頭の中にはポインタだけ

2011-07-12 06:40

子供からの質問に「お父さん知らない」と答えると「じゃあパソコンで調べて」と言われる。たしかに彼と彼女にとっては

「わからないことは、パソコンに向かって何かすると答えがでる」

という魔法の箱であるな。
パソコンで調べる。ネットで何か面白いものを見つける。なんらかの方法をつかって電子的にスクラップする。それでおしまい。いや、こうしたことはおそらく紙とのりを使ったスクラップでも存在はしたと思うのだ。

しかしこの場合「便利さ」は悪い方向に向かっている。をを、このページ面白いね。Evernoteボタンをぽん。はい、これで完了。本人は何か知識を得た気になっているが、二日たてばEvernoteにいれたことを忘れるし、そもそもその内容をきちんと読み返すことなどない。

つまりこの場合「面白い情報はEvernoteにはいっているし」というポインタ情報しか頭の中にははいっていないわけだ。

こうした傾向に危惧を持つ人は少ない。今読んでいる本にはこんなことが書いてある。

われわれを最も人間的にしているものは、われわれの最も計算不可能な部分だとワイゼンバウムは信じるに至った-その部分とは、精神と身体のつながり、記憶や思考を形成する経験、感情や共感の能力である。われわれがコンピュータといっそう親密に関わるようになる際に-われわれが人生の多くを、スクリーン上で点滅する身体を持たないシンボルを通じて経験するようになる際に-直面する大きな危険は人間性を失ってしまうことだ、わえわれと機械を区別している特性そのものが犠牲にされることだ。この運命を回避する唯一の方法は、われわれの精神活動と知的追求における最も人間的な部分、とりわけ「知を必要とする作業」を、コンピュータにゆだねまいとする自覚と勇気を持つことだとワイゼンバウムは述べる。

ネット・バカ p285


過去数十年にわたる「人工知能」の研究でも、全く解明の糸口すらつかめていない分野はいくつかある。IT技術は便利に使わせてもらいながら、その人間故の部分を強化する。これは考えるべき方向ではなかろうか、と思うのだが。