個人のアイディアVSみんなのアイディア

2009-06-04 06:58

この両者の優劣についてはいろいろ議論が絶えない。たとえばこんな記事がある。

    • IDEOのビデオ。数人が1週間で生み出すデザインより、一人が数年かけて生み出すデザインの方がいいと考えている
  • 私(棚橋)はIDEOの手法を支持している。(ここで会場、凍り付くw)
  • via: 第3回情報デザインフォーラムを振り返って - 謀

    どこかで聞いた話だが、委員会がどんな豪華なメンバーを揃え、何年間の月日を費やしたとしても、見事な美術作品を作り上げることはできない。芸術家というのは基本的に個人、または少人数が主導して作品を作り上げる。

    ジブリにしても結局いつまでも宮崎駿の名前がでてくる。才能あるクリエイターを採用しないのか、あるいはその芽がでない仕組みになっているのか、はてまたそもそも宮崎駿の作品は、彼でなければできないのか。

    私がCognition & Creativityというカンファレンスでデモをしたときある人がこう言ってくれた。

    "このConferenceではみんながCollaborationということを言っている。でも本当にすぐれたアイディアというのは個人からでてくることもあるのよ"

    この個人という言葉を誤解してはいけない。完全に隔絶された環境にいればいい作品が生まれるわけではないのだ。ある人が言った。問題は現場で起こっているが、回答は現場以外のところにある、と。その人は確かに現場以外にもどんどんでかけていき、そこから問題の解答を探し出す人だった。

    私は増井氏の意見に賛成である。もちろんそれを他人に納得してもらえるだけのデータがそろっているわけではないが、個人の創作というものを信じている。ではなぜそうでなければならないか。

    一つには個人が自分の意欲だけにかられて創作するとき、そこにはいいわけが入る余地がない、ということがあげられる。自分に言い訳してどうする。しかしグループワークであれば

    "これだけやればいいだろう"

    と本質を全く外したところで説明が成り立ってしまう。そし成果物はわけのわからないものになる。

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    なぜこんなことを書きだしたかといえば、先日の音楽会議4でそのことを何度か考えたからだ。

    まず最初に個人のアイディアを書く。次にそれをもちよりグループのアイディアを出す。最終的に誰かが賞品に該当するアイディアを選び出す。

    私は自分が出したアイディアに愛着を持っているから、それを足したり割ったりすることに興味はない。だからグループのアイディアは、自分のアイディアとは全く別個に考える。

    さらに自分の知らない誰かがそれをどう評価するか、ということにもあまり重きを置いていない。

    などと考えていくと、やはり増井氏のように

    "とっとと作ってさっさと公開する"

    ということになるのだろうな。昨今はそれができる時代だし。