映画評:ワルキューレ

2009-03-25 06:56

というわけでネタのない日は本家から改変しつつ転載。

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会社勤めをしているとよくあることだが、どうしようもなく無能な上司が無茶苦茶な命令を下す。さて、どうしよう。逆らえば”反抗的な社員”として粛清される。同意すれば自分を含め数人の仲間が無駄な事をさせられたあげくより酷い状況に直面することになる。

その度に”まあこれで人が死んだり、決定的に不幸になるわけじゃないんだから”と自分に言い聞かせる。しかし第二次大戦中のドイツにあってはこの矛盾はそう片付けられるものではなかった。かくしてヒトラー暗殺が計画されるのであった。

秘密裏に仲間を集め、計画を練り、爆弾をしかける。暗殺後どのようにベルリンを掌握するのか。誰もが結末を知っているとはいえ、映画として見せる要素は満載。さて問題です。これだけ興味深い題材を扱いながらなぜこうも退屈な映画ができあがるのでしょう。観ている間中その事を考え続ける。

暗殺計画に加担した人たちの志は良しとしよう。しかしそこにはどうしようもない杜撰さもあったはず。そこを丁寧に描いたほうがよかったのか。トム・クルーズは主人公の遺族から酷評されたとおり、固い顔で”かっこいい役”を演じ続ける。その単調さがまずかったか。

あるいは

”これは生きて使命を完遂しろという神の声だ”(うろ覚え)

というヒトラーの恐ろしい言明を強調すれば、世の中で”奇跡がある故神は存在する”などと言っている人間に冷や水を浴びせることになったかもしれぬ。

などといろいろ考えるがあくびは止まらない。クライマックスで隣にいた人の携帯がのんきな演歌を奏でる。みなちょっと眉をひそめただけで、”映画が台無しだ。金返せ”とは思わない。もうとっくの昔に払った金と時間は台無しになっていたのだ。

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というわけで本棚に存在してた”ヒトラー暗殺計画”(中公新書)を読み返しています。いや、実はこれ買っただけで読んでなかったかも知れん。中身全然憶えてないもん。

確か東条英機も暗殺計画があったとは思う。しかし彼が”平和裏”に失脚した後も情勢はそれほど変わらないかった。

伊藤正徳が端的に述べていたことだが、昭和20年前の日本には”率いる人”がいなかった。軍部が台頭というがその軍部というのは誰のことなのか。調べてみれば、強硬派が宗旨替えをしても、また別の強硬派が現れる。結局頭がどこにあるのかよくわからない。こういう時は頭がないと想定するのが正しい。

あるいは戦場のメリークリスマスにあった

”一人では何もできず、集団で発狂した”

というのも状況をよく表す言葉かも知れぬ。