカーが逮捕され平和に話が終わるやに思う。ああ、よかった。いや、それにしてもなぜこの映画がそんなに評判なのか、 と思ったあたりから ジョーカーが巻き起こす狂気は加速していく。話の終わりが見えなくなり、加速していく狂気がどこでとどまるのか、誰をどう信じればよいのか。ジョーカーがしかけた壮大な「囚人のジレンマ」の決着の仕方はいかにもアメリカ映画(軽い意味ではないよ)とも思えるが、そ こでちょっとほっとしたのも確かだ。


執事役として、前作に引き続きマイケル・ケインが好演。ちょっと皮肉を利かせた演技がすばらしい。主役は前作と同一人物とは思えな い影のある演技。「光の騎士」たるべきアーロン・エッカートがこのメンバーの中ではちょっと薄く感じられる。この役柄がもっと迫力を持っていれば、、と思 わ ないでもない。今は亡きヒース・レジャーの演技はジャック・ニコルソンが演じたものとは次元の違うジョーカーを作り出した。薄っぺらで純粋な狂気。そんな 言葉を並べたくなる。ジョーカーは金を儲けたいわけでもバットマンを目の敵にしている訳でもない。犯罪そのものが彼の目的なのだ。こんな見事な演技をして しまうと、、やはり寿命が縮んだか。


後から考えれば、でてくるだけでてきて機能していなかった役ももいくつかある。(香港のマフィアとかね)エンディングも台詞で説明 はいかがなものか、と理屈では考えられるのだが、ジョーカーがかもしだす狂気の前にはそんなことは些細なことのように思える。


とかなんとかいいながら、最後に映し出される英語の題名を観るまで


Dark Night(暗い夜)


という題名だと思っていたのは内緒だ。いや、だって夜のシーン多いし、演説の中でも「夜明け前が一番暗い」とかそんな台詞あった し。