ソーシャルゲームについて

2011-10-18 06:40

電車にのると、GREEの広告が眼に入る。TOKIOとかいう人たちが何かの宣伝をしている。
芸能の人とは大変だ。自分がどんな文脈で使われるか自分で制御することができない。いつもそんなことを考える。

DeNAだのGREEだのに考える嫌悪感についてようやくこの文章をめぐり合った。

おそらくソーシャルゲームのもっとも適切な比較対象は、カルト宗教団体だろう。そこで構成員たちは、活発な社会的な交流の中で、独自の価値と動機付けの体系に従って行動している。あるいは、マルチ商法の集団とも比較することができるだろう。ある集団を支配する価値観を外部の人間が理解できないとき、外部の人間は「うさんくさい」と感じる。そういう意味でソーシャルゲームは非常に「うさんくさい」のだ。社会的反発はこういう部分から来ている。

via: 「ソーシャルゲームはなぜハマるのか」理解するための一冊 - elm200 のノマドで行こう!

その中だけで「理解」されるロジックの階層を作り上げ、そここから収益を得る。まさしくカルト宗教だ。DeNAとGREEはカルト宗教の総本山ということか。

だが、最近ソーシャルゲーム会社の幹部の方たちに会い、かれらの優秀さと人柄の良さに感銘を受けた。意外なことに、彼らは意欲的に生き生きと自分の仕事に取り組んでいるように見えた。

via: 「ソーシャルゲームはなぜハマるのか」理解するための一冊 - elm200 のノマドで行こう!

カルト宗教の幹部の方達も実にイキイキと自分たちの「使命」に向かって生きている、と聞く。(あったことはないよ)「カルト」と言えば、丁寧な反論が帰ってくるだろう。

ソーシャルゲームが、いびつな構造を持つとすれば、消費者は「大衆」なのに、生産者は「情報強者」という点だ。ここでは、自ずから、消費者と生産者は非対称な形を取らざるを得ない。これは、いまや滅びつつあるマスコミと同じ形だ。ある意味、ソーシャルゲーム陣営こそ、マスコミの正当な後継者なのかもしれない。

via: 分断された日本のインターネット - elm200 のノマドで行こう!

このマスメディアと、ソーシャルゲームの比較も興味深い。マスメディアの作り手とは、基本的に受け取り手を馬鹿にしている。そうでなければ商売がなりたたないことを知ってる。おそらくはソーシャルゲームの作り手たちもそうなのだろう。

我が家からは(奥様を除いて)地上波TVが駆逐されつつある。とりあえず状況は少し改善されている、と信じたい。(小市民だから私にとっての「状況」はすぐ近くのできごとだけだ)