これからは"使っている人の姿をデザインする時代"だ

2009-11-13 06:55

すいません。タイトルは釣りです。でもこれは前から言っていること(誰も読んでません)

私は日本の解体電話を使っている人の姿が大嫌いだ。親指をせわしなくうごかし、周りがどうあろうと小さな画面を覗き込む。みっともないことおびただしい。

反応の悪いリモコンをTVに向かって振り回す姿も醜悪だ。


たぶん前にも書いたと思うが、私が理想とするのは、宇宙戦艦ヤマトでデスラー総統が

"ガミラスに下品な男は不要だ"

といって男を床下に落とした時のインタフェースだ。リビングルームで使うものはあれでなければならない。余裕を持ち、優雅な手つきで着実に実行する。

などと私が言ってもだれも聞かないのだが今朝こんな記事を見つけた。

 同じ感性であっても、別の見方もできるでしょう。それは「機器を操作する自分像の見栄え」の視点です。従来のカメラを構えている自画像を思い浮かべてみましょう。脇を閉じた両手でカメラを顔の前に持ってきて、背を丸めて小さなファインダーを覗き込む姿勢は、なんだかみみっちい感じでイケてませんね。

 それに比べて、望遠レンズが突き出した一眼レフを構える姿の何と雄々しいこと!

via: ブロガーに愛される、新分野を創造したムービーカメラ:日経ビジネスオンライン

まったく同感である。ちなみにここの少し前の部分にも共感した。

これは「どうせ使うなら疲れないデザイン」を狙うエルゴノミクスとは次元の違う「使いたくなるデザイン」の世界です。「疲れにくい」はゼロサムですが、「いじりたくなる」はプラスサムの感性的な価値を提供します。

via: ブロガーに愛される、新分野を創造したムービーカメラ:日経ビジネスオンライン

あたしゃゼロサムの話は聞きあきてるんですよ。ゼロサム、つまり欠陥を直すところは客観的に測定できるので意見がまとまるが、プラスサムには確固たる方法論がなくアートの世界だ、という話をいつかパネルディスカッションでしたが誰も聞いてくれなかったな。

いや、誰も聞いてくれなくてもとりあえずブログに書けば心は晴れるというものだ。私が敬愛する朝倉さんもこう言っている

「夢みたいなこと」でも言ってみる。100言ってれば1かなうかも。

via: 朝倉民枝 (TamieAsakura) on Twitter