正しい問いをたてること

2011-08-24 06:32

先日こんな文章を見つけた。

「おもしろい!」と思わせる研究計画書

・先行研究が丁寧にレビューしてあること
・先行研究の問題点を端的に指摘できていること
・問題を解決するための「新しい」アイデアが述べられていること
・「新しい」アイデアに応用可能性や広がりがあること

「できるかも.」と納得させる研究計画書

・研究の方法が詳しく書かれていること
・スケジュールがきちんと立てられているこ

(以下省略)

via: ylab 山内研究室::Blog

これを読んで何かがたりない、と思った。つれつれとめくっていくうちに以前読んだこの文章につきあたる。

「プレゼンのカギは、解決法でなく問題点を語れ。

「たっだそれだけ、それが全てだ。初めは問題点を教えろ、解決法はいらない。最初に解決法を並べたら、私はそれが何を解決するのか分からないだろう?だが、君らが僕を感情的にその問題点に引きつけることができたなら、あるいは、幸運なことに僕や知人が同じような問題を抱えていたなら、君たちはようやく自分たちの解決方法を話すチャンスを得たことになる。」

via: 俺の興味をひきつけられるのはお前の解決案じゃない! | Startup Weekend Tokyo

この文章を比較するとよくわかる。最初に引用した文章には

「問題の定義」

がまるで欠けている。あたかも問題点は既に存在していることは前提として与えられているようだ。スタート時点は「定義として与えら得た問題に対しての先行研究のレビュー」から始まっている。

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などとつらつら考えていると、このTwittter上での発言を思い出す。

ロボコンがアイディア対決と称すも「問題解決能力」を求めている限り,それが研究になることは難しいよね.自ら問題を設定する能力が重要

via: Twitter / @drinami: @Yuta_Sugiura ロボコンがアイディア対決 ...

という指摘を読み、私があの「青少年たちが競う姿」に感じていた違和感の正体がわかったようなきがした。「問題」はあらかじめ主催者から定義として与えられている。参加者が取り組むのは「それをどうやって実現するか」という「問題解決」なのだ。

企業が「真に」求めているのはそういう人材だ、ということはあまり大きな声では言えないが真実である。「そもそもこんな問題に何の意味があるのか」などと問う人間は大企業では長く生きられない。

この「問題定義」の重要性というのは、なかなか認識してもらえないようである。最近呼んでいる「ブルー・オーシャン戦略」なんてのは、まさに

「問題を再定義することで、新たな市場を切り開く」

事だと思うのだが、それよりも残業たくさんしてRed Oceanで勝者のない消耗戦をするほうが企業じゃあ評価されるからねえ。

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とうわけで本日はここで投げ出す。「問題定義の重要性」についてはまた書くことがあるかもしれない。(もし書くにたる何かを思いつけば)