映画評:グラン トリノ-Gran Torino

2009-05-15 07:18

スラムドッグ$をこちらに転載するのを忘れた気がするけど気にしない。読みたい方は本家をどうぞ。というわけで疲れた金曜日は本家から転載。

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グラントリノとは、フォードが70年代に作った車。今や経営危機にあるフォードだが、かつてはビッグスリーと呼ばれ(今でも呼ばれてはいるが)この世の春を謳歌し、アメリカの男があこがれる車を生産していたのだ。
主 人公たるクリント・イーストウッドはフォードで車を50年作り今は引退。かつては自動車会社の社員が住んでいた輝かしいエリアもすっかり荒れ果て、住んで いるのはアジア人やら黒人やらヒスパニックやら。アジア人の若者が白昼道路を歩いているとヒスパニックのギャングに絡まれる。それを助けに同族のギャングが近寄ってくる。 ヒスパニックが拳銃を出すと、アジア系のギャングはサブマシンガンを出す。これが今のDetroit(治安の悪いエリア)の現実だ。

イーストウッドは朝鮮戦争での体験に苦しみ続けている。それゆえ家族とも良好な関係を築くことができない。彼の息子たち及び家族はミリオンダラー・ベイビーにでてくるようなゴミではない。普通の家族なのだが、イーストウッドはGRRRRと唸り声をあげるにはいられない。

彼 の隣にはいつしかアジア人-モン族が住み始める。そこにギャングがちょっかいを出してくる。イーストウッドは愛用のM-1ガーランドを取り出しギャングを追い払う。 それは隣の家族を助けようとしたためではなく、あくまでも自分の家の芝生から出て行け、と言いたかったがため。しかしその行動故彼は近隣モン族からヒー ロー扱いされるようになる。

隣の家に住んでいるは父親のいない家族。子供は二人。姉は美人でもセクシーでもないがとてつもなくチャーミングだ。差別用語全開で悪態を つくイーストウッドにずけずけと近寄っていき、自分の家でのパーティーに招待する。弟は頭が切れるが道を見失っており、学校にもいかずギャング 団に入りそうになる。そこに父親の姿としてイーストウッドが登場する。気のしれた仲間同士で悪態をつきあい、汗をかいて働き、そして愛用の車を磨きビール を飲む。それは失われつつある、とだれもが思うような古き良き男の姿だ。

イーストウッドはさすがに老けた。この映画では一種エイリアンのような顔を見せる。落ちくぼんだくぼみの下に、黒い眼が光っている。しかしその表情が一瞬だけ緩む場面がある。地下室から冷蔵庫をひっぱりあげようとするが自分一人ではできず、隣に助けを求めに行く場面だ。

そ のようなイベントを通じモン族とイーストウッドの交流が始まる。それは、"今どきの成功するアメリカ人"からはみ出してはいるが、それぞれに自分たちのアイデ ンティティを大切に保っている者同士の語らいとも見える。しかしギャングはしつこくちょっかいを出し続ける。隣の姉弟がチャーミングに見えていただけ に彼女と彼を襲う運命には痛みを感じる。

そこでイーストウッドがとった行動は。マカロニウェスタンで、ダーティーハリーとして拳銃を撃ちまくっていた男がとった行動とは。この映画でイーストウッドは何度か拳銃、ライフルをかまえる。しかし一発も撃たないのだ。

エンドクレジットが流れたとき、自分が泣いていることにびっくりした。映画館をでて歩きながら"イーストウッドかっこいいな"と思う。映画のいくつかのシーンが頭をよぎり、そしてまた涙ぐみそうになる。

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この映画は低予算で作られたと思うが、見ると"ずどーん"とくる。そしてその"ずどーん"が何なのか自分でもうまく説明できない。

有る人が"われわれは、イーストウッドをリアルタイムで見ることができた世代として、のちの世代からうらやましがられるだろう"といった。確かにそうかもしれない。

そういえば最近スピルバーグがいま一つのような。。