Q:を設置したり使ったりしながら考えたこと-音以外編

2008-11-11 00:00


というわけで、いまや元通りの段ボールの中におさまったQ:であるが設置したり使ったりしている間にいろいろなことを考えた。


同じような感想を述べられている方もいるようだが、とにかくオーディオだ映像だというのは様々な接続方法があり、様々なモードがあり、話がややこしい。名前は知らないが、赤白黄色のケーブルだけかと思えば、D端子なる不思議なものがあり、HDMIとか称する平べったいものがあり、光ケーブルがある。Dolbyがあり、なんとかがあり、かんとかがある。


さて


私は素人なので、こんな風にならないかと思うのだ。



各機器は無線でつなぐ。無線が無理というのなら、単一のケーブル一本だけで接続する。デイジーチェーン形式で柔軟に設置できるようにする。とにかくお互いつながってさえいればいい。そしてメディアのネットを形成する。


音、映像、それぞれのソース。それを増幅するもの。それぞれを出力するものがネットに存在していれば、それをiPhoneのような画面上で自由に接続したり調整したり、設定を変更できるようにする。設定を何も行わなくても、映像、音声のソース、それにそれぞれの出力機器がひと組でもネット上に存在していれば、そこから音、映像を流す。



なぜこういうものができないかといえば、素人なりにいろいろ考え付くがもっとも大きいのは



「そんなことしても、コストの割にもうからない」



ではなかろうか。


しかしなあ


それこそモーターショーに展示される「コンセプトモデル」でもいいのだが、こうした夢のある「あるべき姿」を形にすることは、意味のあることだと思うのだ。


前にも書いたがCEATECで村田製作所があれだけの観客を集めていたのは、要素技術が素晴らしいからではなく、それらが「面白い姿」に具現化されていたからに他ならない。そして私の意見では世間では確かにそうした「わくわくする。なったらいいなという姿」に飢えているのだ。業界には大人の事情やら、常識がたくさんあるのは知っているよ。でもそんなのは消費者にとってはどうでもいいことだ。



後ろに埃がたまりません。お掃除らくらく、と言える製品を作り上げたら奥様方から絶対的な支持を得ると思うのだがいかがなものだろうか。それより大画面、高画質化のほうが重要ですかね。たとえばMac G4 Cubeのように底面を少し浮かせてそこからケーブルを出すようにするだけでも埃の問題は相当解消されるのではなかろうか。配線のしづらさは背面だろうが底面だろうが変わりないんだからさ。


機械が苦手な人でも、とにかくケーブルと電源さえつなげば大丈夫。どこで聞くかとか何を見るかとか自由自在、ってあんまり夢のある話じゃないかな?


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また段ボール箱を開け、中のケーブルを取り出している間にもあれこれ考える。こうやってカッターでテープを切り、ケーブルをくるんでいるビニールをはがし、、というのはいつもいつもやっていること。


しかしこの包装もなんとかならぬものだろうか。とにかくカッターを用いずにすべての開梱を行いたいのだ。子供が近くでうろちょろするからカッター危険だしね。たとえばAppleの製品はそこらへんを年々改善しているように思える。しかしケーブルをまとめているネジリッコ(なんとよぶか知らないが)だけはなんともならない。


こうした地道かつ低コストで実現しなければならないものに革新が訪れることは、、私が生きている間には無理かなあ。。


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などとブログを書いている間だけは思考があちこちを飛び回る。さて仕事に戻るか。。