ぬり絵を作ることと色を塗ること

2009-07-21 07:02

正しいかどうかわからないが、タイトルのような枠組みで物事を考えることがある。

ぬり絵を作る、とはどのような絵をかくか考え、輪郭線までを描くことだ。色を塗ることとは、指定された色と、輪郭線に忠実に丁寧に色を塗ることだ。

ソフトウェア工学というか、工学というのは後者だけに有効な手法ではないかと思える。そこでは効率という言葉が意味をもつし、マニュアル化、カイゼンなどとにかく日本企業が好きな言葉が十分活躍できる。



問題は



色をいくら丁寧に塗ったところで、ダメな絵はどうにもならないことだ。

世界のトヨタ様がやっているG-bookというサービスについて誰か知っているだろうか?ネット接続の世界を車にも、という崇高なコンセプトのもとリリースされた製品はひどいものだった。

G-Book標準搭載の車をレンタルし、若者二人に"G-Bookを使って一泊旅行に行ってこい"と出張に行かせた。

翌日二人が疲れ切った顔で帰ってきたので"どうだった?"と聞くと"G-Book さえなければ楽しい旅行でした"と答えた。

昨日聞いたことだが、トヨタさまはその開発において

"車品質の保証をしたいので、通常より細かい試験をしてください"

と命令し、ちゃんと余分な金も払ったという。

そうやって"ソフトウェア品質"を向上させたところで、サービス自体がゴミなら何の役にもたたない。つまり元の"絵"が間違っているのに、きれいに色を塗っても何にもならないということだ。

また先週こんな記事を見つけた。

この記事のなかで、例えば、GoogleEarch や Wikipedia といったソフトウェアが、果たして計測と制御という管理で作られただろうか、と問うている。そして、2つの種類のプロジェクトを例にし、

「計測と制御」は、Project A の世界では有効だが、Project B の世界ではほとんど意味をなさない、と指摘している。これは、

ソフトウェア開発という活動には「計測と制御」よりもっと大切なことが多く含まれており、その中では、「工学」の概念は「ポイントを外している」

via: 「測定できないものは制御できない」は誤りだった。-- by Tom Demarco:An Agile Way:ITmedia オルタナティブ・ブログ

ソフトウェア開発には"創造"という側面が常に存在している。そして私が知る限り工学という枠組みは創造の価値を測定することに適してはいない。

これまた別の例だが、甘粕大尉という人が満州に渡り、映画制作会社の"効率化"をはかった。そして映画会社は従来に比べ格段に効率的に映画を製作できるようになった。

しかし"満州もようやくここまで来ました"と日本からきた映画関係者を招いて行った試写会を行ったところ、映画終了時におきていた映画関係者はいなかった。

これも映画制作、という創造性と、工業的効率の両方がいりまじった活動に対し、工学的な改善だけをほどこした結果といえるだろう。

色を塗ることは、あるいは制度を整えれば効率的かつ品質良くおこなえることかもしれない。しかし絵をかく人を見つけるのは至難の業だ。