あなたのためを思って

2010-04-08 08:03

というわけでこの記事である。

「ああ、そちらはすごく怒っているのだ。苦しいでしょうね。手も震えているようだ。簡単に怒る性格みたいです。これからもいろいろたいへんなことに出会うでしょうね。それで大丈夫ですか?心配ですよ」

via: 「怒らないこと」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

この文章だけ読んでどのような感想を持つだろうか。私には最後の"心配ですよ"を額面通り受け取ることはできない。これは

"あなたのため、と"善"を装いながら相手を非難している"

態度に見えるからだ。

以前サイトに書いている文章に感想を貰ったことがあった。それには

"このような表現はあなたの品位を傷つけます。残念に思います"

と書いてあった。私は

"見ず知らずの私の品位を心配していただけるとは恐縮の至り"

とかなんとか返したように思う。さきほど引用した文章にも同じような感じを受けるのだ。
こう思うのは私だけではないようで、こんな文章もある。

「あなたのためだから」という思い込みでオレサマ判断を押し付けているかもしれない。

via: 「怒らないこと」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

面白いのはこの文章を書いた人間が同一人物である、ということだ。つまりなんだ。私はこうした類の

"あなたのためを思って言っているんです"

を毛嫌いしているが、同じことを自分でやっている可能性が高いということか。

このように自分の怒り、不快の感情を"俺様が正しい、あんたが間違っている"という観点と分離してとらえることは難しい。私が読んだ唯一の実例はG.M.ワインバーグの本にあった想像上の会話である。自分が腹を立てていることを認めたうえで、その原因が分からない。この原因を探るために私たちができることはなんだろうか、と相手に問いかけるものである。

などと読んでいてふと気がつく。

小学校のころ、私は短気だと自認していた。とっても理不尽な理由で怒りを爆発させた記憶はいくつも残っているし、記憶に残っていないものはもっとたくさんあったのだろう。

それから月日は流れ、今やサラリーマン生活25年、結婚して子供もいる。最近怒ることが少なくなったと思う。それに代わり諦め、悲しみ、徒労感などを感じることが増えた。これが年をとるということか。