映画評:愛を読む人

2009-07-17 07:07

アトラッシュ。僕はもう疲れたよ。。本家から転載でございます。

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1958年のドイツ、ベルリン。15歳の少年はふとしたきっかけから30代の女性と知り合いになる。"やりたい盛りの15歳"であるからして、女性の部屋にいりびたりになるわけだ。しかし

"○○する前に、本を読んで"

といわれちゃんと従う辺りが偉いぞ。しかし女性はある日こつ然と姿を消す。

ここまでで映画はほぼ半分。ああ、甘ったるい年上女性と少年の話であったかと思えばそうではない。何故1958年か、何故ベルリンかがいきなり観客に突きつけられる。彼女は元SSの看守。そして生き残ったユダヤ人が執筆した本がきっかっけで裁判にかけられる。

彼 女には二つ秘密があった。一つ目の秘密-自分の過去に彼女は決然と立ち向かう。臆する事なく、堂々と意見をのべる。しかし二つ目の秘密には戸惑い、弱みを 見せる。この演技がすばらしい。自信と誇りに満ちた姿との対比が見事。ケイト・ウィンスレットのアカデミー賞受賞も納得である。(60代の彼女は ちょっと奇麗すぎると思うが)

ここまでは文句なく1080円以上の映画であった。しかしそこから映画の芯がよくわからなくなる。それはあたかも

"文庫本のせるつもりで作った本棚に百科事典のせたら落ちちゃいました"

と いった感じ。ユダヤ人の声に配慮すれば、ウィンスレットが出所後小さな幸せを得ることはあり得ないのだろう。あるいは、生き残ったユダヤ人の娘が、今や New Yorkでものすごく豪勢な暮らしをしていることに何が暗示があったのか。この女性と元少年の会話にはいらいらさせられる。そして最後のシーンもど こか浮いているようだ。

裁判を傍聴する学生のゼミで、ある男が意見を述べる。しかしその立ち位置が理解できない。"見て見ぬ振りをした当時のドイツ人全員責任がある"といいたいのか"看守の女は死刑だ"といいたいのかわからないのだ。

同じようにこの映画自体の芯も見えない。個別の愛を描きたかったのか、少年の人生を描きたかったのか、そもそも人間の生というものは、と言いたかったのか、そのどちらにもついていないように思うのだ。

い や、そのどちらにもつかないのが人生というものであり、、とは思うのだが見終わった後"うーむ"という言葉が口からでる。とはいえ原題のThe Readerはこの映画にふさわしい。邦題に惹かれ見に行き、アウシュビッツの光景を見せられ"何だこれ"となった女性は多いのだろうな。

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というわけで払った金のもとは十分とったと思える映画ではあった。

途中いきなり主人公がかよっている学校が共学になる(のか?)そこで輝くような若さと美しさをもつ同級生の女性が登場する。ううむ。30後半の女性とくらべるとこっちのほうが、、となるかと思えばそうはならないところがよろしい。とはいえ、15歳の少年に深い愛を求めるのは無理というものであろう。

少年はこの映画にでるまで英語がしゃべれなかったらしい。映画の中では見事なドイツなまりの英語をしゃべるのだが、ケイト・ウィンスレットも見事にドイツなまり(そう聞こえるが)でしゃべる。インディ・ジョーンズのケイト・ブランシェット(ロシアなまりの英語)といい、プロの役者とはすごいものだ。

さて、今週末は"ノウイング""ハリーポッター"と見たい映画が2本あるが、はたして1本見ることができるかどうか。。