iPhoneの異常性について

2011-04-18 06:53

長年訴え続けてきたのだが、昨日ようやく同じことを指摘してくれた文章を見つけた。

良く日本の企業がiPhoneをつくることが出来なかったのは、技術力がなかったからではなく、iPhoneのある未来を描ける経営者がいなかったから、という話をする人がいる。僕はこれは完全に嘘っぱちだと思っている。

たとえばタッチパネルのレイテンシ一つをとってもiPhoneに匹敵するデバイスをiPhoneができるまで作れた日本の企業がいただろうか。少しタッチパネルをかじったことがある人ならわかると思うが、iPhone 3Gがあの時期に到達したタッチパネル技術のたかみは本当にすごい。iPhone 3Gの時期にあのタッチパネルの精度、レイテンシを実現したのはタッチパネルベンダーを巻き込んだデバイスの研究開発と、描画バッファを複数持つことによるレイテンシを極力排除したOSレベルでの最適化された描画システムが必要となる。

この点だけ見ても、当時日本の企業であの滑らかさとレイテンシを実現するタッチパネルを作れるものはいなかった。だから、僕らは認める必要がある「そもそも突き抜けたものを作る技術力がなかった」ということに。なので、もう一度きちんと考える必要がある。

via: 「1000人の凡人が一人の天才に負けるエンジニアリング」ではなく「凡人1000人で本当に良いプロダクトを作るエンジニアリング」を指向したい - Future Insight

端的に言って、日本のモノづくりはiPhoneに大して完膚なきまでに敗れたのである。もちろん「iPhoneにも日本製の部品が」とか「F社の画像エンジンはすごい。iPhoneのカメラはゴミだ」とかなんとでもいいようはある。しかしそれは終戦後に

「空戦フラップは云々」

と威張っているようなものだ。

これも何度か書いたことだが、iPhone発表の後「頭のいいUIの専門家」から

「文字入力がタッチパネルでできないことは証明されている」

とか

「すでにある機能を組み合わせただけで何も新しいものはない」

とかいうコメントを聞いた。私は無知なので、基調講演で示されたiPhoneのタッチパネルの反応をみて顎が外れていたのだが。

Apple以外の企業から、あのiPhoneのタッチパネル(ハード+ソフト)が生まれなかったのはどうしてだろうね。ひとつには「頭のいいUIの専門家の適切な意見」もあるだろうが、それだけではないような気がする。

それまでのタッチパネルはどう贔屓目に見ても使いやすいものではなかった。

「こんなゴミが使えるか。もっといいものを作れ」

と本気で考えた人がリソースとむすびつくところにあの結果が生まれる。そもそもそう言い出す人がいなければ、それまで、ということなのだろうか。