イノベーションのジレンマ(笑)の続き

2011-08-09 06:50

というわけで、我流「イノベーションのジレンマ(笑)=イノベーションを提案しろと言いながら、提案を無視する」の続き。(本家「イノベーションのジレンマ」と区別するため、後ろに(笑)をつけることにした)先日こんな文章を見つけた。

この提案は従来のものとあまりにかけ離れたものであるため、同意を得るのに時間を要した。 「前例がない」ということに組織はいつでも弱腰である。しかし、一方では差別化を要求する。これは大いなる矛盾ではないか。我々にとって何ら説得力のない反論が続いた。もちろん、私はひかなかった。最後には「片手でもてない」という苦しい意見も飛び出したが、こちらも感情的になって「両手で大切に持てばよいではないか」と一蹴した。 お店で目立てば確かに一度は買ってもらえるかもしれないが、それは致命的な一度になる。そのパッケージが気に食わないとなれば、消費者は二度と買ってくれないのだ。なぜそこに思いがいかないのだろうか。

p297
松永真 デザインの話

この話で笑うところは「片手でもてない」である。
既存のルールを順守することを生命線としている人たちにとって、そのルールを脅かすものは常に脅威である。しかしそのルールの意味を問うことのない人達だから、なぜそれが脅威か、なぜ既存のルールを遵守しなくてはならないのか説明ができない。

そういう人たちは「頭がいい」ことが多いので即興で独創的な理由を作り出す。

「片手でもてない」

に類する笑える「理由」を何度も聞いたことがある。以前にも引用したことだが

実験のビデオで本当に明白になったことは、被験者たちは理由を言うということです。ある理由が成り立たなくなると、別の理由を持ち出します。新たに出した理由が成り立たなくなると、また別の理由を持ち出します。そして、ポケットの中を探しても持ち出せる理由がなくなったら、"倫理ダムファウンディング"の状態になります。被験者たちは理由が見つかると思っていたのですが、理由が見つからないことに驚くのです。そしでビデオの幾つかでは、被験者は笑っています。それはおかしくて笑っているのではありません。当惑・困惑の笑いです。そして、「倫理的に悪いとわかっていること」について、悪いことを証明する理由がないという認知状態になります。それで、被験者たちは何が悪いかについての考え方を変えるのではなく、「わかりません。説明できません。でも、それは悪いことです」と言うのです。こういう状態があるということは、被験者が信条を信条として持っていて、それを支持・正当化する理由を持つ必要がないことを示唆しています。言い換えるなら、「何かが悪いと知っていること」と「その理由」は全く別のプロセスなのです。

via: 忘却からの帰還: 善悪判断とその理由付けは全く別

会社で出世した人たちは「既存のルールを変更することは、悪いことである」ことをよく知っている。しかしその理由について問われると、

「片手でもてないから」

のような思いつきを並べるしかないのだ。

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最初に引用した「画期的なデザイン」は笑えるような手段でその目的を達成することになる。しかしその話はそこで終わらず、かなり苦い結末が付いている。

しかしそれは松永氏のようなデザインの大御所であるから成し遂げられたことだ、という思いも残る。仮にAGFの社内デザイナーが同じものを提案したとしても

「片手でもてない」

と簡単に却下されたに違いないのだ。
となるとイノベーションを起こすのに必要なものはなんなのだろうか。日本で飛行機械をつくろうとした二宮忠八は、

「飛行機を独力で作る資金、それに話を聞いてもらえる地位を得よう」

としたとかなんとか飛行神社で読んだ気がするが。