代々受け継がれるもの

2009-06-05 07:29

某所で見つけた"スイスの独立時計師"たちに関するドキュメンタリーを見ている。

かつて隆盛を極めたスイスの時計産業は、クオーツ時計の普及にともない壊滅的な打撃を受ける。しかし機械式時計へのこだわりを追求した高付加価値の時計を作ることにより再び産業として発展しだす。

また企業に属さず個人で高価な時計を作る独立時計師なる人たちもいる。

流れては消えるビットに触れることが多い今日この頃だが、番組中の一つの言葉が記憶に残る。
祖父からうけついた時計を修理にきた男性の言葉だ。

"祖父はいつも起きるとリュウズを巻いていた。その姿を覚えている。私も同じようにこの時計を大事につかっていきたい"

ふとiPhoneをみる。シンプルであきが来ない。しかしその寿命はどれほどだろうか?中の機構は5年ももたないだろうし、製品としての寿命は3年ほどだろう。それが終われば、価値がなくなる。自分から子へ、そして孫へ受け継がれることなど考えられない。

そしておそらくは車もそうではないかと思うのだ。単純な機構の車は部品を取り換えたり、必要であれば自作して長い間乗り続けることができる。しかしおそらく昨今の電子制御などを取り入れた車でそうしたことは不可能なのではないか。自動車部品がなくなればそれまで。

そこで考えるのだ。今、親から子へ、そして孫へ受け付いていける"物"はなんだろう、と。ふと"サイトはどうだ"と考える。もちろん、サイトだのプロバイダーだのの仕組みが変わればそれでおしまいだが、現に本家は2代にわたって書き散らした文章を納める場所になっている。そろそろ3代目の作品もアップロードしようかと考え始めている。

なるほど、それは一つの結論だ。しかし形あるものではどうだろう?電子部品が入り込むと寿命が短くなるのではなかろうか。スイスで機械式時計を使う人は、"機能""性能"とは違うところに価値を見出し、多額の金を払うように見える。こうした商売のやり方は確かに存在するのだが、それがITと結びつくことはあるのだろうか。あるいは所詮相容れないものなのだろうか。