映画評:フロスト×ニクソン

2009-04-17 07:06

アトラッシュ。僕はもう疲れたよ。。本家から転載するけどいいよね。。

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観ている最中に考える。この面白さはFootball(日本でいうところのアメリカンフットボール)のそれだと。

プロのFootballリーグNFLは観客にとっての面白さを追求しつつ発展してきた組織である。その神髄は私が考えるに

”ルールをきちんと設定した上での容赦のない戦い”

に ある。ルールは公明正大。”大人の事情”が入る余地を徹底して排除した上で、勝者と敗者に強烈な陰影をつける。勝つ事だけがすべて。The winner takes all. それこそが観客にとって尤もExciting、というのがエンターテイメント大国アメリカが出した結論。こ の映画で取り上げられるインタビューはまさにFootballだ。

インタビューアはトークショーのホストがお似合いの男。 しかし彼は彼なりの理由から、Nixonにインタビューすることを試みる。実現のために私財をなげうち、友達から金を借りすべてを賭ける。インタビューを” 売れる映像”にできれば勝ち。負ければ無一文で無職。

一方のニクソン。辞任はしたが自分の力量への自負は十分。カムバックの機会を狙っている。しかし懐具合は厳しい。そこに軽そうな男からのインタビューの依頼。金額も悪くない。かくしてインタビューは成立するのだが、勝負はこれから。勝者は一人だけ。

契約で取り上げるトピックが決まり、双 方準備の上で、カメラを前にした戦いが始まる。序盤はニクソンが圧倒的に有利。彼は何度も打ちのめされながら米国の大統領に2度当選した。 しかもベトナム、ウォーターゲートで容赦ない追求を受けながら決して自分の非を認めなかった男なのだ。フロストの参謀役が

”あいつは犯罪者だ。誰があんな男と握手をするか”

という。しかし本人に手を差し出されると思わず握手してしまう。それだけの力がニクソンにはあるのだ。容赦ない質問を浴びせたつもりでも、余裕をもってかわされそして逆襲される。はたして転換点はあるのか。

ここで映画では架空の会話を持ち出す。それはフィクションとしていい演出だと思う。しかしここから最後のクライマックスへの流れが今ひとつわかり難かった。ニクソンは何故”告白”をしようとしたのか。新たな証拠をつきつけられて、ということなのか。

主 演のフロストはとらえどころのないキャラクター。軽いだけの男にみせ、合衆国大統領相手に打ちのめされながらも引きはしない。ニクソン役も容貌は異なるの だが、したたかな策士とはこうしたものか、と何度も思わせてくれる。誰もが結果を知っているストーリーではあるが、”面白い試合を見た”とご機嫌にスタジ アムを後にするような気持ちになった。

最後に一つ私信を書いておく。

ある日とてもチャーミングな大学生に会った。将来はジャーナリストになりたい、と言う。なるほどそれはいいことだ。日本にはまともなジャーナリストが必要だ(ジャーナリスト宣言を出している某新聞社のような輩ではなく)

彼女は続ける。目標は安藤優子だと。

それを聞いてがくっとする。彼女がジャーナリストだって?あなたの望みって結局日本のTVにでることなの?そりゃ彼女は”日本のジャーナリストとして唯一”湾岸戦争を現地取材したかもしれないよ。でもジャーナリストは”世界”中からたくさん来て取材してたんだよ。

この映画を見てご覧。合衆国大統領に”インタビュー”というリングで一対一の勝負を挑む。ジャーナリストを目指すのであれば、目標は他にいくらでもあるのではないか?

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私が知る限り、NFLではかつて有名選手だった、というだけの理由でヘッドコーチに就任することなどありえない。

だから星野や長嶋が日本代表の監督になるような某競技にはどうしてもなじめない。

ただ勝つこと。それだけがすべてだから実にわかりやすい。

このインタビューの裏話が映画のパンフレットに記載されているのだそうだ。しかし私はそれをそのまま信じようとは思わない。映画のサイトに書いてあるが

”当事者それぞれによって言うことが異なる”

というのが本当のことだろう。真実はどこにもない。であればこそ現実に敬意を払った上でこうした映画を作ることができるのだ。

ところで日本にジャーナリストっているんでしょうか。いや、もちろんたくさんいると思うのだけど、鳥越とか筑紫とか田原とか私でも名前を知っているのがみな”いかがなものか”という方々ばかりなのはどうしてだろう。

あるいはそういう方でないと有名になれないのかな。

話は少しずれる。

最近ときどき拝見する阿比留瑠比という記者がいる。

この名前には聞き覚えがある。というか中学のとき同じ学年に阿比留という男がいた。

同じクラスになったことはないからよくは覚えていない。しかし先生が”阿比留”と呼んでいたことだけは明確に覚えている。

彼はあの阿比留なのだろうか。あるいは同じ名前の赤の他人なのだろうか。