学会の発表を聞きながら思ったこと

2011-03-04 07:54

某学会の発表を聞いていた。ちなみに人間に情報を提示したり、探すのを手伝ったりするコンピュータシステムに関するものである。

学生さん限定の発表会だったから、おそらく生まれて初めて内輪でない人の前で発表する人も多かったことだろう。それにしてはみな堂々と発表していた。ことプレゼンテーションの技術に関しては、最近の若い者は私の世代よりはるかに上手だろうな。

プレゼン技巧はいいとして

彼らと彼女たちの発表を聞いていて何度か疑問に感じたことがあった。

「この人はいったい人間というものをどのようにとらえているのだろうか」

「レシピ推薦」なる発表が2件ほどあった。そのどれもが

「必要な栄養素を計算し、レシピに含まれる栄養素を考慮することで、最適なレシピを」

とやっていた。

ここで問題です。

食事の主たる目的は栄養をとることでしょうか?それだけ考慮すればいいのでしょうか?
十分な栄養を取れるレシピを求めているのでしょうか_それが提示されれば人は羊のように音なしくそれに従うのでしょうか?

「人に情報を提示するシステム」に関する話を聞いていると、その人が人間をどのように考えているのかが垣間見られて興味深い。もちろんそれが難しい問題であることは確かだが、かといって勝手に人間を矮小化するのはいかがなものかと思うのだ。

あるいは、「システムは何を解決しようとするのか」というところをさらりとかわして、複雑な数式の中に逃げ込むとかね。

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などと考えていると、昨日読んだこの記事が頭にひっかかる。

ちなみに私が聞いていたのは人間に情報を提示したり、探すのを手伝ったりするコンピュータシステムの発表である。

俺の興味をひきつけられるのはお前の解決案じゃない! | Startup Weekend Tokyoより引用:

君が提示する解決案は、私の問題を解決しなきゃいけないんだ。

つまり
いくら君が、そのご自慢の解決案とやらを
何回しつこく繰り返そうが、私の問題に関わるものでなければ
私を納得させるには無駄だってことだ。

これは投資家が、企業家たちに言った言葉だからそのまま私と発表者の関係に当てはめるのは無理がある。

しかし

聞いた発表の多くは「問題点」を適当に述べるだけで、すぐ「解決策」の説明に移っていたようにも思うのだ。あるいは「問題点」は正しいように聞こえても、それが「解決策」に反映されていない、とかね。そうした場合にはつまるところ「問題点」を正確には把握していない、ということにならないだろうか。

たとえばレシピ推薦なら

「人間は体に悪い、と思っていてもつい食べ過ぎてしまったり、必要なものを食べなかったりする。こうした問題に対処するシステムを考えたい」

という正しい問いからはじめれば、研究全体がもっとよくなったと思うのだ。もし時間や知識がたりなくて、問題に対する解決策を示せなかったとしても、それをnext stepとして位置づけることができる。

新しい物を作ろうとするとき、出発点となる「正しい問い」を立てるのがとても重要だ。そこが間違っていれば、出来上がったものはどこにも行き着かない。

しかしそれが簡単と思う理由もない。何度かのインタラクションの後にようやくこの問いにたどり着くこともある。そうしたフィードバックを得るためにもver0.1は早く形にしないとね。ああ耳が痛い。