"なぜ"という言葉の効用と弊害

2009-09-24 06:48

某企業集団は"なぜ"を何回も繰り返す、ということを半ば信仰していると聞いた。
それによって"質の高い仕事"ができる、ということらしい。

それとは反対の意見を先日目にした。

こういう言葉が出てくる時は良いことをしたときよりも、悪いことをしたときや上手くいかなかったときのほうが多いでしょう。先生や親からの「なぜ」に反省の促しや責任を迫る意図を感じ取ってきた私たちは、「なぜ」という言葉を聞くと無意識に防御態勢に入ってしまうのです。

 そのため、「なぜ」と問いかけられると、相手は「申し訳ございません。私の不注意で」「がんばってみたのですが」と反省モードに入ったり、「他に優先することがあって」「不況のせいでどこも話さえも聞いてくれなくて」と言い訳モードに入ってしまいます。

via: 「なぜ」は、やる気と成長を止める質問 (All About) | エキサイトニュース

もちろん観点が違う、ということなのだろうとは思う。しかし最初に挙げた企業集団の人が"なぜを繰り返せ"と言いだした時、たいていの場合は批判であり、相手を拒絶する態度であったことも確かだ。(ものすごく狭い範囲の経験でものを言うが)

理由付けがしっかりしていればちゃんとしたものができる、という信仰も一部大企業にはびこっているが、私はそうした態度に懐疑的なことが多い。Microsoftには"戦略税"なるものがあると聞いた。あるプロジェクトを立ち上げるとき、何度も何度もその戦略について説明をしなくてはならないのだそうな。

ではMicrosoftは戦略にのっとったすばらしい製品を発表し続けているかといえば、そういうわけでもない。Zuneだってきっとたくさん戦略税を払ってきたと思うのだよ。商品が売れる、売れないのは運の部分が多いとしても、Zuneがはらった戦略税をぜひ一度拝見したい、と思うのは私だけだろうか。