神の視点

2011-07-01 07:17

というわけで、先日スカイラインー征服、という映画を見た。

この映画ではある日突然空から何者かが襲ってくる。どこから来たのかとか、(そもそもエイリアンであるとは誰も言っていない)何が目的だとかそんなことは一切触れられない。あれこれ抵抗したが結局人類絶滅か、といったところでいきなり投げっぱなしのジャーマンスープレックスが炸裂!という楽しい映画であった。(もうちょっと長い文章はこちら

映画を見ながら考えた。実際に大きな災害にであってしまったときの個人というのはこうしたものだ。全体で何が起こっているかさっぱりわからない。ただ目の前の出来事に対応して右往左往するだけである。少なくとも私は311の時そうだった。(この日及び翌日の行動についてはこちら

対するに

日本でかつて作られていた怪獣映画、というのはこうした「災害に直面した一個人」とはつねに異なった立場で描かれていた。いうなれば神の視点である。主人公はそれが新聞記者であっても一個人であってもいろいろなコネをたどって「ゴジラ対策本部」に顔をだすことになる。そして映画の作りては

「全体はこうなっています。ゴジラをこうやってやっつけます」

と言わなくては気がすまないのだ。

あるいは私が見ていないだけでそうでない視点のものもあったのかもしれん。しかし私が見た「一個人での右往左往視点」の映画はすべて米国産だ。ET,宇宙戦争、クローバーフィールド。

ここでやや強引に「日本で映画を作るときには神の視点を入れずにはいられない」と結論ずけてしまおう。このことと、日本で近年碌な映画が作られないことと何か関係はあるのかな。もっと言えば「硫黄島からの手紙」を日本人がつくることができないのと何か関係はあるのかな。と今日のエントリーも投げっぱなしジャーマンで。

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ちなみに私が↑で挙げた「個人の視点で右往左往」映画(複数形)に関わった人間が作ったスーパー8は、エイリアンさえでてこなければ名画という変わった映画でした。感想はこちらをどうぞ。