ウルトラマン

2011-11-21 07:50

昨日偶然からこのような文章を見つけた。

私はモノをつけたスーパーヒーローは作りたくなかった。眼鏡、マント等は一切身につけず、どんどんモノを減らして、単純化の極致がこのスーパーヒーローだと思い始めた。顔はヘルメットをかぶっているのか、顔そのものが、鋼の様に固いのか、身体も、銀の肌なのか、宇宙服を着ているのか、どちらとも判らないものにしようと思った。

via: 成田亨さんの仕事

そう思って考えなおしてみれば、あのウルトラマンというのは実に変わった姿をしている。そもそも裸なのか、衣服をきているのか。顔は仮面のようであり、硬質。しかし他の部分は柔らかい。その境界はどこにあるのか、ないのか。

そのような設計(design)の裏側にこのような哲学があったというのは初めて知った。

一旦ウルトラマンができてしまえば、その形態はどこまでも変形していく。コスモスだなんちゃらだと続かせるのも大変だろうが、


「最初の形態」

を生み出すのに必要な力はどれほどのものだろう。そんなことをふと考える。

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同じように考えると、仮面ライダーというのは絶滅寸前の恐竜のような状態だな。あの複雑さ。そこには単純で美しく、強い、という思想は微塵も見つけることができない。

若い人たちがいうように、私以後によい怪獣が生まれていないとしたらそのデザイナーたちは、怪獣の中で怪獣を考えようとするからかも知れません。アメリカのある怪獣みたいなとか、あの怪獣的なとかの考え方から絶対に新しいデザインは生まれません。新しいデザインは必ず単純な形をしています。人間は考えることができなくなると、モノを複雑にして惰落(ママ)していくのです。

via: 成田亨さんの仕事

底の浅い「専門家」というのはまさに「怪獣の中で怪獣を考えようとする」人たちだ。ガラケーの中でガラケーを考える。そうした迷走の行き着く先はだいたいいつの時代も決まっている。

「出遅れた国内メーカーが挽回するのは難しい。われわれはもはや死に体ですよ」。ある国内メーカーの関係者は、そう首を振る。ジリ貧が続いてきた国内端末業界にとどめを刺すスマホの荒波。業界内に、さらなる再編の足音が近づいている

via: iPhone4Sがとどめ、国内携帯端末メーカーの最終章(4) | 産業・業界 | 投資・経済・ビジネスの東洋経済オンライン

思うに「複雑化」というのは「言い訳」であり「合意形成」の手段なのだな。その点からなぜ邦画にろくなものが存在せず、日本製の電気製品(の一部)がみる影もなく凋落したかについて共通する要素がある、と思うので以下次号。