サリエリの音楽について

2009-10-26 07:20

金曜日にWI2研究会というところで発表をしてきた。

人前で自分の考えを披露し、そのフィードバックを得る、ということが私にとってどれだけ貴重であり重要なことかは自分でも忘れかけていた。ほぼ1年半ぶりの貴重な機会である。話はこのようにスタートした。

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1984年ですから今から25年前になります。アマデウスという映画が公開されました。モーツァルトと彼に複雑な感情を抱くサリエリという音楽家を中心とした映画で、大変な成功を収めました。その年のアカデミー賞を8部門受賞しています。

そのあとこのような現象が起こったと聞いています。すなわちそれまでクラシック音楽に興味を持たなかった若い人がコンサートに行くようになった、と。この映画の音楽監督をしたネヴィル・マリナーはこのように述べています。

"(クラシックに興味をもたなかった)若い人にモーツァルトの音楽を紹介できた。コンサートが100年かかって成し遂げたことを、我々はこの映画で達成したのだ"

このことは何を意味しているのでしょうか?音楽というのは単なる空気の振動ではない。それが用いられた場所、演奏した人間、作曲した人間、そうした社会的な背景と密接に結びついているものです。

それであれば-ここで少し論理が飛躍しますが-音楽を流しているときに、そうした関連する情報を同時に提示することで音楽をより楽しむことができるのではないかと考えました。

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ここからGoromi-Musicのデモをスタートさせる。しかし今日書きたいのはそのことではない。

週末にGoromi-Musicを使っていて、サリエリの音楽がアップロードされていることを知った。

この音楽を聞いて私は考え続ける。この凡庸さ。というかモーツァルトの音楽ではきらめきを放っていた音が、サリエリの音楽では、、ただ並んでいる。

この差異をどのように言葉にすればいいのか私はまだ考えている最中だ。それは無理なことかもしれないが。。

映画アマデウスでは、この二人の差異を以下のシーンで強烈に表現している。

精魂込めて作った曲が、モーツァルトが即興で奏でるメロディに木端微塵に粉砕されていく。馬鹿笑いをしている若造に。いや、すばらしい。

個人的な感想だが、アマデウスを見る前と後ではクラシック音楽というものの聴き方が大きく変わったように思う。その映画を見ることは衝撃的であり、そして貧相な私の生活を少しだけ豊かにしてくれたと思う。