坂の上の雲

2011-05-27 07:29

坂の上の雲を読み、それが「事実」であるかのように語る人間は知らん。あれは小説だ。

などと言っていたのだが実は今まで読んだことがなかったのである。会社から借りて読んでみた。

読む進むうち、頭に?マークがたくさん浮かぶ。例えばこんな記述がある。

ここで便宜上、太平洋戦争時代のそれにふれておく。その当時の日本海軍が、91式徹甲弾という独創的構造をそなえる砲弾をもっていたことはすでにふれた。 ほかに「タ弾」という略号で呼ばれていた徹甲弾があったが、これは海軍も用い、陸軍も対戦車用に用意していた。

あれ、と思い調べてみたがタ弾は海軍で艦船の砲弾としては用いていない。じゃあなんでここで(日露の海戦に関する記述に付随して上記の文章がいきなり挿入されている)タ弾について述べ始めたのかよくわからない。単に「俺は知ってるんだ」と言いたかったのだろうか。

別の例をあげよう。

バルチック艦隊司令長官のロジェストヴェンスキーは自分一人でウラジオストクに行くつもりだった。その傍証もたくさんある、といいながら、傍証はひとつしか(戦闘計画について部下と協議しなかったこと)出てこない。その後ロジェストヴェンスキーについていろいろ「おかしか行動」を書いているのだが、それが司馬氏の「仮定」をどう補強するのかもわからない。非常にいきあたりばったりに言葉を連ねている印象がある。


文章の面白さ、調子、という点において伊藤正徳に及ばず、事実に基づく冷静な筆致という点で児島 襄に及ばない。根拠のない思い込みを整合性なく書き連ねるという点では松本清張に最も近い。

なぜこんな本が有名になっているのか理解に苦しむ。

ちなみに最近少しずつ読んでいるツシマ


は当事者が書いた本ということもあるが、その戦闘描写は日本人が書いた本では見られないような生々しさに満ちている。ペリリュー・沖縄戦記もそうだが



日本人にはこうした記述ができぬのだろうか。それが日本人に碌な「戦争映画」を作ることができぬ理由だろうか。