デザインをエンジニアリングしよう

2009-03-24 07:18

というわけで昨日見つけたこの記事

そう、Googleでは2種類の青色のいずれかで決めかねたら41の中間色をテストして最もパフォーマンスのよいものを選ぶというのは事実なのだ。先日、境界線の幅を3ピクセル、4ピクセル、5ピクセルのいずれにするかが問題になったとき、自分の意見を証明するよう求められた。このような環境で仕事をすることはできない。そうした些細なデザインの決定を論じるのにはもううんざりだ。

http://japan.cnet.com/news/biz/story/0,2000056020,20390324,00.htm

Googleはすべてをデータに従って決めることを公言している。それはあるいは”愚かな高位者による決定”を避ける意味からも有効なことかもしれない。

また一部の問題にはそうした解決方法が有効なこともあるだろう。デザインがしっかり決まっていてあとは細部をつめるだけ、という場合にはそうしたアプローチが意味をもつかもしれない(有効とはかならずしも言えないが)

しかしこうしたアプローチに”げっとなる”気持ちは多くの人が共感するところだろう。しかしその”げっとなる”理由を説明するのは容易なことではない。

私は Google のデザイン決定はひとつの極論へいっているような気がします。データは尊重すべきですが、データが答えではありません。例えば数字だけでは、利用者のそのときの気分や、使っている状況、環境など見出せません。そしてそうした見えない『変数』がサイトの使い方に大きな影響を及ぼします。また ABテストをはじめとしたデータ収集も有益ではあるものの、ひとつの囲いの中での調整にすぎず、利用者に気付きを与えることが出来るようなソリューションにならないこともあります。ソリューションによっては今までとは全く違うアプローチが必要なときもあります。

http://www.yasuhisa.com/could/article/emotionaldesign-datadrivendesign/

私流に↑と同様の論旨を述べれば以下のようになる。

すなわち目的とする関数が変数に関して偏微分可能であり、その解析によって最適値を求められると判明している場合、こうした数学的、微分的なアプローチは有効であると考えられる。

ここで偏微分可能というのは、一つの変数だけを変化させた場合、関数の値がどのように変化するか有意に評価できることを指す。

しかしこの”目的関数の偏微分可能性”を必要以上に拡大して使うのは時として大間違いを引き起こす。そもそも解に大きな影響を与える変数が式に取り入れられていないかもしれない。関数は偏微分不可能なものかもしれない。探っている場所とは全く異なる場所に最適解が存在するかもしれない。(つまり局所最適に陥っているかもしれない)

やっかいなことにデザインの”美しさ””使いやすさ”の問題は一部の場合を除いてそのようにうまく定式化することはできず、かつ評価関数は偏微分可能ではない。Googleはそうした領域にまで微分解析を適用しているのではないか。

いや、こういう

”目的関数の偏微分可能性”を滑稽なまでに拡大適用する、というのはヒューマンインタフェースの研究における評価ではよく行われていることなのだけどね。

英語で書かれたヒューマンインタフェースの雑誌にこんな漫画がのっていたのを思い出す。年をとった教授が発表を行っている。

”数か月にわたる慎重かつ精密な評価の結果、案Aのほうが案Bより優れているという結論が得られた”

質疑応答の時間になり、学生がこう尋ねる。

”もし、、その、、なんていえばいいかな、、両案ともカスだとしたら?”