スルー力

2011-12-22 07:38

今年の正月には高校の同期会がある。高校の同期に会うたび思うことだが

「物理的には老けたが、中身は驚くほど変わっていない」

これは良いニュースであり、悪いニュースである。自分が20代の頃に想像していたほど50代(もうすぐ)は老けこむわけではない。逆に大して進歩もしない。

自分はといえば、いつまでも同じような間違いをしていること疑いようがない。しかし最近他の若い人たちの行動を見て、少しは昔と比べて変化があることに気がついた。スルー力は間違いなく向上している。

私の推定では、批判に関する限り、人生の途上で出会う人のうち、聴く価値があるのは、10%程度だろう。残りの90%の人たちの動機は、羨望、悪意、愚かさ、あるいはただの無作法である。当然ながら、君が馬鹿正直に悩めば、それがみな君の士気をくじくだろう。秘訣はすぐさま批判者を評価することである。尊敬に値する相手だろうか?と、すぐに自分に聞いてみなければならない。その批判が例の90%の人からのものなら、すぐに忘れること。不当な、あるいは悪意のこもった批判は、ひとたび受け入れると何日間も、そして幾晩も夜更けまで心を悩ますからである。

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 p258


インターネットが普及し、反撃を受けるおそれがない場所から顔を見せないで他人を批判することが可能になった。そう考えれば、この文章が書かれた時より、スルー力の重要性は増しているのではなかろうか。

批判を受けるのは辛い。であれば、自分の中に受け入れる前に、その相手を評価して90%は捨ててしまうべきだ。これは多くの人が覚えておくべき言葉ではなかろうか。

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もう一つ自分が「変化」したと思える点がある。若い頃は

「馬鹿を馬鹿と言って何が悪い」

と思っていた。今は自分が言葉を発することによって何をしたいのか、について少し考えるようになったと思う。

多くの場合人は自分を馬鹿だと思っていない。(自らを馬鹿だ、と公言している人は尚更だ)その人の振る舞いが私から見てどう見えようとも、である。であれば、その人に向かって「馬鹿」と言う事により私は何がしたいのだろう?

2chを読むと、多くの男性は、結婚することによりこの悟りを得るようだ。そして世の中のお父さんは、無口になる。

しゃべる前に聞け、という言葉は前掲書にも出てくる。

「沈黙は金なり」とある人は言った。そのとおりだと思う。君にも、入社したてのうちには、一オンスしゃべるには、一ポンド聞く、という比率を勧めたい。かつて私はあるセールスマンを採用しようとしたとき、本人がそれまでの仕事についての照会先としてあげた2,3の客筋から、そのやり口にぴったりの表現は「言葉の下痢」だと聞いて取り止めにしたことがある。教訓は単純で「馬鹿をさらけ出すよりは、黙っていて馬鹿だと思われる方がましである」物知りで、口数の少ない人はなかなか憎めない。客筋はとりわけ、そういう人を好む傾向がある。

ビジネスマンの父より息子への30通の手紙 p62

欧米社会で生きた人は「黙っていると馬鹿だと思われる」とよく言う。この文章を書いた人は、カナダで企業を成功させた人だ。単に我々が考える「無口」と彼らが考えるそれの基準が異なるのか、状況が異なるのかは私にはわからない。

ただ昔より考えるようになったのは次の事だ。言葉を発するということは、それにより何かをしたいわけだ。私は何がしたいのだろう?そのためには何を言うべきか?感情のまま言葉を発するのは子供と子どもじみた行為が許される大人の特権である。(子会社に片道飛行で落ちてきた親会社の社員とかね)