私は教育に従事するものではないので

2010-05-10 09:19

おそらく実際に担当されている方からみれば、無責任極まりないことしか書けないと思うのだが

こんな記事を見つけた。

なんて思いながら、6年生の授業を参観しました。各学年1クラス20名の少人数編成。それを2つの教室に分けての授業です。生徒それぞれがタブレットPCを抱えて教室に入ってきました。先生が電子黒板を使って課題を説明します。

via: Ichiya Nakamura / 中村伊知哉: 衝撃の授業、青山小学校。

引用部分は意図的に"オチ"の部分を省略している。是非引用先を読んでください。ヒントは"これは情報機器の授業ではなく、"情報"の授業と言えるかもしれない"

遠い昔、英語の研修でこんなビデオを見せられた。先生がある日突然宣言する。瞳の茶色い子はいい子です。遊び時間を20分余計にとってよろしい。それ以外の子は悪い子です。掃除を2倍やりなさい、とかなんとか。

つまりクラスの中に"何の根拠もない"人種差別を作りだす。するとどうなるか。仲のよかったクラスがたちまち"人種対立"で荒れだす、と。

それを体験してこそ人種差別に対する理解のスタートラインに立てると思うのだ。

戦争に対する学びも同様ではなかろうか。戦争は悪いね、いけないね、は話の半分にもならない。ではそもそもなぜその"いけない戦争"がこの世の中からなくならないのか。それを身をもって体験させてこそ教育だと思うのだが。

遠い昔の英語研修の続き。あるロールプレーをやらされた。受講者を二つのグループに分ける。それぞれのグループで

"あなたはX国の住人です。この国の住人は、このようにして親愛の情を示します"

とかなんとか教えられる。最初はそれぞれのグループで新しい挨拶の仕方を学ぶ。

次にその中の数人が"別の国"へ行く。すると"彼ら"の姿はとても異様に映る。それは信じられないほどに。

そうしたCultual Shockを全員が味わったところで説明がなされる。これは海兵隊が海外に行った際、Culture Glassesをかけてしまうことを体験させるために作られた演習であると。

これも実際に体験したことがない人にはその効果を伝えることが難しい。全く仮想の奇妙な風習であるが、たった20分ほどの練習で、あっというまにその文化に自分が染まってしまう。そしてたっと20分別の文化を学んだ人たちの行動を

"あいつらは狂っている"
"あいつらは気持ち悪い"

と掛け値なしに判断する。

こういう

"体験型"の授業に関する評価というのはどういうものなのだろうね。