Steve Jobsはダメな奴だった

2011-10-07 06:57

昨日からブログを読めば「LCからの付き合い」だの「初めてIIsiに触ったときの」とか全く最近の若いものはなっておらん。私なぞ1984年から(という年寄りの戯言はこちらに書いてあります)

私がSteve Jobsという人間の存在を意識しだしたのは、1989年ではないかと思う。当時の上司の勧めで「スカリー」という本を読んだ。



スカリーとは誰か?当時JobsはAppleにいなかった。代わりにAppleを率いていたのはジョン・スカリーだったのだ。NextでJobsはがんばっちゃいたが、全然うれていなかった。Appleを21世紀までひっぱっていくのはスカリーだ。そう思っていた。

この本は、スカリーの自伝だからSteve Jobsのことはダメダメに書いている。曰くサーバー製品の開発がなかなか進まないので、事情を調べた。どうもジョブスはサーバーがソフトウェア主体の製品であることが理解できていないようだ。他にもダメダメなエピソードがいくつかあったが忘れた。

その後私はアメリカで2年暮らした。友達が遊びに来たのでSan Fransiscoを案内した。その時たまたまどこかのコンベンションセンターで

"Next World"

というイベントをやっていた。ほら。ちょっと前までMac Worldってあったでしょ?それのNext版。

人はだれもいない。ふと友達が言った。

「Jobsだ」

みれば、どこかで見たような人がいる。それまで見た写真では髪フサフサ、髭全くなしだったのだが、この時のJobsは髭が生えていたように記憶している。友達は「サインでももらおうか」といったが、私は「いいよ」とその場を後にした。今更地団駄踏んでくやしがっても遅い。

さて、日本に帰ってきてしばらくたった頃、スカリーは誇らしげにNewtonをアナウンスした。これはすごい。ハード製造も切り離して、これが新しいビジネススタイルだ。しかし日本語版は「水泳ができるころにリリースします」と言われたきりいつまでもでてこない。そのうちスカリーはスピンドラーにとって変わられた。

そのスピンドラーもいつしかアメリオにとって代わられ。。そして米国の雑誌では

「Appleはどこに買収されるべきか?」

などというコラムが載っていた。IBMに買収された場合、Motorolaに買収された場合、それにSonyに買収された場合。そうだよなあ。SonyがAppleを買収してくれないかなあとその時は真剣に考えたものである。

さて、JobsがAppleに戻り、あれこれの変化が起こり始めた。互換機路線をスクラップにした。私はこれに激怒した。魅力的なハードをつくろうと思えば、互換機を認めるしかないじゃないか。(当時は真面目にそう考えていた)

次にiMacを発表した。これは気に入った。しかしなんでLocaltalkのコネクタまで削除するかな。あれがあれば今のMacからデータ移すの簡単なのに。(当時Ethernetは金のかかるオプション品だったのだ)これだからJobsは、、とそう考えていた。

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当時のJobsはいやな奴で、ダメな奴だったのは間違いないと思う。一緒に働いたことのある人の記事を読むとそうとしか思えない。

スティーブの下で仕事をしてみて一番最初に思ったのは「ああ、本で書かれている通りの人だ」というものです。

本読んでいた時はさすがにそこまでひどくないだろ、と思ったんですが、本当にその通りの人でした。

via: 追悼 Steve Jobs - [モ]Modern Syntax

そんな折、まさかの Steve Jobs 復帰。

社内の様子は一変しました。最初は熱狂としかいいようのない興奮で迎えられたSteveでしたが、ごく短期間の間にその熱狂は「恐怖」とでもいうような感情によって置き換えられました。

via: Steve Jobs の思い出 | まつひろのガレージライフ

そしておそらくは最後までいやな奴でダメな奴だったのではなかろうか。

我々はともすれば、「偉人」=「人格の立派な人間」と思いがちである。思うに少年少女向けの偉人伝がそうさせているのではなかろうか。

しかしそんなことは全くない。いやな奴でダメな奴がどれだけ世の中の方向を変えたか。SteveJobsという人間がいたことで何が起こったか。リアルタイムで体験できたことは全くの幸運だった。

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Steve Jobsは

「個人が存在することで、どれだけの変化が起こりうるか?」

を身を持って証明した。

Steve Jobsが存在しない世の中を考えてみよう。

・未だに我々はメインフレームのCUI端末を前にしていたかもしれない。
・携帯電話は二つ折のままだったかもしれない。そしてゴミのようなサービスの対価としてキャリアに300円ずつ払っていたかもしれない。
・音楽のダウンロードサービスは存在したかもしれない。しかし一曲1000円で一回再生するごとに50円課金されたかもしれない。

冗談ではなく、本当にそうだったかもしれないのだ。Jobsがこれらの変化を成し遂げた、というのは間違ったものの言い方だ。しかし「Jobsがいなければこれらの変化は起こらなかった」と思うことはそう的外れではないかもしれない。

ではこう考えてみよう。

Jobsがすい臓ガンにかからなければどうなったか?

2005年のスピーチで

「あと何十年かは死に直面しないことを願う」

といっていることから、その当時はまだ何十年かは生きるつもりだったのだろう。例えば65歳まで、9年間AppleのCEOを務めたとしよう。

今までと変わらないペースでものすごい新製品を創り上げたかもしれない。あるいはどこかの時点で、Apple最大の資産が負債になったかもしれない。人間の運命というのはわからないものだ。

しかし

すい臓がんににかかり、死に直面する、という体験がなければあのstanfordでのスピーチはなかったに違いないと思うのだ。

そして、例えば私の子供の代になったとき、そこに存在しているテクノロジーはあたかも

「必然があって登場した」

と子どもが考えても私は驚かない。私たちは歴史を見るとき、常にそれは「必然であった」と解釈しようとする。Steve Jobsがいなくてもパーソナルコンピュータは生まれ、GUIが普及し、スマートフォンが今のような形になっていたと(iPhone登場前に、Smart phoneといえば、どのようなものだったか覚えている人はいるだろうか?)論じられるだろう。逆に過度に神格化されているかもしれない。どちらにしても私の感覚とはずれていくだろう。

しかし

あのスピーチが意味するところ、言葉の力は私の子供にも等しく伝わって欲しいと願っている。時代が、文化が少しずつ移り変わっていってもあのスピーチが持つ意味は変わらない。そしてこれはまさしく、Steve Jobsという個人が発した言葉である。

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Jobsのプレゼンには学ぶ点が多い。iPhone発表時の2007年Mac World Expoのそれはすばらしい。しかし私にとって一番印象深いのはWWDC2005でIntel Chipへの移行を宣言した際のプレゼンである。

理由を述べよう。新しい製品を出すことは基本的によいニュースだ。つまりHome field advantageがある状態。しかしこのIntel Chipへの移行は

「これまでPower PC > Intel といってきたことの誤りを認め、負けを認める」

といった内容だったのだ。完全にAway, 2chの言葉を借りれば「玉音放送」だったのだ。

しかしこのプレゼンを見た後では

「Intel への移行、いいじゃないか。これでMacはもっとよくなる」

と単純に信じることができた。これがJobsの持つ「現実歪曲空間」というものだと思い知らされたプレゼンでもある。

死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命だ。それを免れた者はい ない。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからだ。死は生命に変化をもたらす主体だ。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実だ。

via: スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式スピーチ - himazu archive 2.0

古いものは死に、新しいものが生まれる。生きている私たちは新しいものを作り続ける。そしていつか退場することになる。その時には皇帝の言葉を思い出そう。

それゆえ、なんらかの瞬間を人生の目的と考えてはならない。過ぎ去った巨大な深淵のごとき時を振り返り、無限に続く未来に思いを馳せるとき、人生が三日しか続かなかろうが、三世代にわたって続こうが、少しも差はないと知るだろう。

運命によってわれわれに割り当てられたこれらの瞬間、瞬間を正しく認識し、満足をもって世界を眺めよう。熟したオリーブの実が枝から自然に離れて地に落ちるときのように、われわれを育んだ土壌を、木を讃えようではないか。

-マルクス・アウレウス・アントニヌス 自省録

via: スティーブ・ジョブズの逝去に関するApple取締役会の声明