左脳と右脳のシーソー

2009-06-26 07:11

ある人に教えてもらい、以下に示すビデオを見た。

ジル・ボルト・テイラーは 脳科学者が願ってもみない研究の機会を得ました 広範囲に及ぶ脳卒中の発作により 自分の脳の機能‐運動 言語 認識‐が ひとつひとつ活動停止していくのを観察しました 驚くべき物語です 

via: ジル・ボルト・テイラーのパワフルな洞察の発作 | Video on TED.com

彼女が語っており、かつ主張していることの正当性を判断するだけの知識を私は持たない。しかし見て考えたことを書いておく。

なんでも右脳は外界をイメージとしてとらえ、現在だけに集中しているのだそうな。それに対して左脳はロジックを扱い、過去と未来を考える。

彼女は脳卒中により左脳の機能を失う。その時彼女は自分と外界との区別を失い、かかえていたストレスから解放され(現在しか存在しないからだ)非常な幸福感を得る。

しかし左脳の機能が一時的に戻ると自分が問題を抱えていることを知る。電話をかけなくては。しかし電話番号が思い出せない。ビジネスカードをみても、どれが自分のものかわからない。自分のものを見つけても、数字を読み取ることができない。その間にも非常な幸福感が何度か訪れる。

自省録のなかで皇帝はなんども自分に言い聞かせている。思考を現在だけに限れ。想像力を遠ざけろ、と。あるいはもし過去、未来について思いをはせるのであれば、誰もが死に、そして誰もその名前を思い出さなくなるところまで考えろと。

この皇帝の自問自答は左脳と右脳の戦いのようにも思える。話を聞いていると、人間右脳の機能が早く発達し、左脳は後から発達するのではないかと思えてくる。子供は基本的に現在だけに生きている。だから(これは私が言われてもっともいやだった言葉の一つだが)

"さっき泣いたカラスがもう笑った"

になるわけだ。そして大人にはできない"輝くような笑顔"を見せる。それもこれも思考を現在だけに限ることができるからだろう。

じゃあ幸せな右脳の世界に住んでいればよいかというとそうではない。それでは生きていくことができないのだ。ジル・ボルト・テイラーが生存し、その物語を我々に伝えることができるのは、ひとえに時々左脳が機能を回復し、電話をかけさせたからに他ならない。

なぜこうなったかは知らないが(きっと研究している人もいるのでしょう。タダで読める文章があれば誰か教えてください)人間は頭の中に二つのことなる人格を抱えながら生きている。両方の脳はつねにぎっこんばったんシーソーをしているのかもしれない。

おそらく私は左脳が強すぎる。しかし右脳にはちゃんと言いたいことがあり、"理屈からいえばまったく正しいが、どうにも気が進まない"という状況が作り出されているように思う。



しかし

こんなことができるかどうかわからないが、過去にあったいやなこと、未来に待っていると思う困難で頭がいっぱいになり、外界の風景がただ流れているだけになったときは、自分で

"右脳がんばれ"

というのも一つの方法かもしれない。いや、以前書いた文章だが

私は明日の朝絞首刑になる



と自分に言い聞かせるのは効きます。本当に左脳が抑制され、右脳が活発化しているかどうかしらないが、あたかもそうなったかのような感覚が得られます。明日絞首刑になるなら、くだらないいさかいごとなどどうでもよくなる。それより、今自分が大切に思っているものについて考えたい。ふと外を見れば見慣れたはずの光景が輝くように見える。もうあそこに行くことはない、と思うとストリップ小屋の看板ですらいとおしく見える。