人は一つでもいいところがあれば

2011-11-02 06:38

「人は一つでもいいところがあれば良しとしなければならない。」

何かの本で読んだ言葉だが、年をとるとこれを実感することが多い。
何度かこのブログでも引用したことがある宋文洲氏だが、「子どもが勝手にiTUnesで有料製品を購入したのはジョブスのせいだ」とお怒りのようです。

店に抗議する気にもなりません。この手のサイトはいくらでもあります。しかし、「クローズした安全性」を売り物にしたジョブズの宣伝がなければ、私はそんなに簡単に騙されることはありませんでした。

「終了のためにスタートボタンを押す。」ジョブズは且つてこのようにWindowsを嘲笑いました。「無料のためにクレジット情報を聞く。」これは私のお返しです。

via: ジョブズの傲慢: 宋文洲のメルマガの読者広場

金曜日10時の電車の中で演説をぶっているオヤジの言葉と同じ。言葉の表面には意味がないが、探して面白い記事につきあたった。

自らが過大評価されていることを認める、その謙虚さに好感を持ちました。同時に宋氏は、単純に成功した経営者をカリスマとして評価することにも疑問を投げかけています。私もカリスマが増殖しすぎて、本来の意味を失いつつあるように思います。

via: 宋文洲氏はカリスマ創業者を否定し、スティーブ・ジョブズ氏は超越する: 実践ビジネス発想法

宗氏が今何をやっているのか今ひとつわからないのだが、「コンサルタントや評論家」とのこと。死ぬまでCEOであり、新しい物を作り続けたジョブスの何かが彼の神経に触ったのだろう。

宗氏の言葉には、コメント欄にもあるこの言葉を向けるだけで十分だ。

気持ちはわからないでもないですが、ジョブスが傲慢かどうかと貴方の子供がiTunesで買い物をしたことに因果関係はありませんよ。単にお子さんがiTunesで浪費しただけの事でしょう。

via: ジョブズの傲慢: 宋文洲のメルマガの読者広場

とはいえ、いい人なのだが妙なところで怒り出す人は実生活でもよく見かける。そうしたところが可愛いと思わないでもない。(自分の上司でない限りは)

上記記事のコメント欄を読むと、宗氏を「カリスマ」として崇める人がうじゃうじゃ存在していることを知るのがまた味わい深い。宗氏は本当に自分がカリスマとして崇められることを否定しているのだろうか?

(追記)
宗氏は一生懸命「ジョブスは何も発明していない」と述べている。

「私は巨人の肩で遊んでいる子供。」偉大なニュートンが言ったように、どんな発明も人類のさまざまな文明蓄積、社会のさまざまなバックアップ環境の下で生まれるのです。ジョブズがやり遂げたことは個性があっても発明はないはずです。

via: 宋文洲のメルマガの読者広場

ジョブスの妹も同じ意見のようだ。そうすると宗氏は何を批判しているんだろうねえ。

スティーブにとって最高の価値は、新規性ではなく、美しさでした。

via: 妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞